悲しみから目をそらそうとしているのか?悲しみを越えた境地にいるのか?さえわからない日々の中で、頂いている命がくっきりと浮かび上がる。命の揺らめき、ざわめきが、まるで、音のない漣(さざなみ)のように感じられる。儚さの中にある力強さ、力強さの中にある儚さ、命の波が、うごめいている。
諸事情により詳しくは書けないが、先日、私は命拾いする出来事に見舞われた。それ以降、なんだかソワソワしている自分がいる。命の使い方について、ずっと真剣に考えているからだろう。しかし、真剣に考えすぎた結果、悲しみと喪失感の感情までも膨らませてしまったかもしれない。シンプルに生きたい。
またひとり 人が逝った つながりが近く 強い人ほど その悲しみは深く 大きいだろう 私には 気休め程度の言葉を かけることくらいしかできない それでも、そんな人間にも存在意義はある 皆が悲しみに沈んでいるとき、 未来を見つめる人間がいなければ 前に進んではいけないのだから
「何があっても自殺はダメだ、 生きていれば 良いことがある」 無責任な言葉だと思っていた 本人には生きることが どれほど苦しいのかを理解しているのか、と だが、遺される家族の悲しみを経験すると 考えさせるものがあると知った なんとか 生きながらの解決策を探せないものか…
本日は「かなしみ〜」を公開。 みんフォトアルバムで「ミトシ」と検索してご利用くださいませ🍀 では通院行ってきます(*`・ω・)ゞ