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ヴィム・ヴェンダース「ベルリン、天使の詩」
「体の中の魂に優しい手が触れる」。
まさしく作中の科白が表現する作品である。
天使が覗く白黒世界と人々が生きるカラフルな世界。誰もが心の世界を持つように、天使の世界と人間の世界は切っても切り離せない。
二つの世界を「優しさ」が繋いでいる。見えない世界は見える世界のなかに生きている。あるいはそれを「愛」と呼ぶのかもしれない。
この作品の要素は簡単だ。「詩」、「音楽」そして「ビジョン」。それはベルリン
ハンナ・ベルイホルム「ハッチングー孵化ー」
尖った見方かもしれないけれど、これはとても苦いハッピーエンド。
なぜならこの映画は少女の成長と自立の物語。最後にそう納得させてしまうような逆転の発想が待ちかまえている。
たぶん。意識することの出来ない不安や不満が怪物を生み出し、やがてまた無意識の悪意がそれを育てる。自分ではどうしようもないほどに育て上がったそれは時に服従し時に暴走する。
これを例えば自意識だと捉えるのは発想の飛躍だろうか?いいや、
岡田麿里「さよならの朝に約束の花を」
「おはよう」、「ありがとう」、「いってきます」、「おかえりなさい」。
誰かと日常を重ねること、言葉を交わし続けること、それができることの重みをひしと感じる岡田麿里渾身の物語。この物語を紡ぐために選りすぐられたアニメーションが時を奏でる。
片渕須直が「生活」の作家であるとするのなら、岡田麿里は「日々」の作家であるのかもしれない。
いや。自分にはこの作品にあらためて言葉を当てはめることはかなわない。た
山田尚子「リズと青い鳥」
完璧だ。
あまりに完璧すぎて感想なんて沸きようはないし、まして批評なんてしようはない。優れた映像作品は本来言葉にしようがないところにその本懐がある。
「女の子同士」における関係の「濃さ」ゆえにその内質から受け付けられない人もいるのかもしれないが、まず間違いなくこれは現在、日本の文芸アニメーション表現における最長不倒。後の世に金字塔としてさえよいだろう。
人と人との間、心の距離は、そこにあるのではな
クリント・イーストウッド「15時17分、パリ行き」
90分見事なまでに何も起こらない。まさしくその時が訪れる最後の瞬間まで。
予告でも使われた教官のスピーチが劇的に彼らの運命を、作品の意義を奮い立たせている。
誰しも抱えるような思春期のつまずきから語り始め、交わす友情、そして大人になってからも特に見映えのない人生、どこにでもいる若者と同じにはしゃぐ欧州旅行と、実際の当事者三人がそのまま演じる彼らは言うまでもなく本当に「普通」の人々なのだ。そこには映
中島貞夫「鉄砲玉の美学」
意気がって眉間にシワを寄せてばかりの渡瀬恒彦が、本当に時おり見せる弾けたような無邪気な笑顔が、強がらなければ生きていけない若者の青春の悲哀を一身に背負う。
そしてだからこそ、何も持たぬものである若者が肩肘張らねば生きていけない、そんな生き馬の目を抜くような社会の構造的矛盾さえをもスクリーンに露出する。
東映の職人監督である中島貞夫がATGで自由に作ったことによってそれまで娯楽作のなかにエッセンスと
鈴木清順「ツェゴイネルワイゼン」
何度見ようとも「見た」などと言うことはできない作品だと思う。何をもって映画を見たなどと言えるのだろうか。作品を見ていることはできても、見たと確信をもって断言する根拠はどこに生まれるのだろうか。ただ翻弄される。
この作品ほど何かこうだとまことしやかに言葉を弄して語ってしまうことがバカらしい映画もないのではないか。まさにすべてが曖昧さの渦中にあってその頂点に君臨しているように、映画は中間点を行ったり来
ジョー・ライト「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」
125分ゲイリー・オールドマン、圧巻の独壇場。
