西岡泉

おもに詩を書いています。あとはプータローしています。

西岡泉

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フルカラーの物語(動画追加再投稿)

ルリ色の空は 赤ではなくて 青紫だよと 朝陽を浴びながら君は笑っていた         ニンジンの色は 赤ではなくて オレンジ色だよと ピザを食べながら君は笑っていた 黄昏は バラ色よりも 透明な方が好きと 星の駅の方へ君は走っていった エンターキーで 改行するようには 生きられない ほんとうは そうしたかったけど 筆箱の中に 空の色を入れておいたよ 君には内緒で  作詞:西岡 泉 作曲:関谷久之  うたと演奏:エグシグレン(Egshiglen) (ヘッダー画

    • ラバーなこころ

      私の決意は1ミリたりとも動きません? 1ミリだって? そんなみみっちいこと言わずに 1000キロでも 500マイルでも 好きなだけ動けばいいじゃないか いったい何を言いたいの? 1ミリだって? 動いたかどうか どうやって測るんだい? こころを定規で測れないだろ ずるしちゃだめだよ こころはラバー・ソウル ラバーは伸びたり縮んだり ソウルは魂 靴底でもいいけど こころが空っぽで ああ はち切れそうだ 1000キロでも 500マイルでも 飛んでゆくよ 君のいるところへ 電車

      • そんなこと

        砂場で 三人の子供たちが 自分たちよりも大きな穴を 掘っていた そんなことわかってるよ と言いあいながら 子供たちは 自分たちが掘った穴を 覗き込んでいた どうしても こころが通い合わない そんなことがある 書いた手紙を 出すかどうか迷う そんなことが 君にもあっただろう やりたくない そんなこと 人生はそんなことで満ちている その気になれば 変えることができる そんなこと 砂場の子供たちよ 掘った穴の底に何か見えたかい? そんなことないよ 愛してる 雲に約束した とにか

        • 夢のひと

          悲しいひとだけがいた ぼくの横に君はいない 悲しいひとがいるだけだ 悲しみを知ったひと 悲しい時に 悲しいと言ってはいけない? そんなことを言う詩人を 信じてはいけない 通りやすいところばかり通っていると 行きたいところに行けなくなる 夢のひと 夢のなかに君はいない 悲しい人がいるだけだ 君の顔をたしかに見た場所がある 心を合わせれば 行けたかも知れない オレンジ色に光る夕空の果て 君を呼び続けている 止まらない血のように 君は夢の方へ駆けて行った 君が君でなくなるくら

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        フルカラーの物語(動画追加再投稿)

          ヒマワリが車から降りてきた

          茶色い目をしたヒマワリが 車から降りてきた マリーゴールドも 後ろからついてきた わたしちょっと休みたいの 日当たりのいい部屋にしてね マリーちゃんは 庭で休んでらっしゃい ヒマワリをサンルームに案内してあげた 細い首の上で頭がゆらゆら揺れていた 大谷翔平のボブルヘッド人形みたいだった オレンジジュースを出してあげたら ストローで器用に飲んだ 私の種はまだ食べないで そう言ってまばたきしたら おおきな茶色い目から 涙がポロポロこぼれ落ちた ヒマワリの涙を 拭いてあげた

          ヒマワリが車から降りてきた

          五番目の季節

          笑い続けることはできる 泣き続けることができるなら 雨は降り続けることはできる 時間を忘れることができるなら ゆきたいところにゆくことはできる すべてを捨てることができるなら 企はこのようにいつも タイトルも与えられないまま取り換えられた 物語にはおわりがある うそにはおわりがないように 夢にはおわりがある 鉄格子にはおわりがないように 愛の唄にはおわりがある わかれにはおわりがないように おわりはこのようにいつも ねじれて訪れた 街では 靴下よりも安い優しさ

          五番目の季節

          日本国際救助隊

          どうしても書いておきたいことがある 私はアリをコップの水で溺死させたり、小さなバッタを冷蔵庫の製氷室で凍死させたり、カエルを2B弾で爆死させたりして遊んでいた。いったいどれだけの命を奪ったことか。そんな遊びに耽っていた子供の頃からずっと考えていることがある。それは、自衛隊を軍隊ではなくて、あの「サンダーバード」のような国際救助隊に変えることはできないかということである。「サンダーバード」とは世界各地で発生した災害や事故で危機に瀕している人々を救助する国際救助隊のことだ。ただ

          日本国際救助隊

          何かを置き忘れた朝

          何かを置き忘れたような朝 二人の少女が階段を駆け登っていた 既に過去となった未来が 今を目覚めさせる 将来は医者になるのが夢だった少年が 定年を三年後に控えたサラリーマンに なってしまっていた そんな現在の自分にがく然とする というようなことなのか そんなしょぼくれたことじゃないだろう 夕べ寝る前は明日だったはずなのに 夜が明けたら今日になっていた 今からどうやって生きていけばいいんだ と布団の中で目が覚めて ぼう然とすることなのか 言葉はいつも遅れてやって来る 過去

          何かを置き忘れた朝

          いいから言ってみな

          - ビートルズの “Things We Said Today“ に捧げる - 言ってしまったことは仕方がない 言わなければよかったと 今さら後悔したって仕方がない 想い出は消えても 言ってしまったことは消せない 取り返しがつかなくなっても仕方がない もう言ってしまったんだから そう言おうと思って 言ったんだろう? だからいいじゃないか 言わなかったことにして欲しい なんてこと言いだしたら 歴史になんないよ 歴史って ぼくらが言ったことが 一杯詰まってるんだろう? 言って

          いいから言ってみな

          泪橋

          目蓋をあけて見え始めてくる 消えかけの風景が好きだ 何があっても踏みとどまろう 近過ぎる夢から 繋げて 繋げて 遠過ぎる夢へ 泪の橋を架ける 風に結わえつけた ほどけかけの記憶 希望ヶ丘商店街の上に 朝焼け空が架かっていた 豆腐屋のおじさんが おばさんと一緒に作った朝一番の豆腐を 冷たい水から掬い上げてくれた 黄昏には 駅に通じる通りに灯りがついて 「ローレライ」のマダムが ほかほかのポークカツを テーブルに運んできてくれた ささやかな生活の秘密のなかにいた もう遭えなくな

          駆けてゆく少年

          少年は 樹木と夕陽と詩が好きだった 少年は樹木を愛し過ぎたので 彼の涙は夜露に似ていた 少年は夕陽を愛し過ぎたので 彼の頬は人に遇うと赫くなった 少年の言葉は少し異様だったので 詩を書くことはいつも少年を傷つけた 機械工場の片隅に 油にまみれた工具と おどけた瞳をもつ仕上工がいて それがかっての少年だったりする 彼の毎日は同じ繰り返しで 一週間が一年に思えたりする あすにはきょうがきのうになり あさってにはあすがきのうになり きのうときょうとあすのあいだから たいせつなも

          駆けてゆく少年

          空の雲の手入れをした

          冷蔵庫から ブルガリアヨーグルトを出す ナイフで輪切りにしたバナナを ヨーグルトの上に乗せる ジャムとシロップは気分次第 ネスカフェゴールドブレンドに 90度に沸かしたお湯を注ぐ頃 チーズトーストが焼きあがる 君はいつもコーヒーを飲み残し ぼくはいつもコーヒーを2杯飲みほす 庭に出て 空の雲の手入れをした ラナンキュラス・ラックスが 朝陽に光っていた 雲は過去形と現在形が 混じっていた 文法上は正しくても 本当のことを言わなくていいのか 地球は乾いていて 冬を忘れた言葉が

          空の雲の手入れをした

          夜が明けるときいちにちは終わる

          夜が明けるとき いちにちは終わる そう信じて生きてきた 息も絶え絶えの夢をみて 夜にはじかれ続けてきた 眠れないものは月の下に集まれ 空の音階に紛れて 海が密かに降りてくるのを待とう 明けがた 苔のように眠り込んでいる もうひとりの自分に逢えるから 飛行機のジェットエンジンが 夜の街を吸い込んでいった 幸せは温かい拳銃 ジョン・レノンの声が 空を掻き回していた 幸せは熱いのか温かいなのか 夏休み明けの朝のような うっとうしい物語が続いている 物語は終わらせなければならない

          夜が明けるときいちにちは終わる

          善助漂流記(旅は続く)

           善助の漂流物語はまだまだ終わらない。善助のほかにもうひとり海の冒険に駆り立てられたご先祖様がいた。名前を瀧本万吉という。  善助は妻の父方の先祖だけれども、瀧本万吉は妻の母方の先祖である。なぜか偉大なご先祖様はふたりとも妻の実家の先祖なのである。  瀧本万吉は1885年(明治18年)和歌山県の周参見で生まれた。善助と同郷である。善助が亡くなったのが1874年(明治7年)だから、その11年後に生れたことになる。  1916年(大正5年)、31歳の瀧本万吉は神戸を出港し木曜

          善助漂流記(旅は続く)

          善助漂流記(その4)

          (あらすじ)紀州は周参見生まれの若き船頭善助の物語。ラ・パスの浜辺で保護者コマンダンテと涙の別れをした5か月後、善助は初太郎と共にマサトランの港からアメリカ船で出航し、マカオを経由して、ついに長崎に着いたのだった。時は1844年1月(天保14年12月)。 ( 物語 その4)  善助は長崎に1年以上留め置かれた。奉行所でいろいろ取り調べられたうえ、踏み絵もさせられたという。鎖国という国法を破った犯罪者扱いである。翌1845年3月1日に善助は、ようやく長崎から故郷の紀州周参見に

          善助漂流記(その4)

          善助漂流記(その3)

          (あらすじ)天保12年(1841年)、善助たち13名を乗せた永寿丸は犬吠埼沖で難破した。太平洋をさまようこと約4カ月。永寿丸はスペイン船エンサーヨ号に救助され、全員無事にメキシコのカリフォルニア半島に上陸した。 (物語 その3)  カボ・サン・ルカスに降ろされた善助たち7名は、数日後にサン・ホッセという村に船で送られた。そこで他の2名とも合流し、13名のうち9名がサン・ホッセ村に集まったのである。  サン・ホッセ村の役人の取り計らいで、9名はそれぞれ村人の家に引き取られて

          善助漂流記(その3)