声を震わせ目をちらつかせ、身体を揺らして喉を鳴らす。文字通り一心同体となった辻一弘の特殊メイクを血肉にした全身全霊のチャーチル像が、恐ろしく、憎たらしく、勇ましく、しかし惨たらしくもいじらしく、また痛ましく虚しく、されども誰よりも果敢に、悠然として、見たことのないはずの「チャーチル」の実像を信じさせる。
まるでゲイリー・オールドマンという多芸かつ多面
シルヴェスター・スタローン「ロッキーVSドラゴ ROCKY IV」
≪誰もが変わることができる≫
それは『ロッキー』だから描ける宿命なのでありまた、ロッキー・バルボアの使命、そしてこの作品を通したテーマになる。人は変われない。
だからこそ人生には変わるための努力を、挑戦を、闘いを必要とする。
ロッキーVSドラゴ。その決死の激戦こそがそのテーマを浮き彫りにするあまりに見事な映像のダイナミズムを目撃する。人が生身で行う闘いがどれほど人の心を動かすのかについて、まるで『
ジャック・オディアール「パリ13区」
「愛してる」「キスして」
それだけを言いたくて運命はからまわり。
世界はおおむねコミュニケーションでまわってる。幸か不幸か、不幸か幸か。
誰もが誰かに秘密を抱えてるものだし、誰もが秘密を誰かに秘密を打ち明けたいもの。
きっとすべての恋する人たちは秘密と秘密が重なり合うところに立っている。
もしくは秘密がすれ違うところに。ある人はそれを友達以上恋人未満と言うのかもしれない。
たとえば、自分の全てを打
フィリップ・ガレル「パリ、恋人たちの影」
最後の最後に取材していた元レジスタンス兵士というじいさんの話がホラ話だったとわかることで何が鮮やかにも二人の恋人の行く末に明るい陽光を浴びせるか。
ある人生を「演じていた」じいさんとそれに振り回されていた自分たちという何とも言えぬ間抜けさが際立つように、まるでそれはある人生を、恋するということ、愛するということを、ある決められた形があるように自分たちが無意識のうちに演じていて、こうしなければいけな
ヴィム・ヴェンダース「まわり道」
脚本ですべてのことを書き記そうと、言葉ですべてのことは語り尽くせない。言葉を信頼するものだけが語り得る映画の豊かさだ。
一人で始まった旅が、やがて三人となり、四人となり五人となり、六人となり、そして一人また一人と減って、また一人になる。
いわゆる孤独を抱えた人々が成り行きで集まる共同関係。孤独の埋め合わせはまた誰かの孤独なのか。ヴェンダースの浮遊するキャメラが映し出すのはその間隙だ。
それは埋めら
新海誠「すずめの戸締まり」
生きることに意味はあるのか?
生かされたことに意味はあるのか?
生きてることに意味があるのだ!
新海誠は力強く「生」を肯定する。
死んだってかまわない。
生きていても仕方がない。
諦めを口にしてはいないか?
危険を省みず扉を閉じるための旅路。まるで自分の命を軽んじるような主人公。生き残ったことと生かされていることの狭間で影を背負って生きている。
死に場所を探すかのような旅だ。彼女はあたかも命を懸け
マット・シャックマン「ワンダビジョン」
怒りと哀しみのあまりの暴走。
言葉にするのは簡単だけれど、そんなのあまりに無惨じゃないかと思う。大切な人を(永遠に)喪わない人なんていないのだから。
だからこれは教訓。どこの誰でも決して人の心を踏みにじるような真似をしてはいけないのだと。心に土足で踏み入られた人間は、また誰かの心に踏み入ってしまうことに気づけない。自分のなかに入られたことで他人のなかに入ってしまっていることの境界に気づけない。
そ
今泉力哉「窓辺にて」
三歩進んで二歩下がる。あるいは。二歩下がって三歩進む。微細な変化を精緻に描き出すための二時間半。
彼は最初から最後までほとんど変わってないように見える。しかし彼は確かに変化をしている。
愛を観察し関係を見直して人との付き合いを新しく始める。彼にとっての新たな出会いは新たな関係、新たな人生への一歩だ。新進気鋭の作家とその恋人、そしてその叔父。三者三様の出会いが待っている。
彼の態度は一貫して何も変わ