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50歳で、奇跡的に腹鳴恐怖症の症状を、本当の意味で理解して下さる先生と出逢い、その事を…

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50歳で、奇跡的に腹鳴恐怖症の症状を、本当の意味で理解して下さる先生と出逢い、その事をきっかけに考え方、捉え方が変わり生き方も変わりました。 只今53歳。腹鳴恐怖症、娘の吃音症、義母の介護などの日常を中心にnoteを更新しています。 お気軽にコメントして下さると嬉しいです^ ^

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生きづらさを愛と光へNO.1 心を軽やかに。

今日から「生きづらさを愛と光へ」というタイトルに変わった。 私は、生きづらさを40年も抱えて生きてきて、子どもの頃はかなり考え方も捻くれていたが、まさか50歳で、自分の生きづらさを本当に理解してくれる人が現れるとは夢にも思っていなかった。 人との出逢いや、言葉で、人生が変わる。 付き合う人で人生が変わる! それくらい衝撃だった。 それくらい、生きづらさが、愛と光に包まれていると感じれるということ。 振り返ると50年、まあ、もう数日で53年だけれど、途中からは夢のようにす

    • 生きづらさを愛と光へ!NO.45 うちの夫はやっぱり点、妻の私と中3の娘はやっぱり線だと、同じことをまた思ったって話。

      一度、夫のことを点、妻の私と娘を線と、随分前のnoteで書いていたことを思い出した。 このnoteである。 早っ!今年ももう夏休みが来る、と同時にもう7ヶ月が過ぎようとしているわけで、何と言う早さ?と思う。 あと2年程で定年の夫、私は以前、正社員やパートでも働いてきたが、子どもの出産や、義母の介護で仕事を辞めたり、パートに出たりを繰り返し、役員などもやりながらきて、今は介護からはほぼ手が離れ、家にいる状態である。 家にいると言っても、何にもしてないわけではないのだけれ

      • 生きづらさを愛と光へ!NO.44 十人十色とは本当によく言ったもの。

        自分自身、長崎県の田舎に住んでいるのでありますが、田舎に限らず、少子高齢化、見る限り、お年寄りが多いし、毎年の神社のお祭りなども段々と、子どもの数も減ってきて、祭りに出る子どもであったり、大人であったり、奉納相撲に出る子どもたちも、少ししかいないようで、よその地区から子どもを借りてこないと相撲が取れないとか、歳を取られて、引退したり、亡くなりれたり、人数が減っている。 それでも、これまでのように、祭りを執り行うのは、流石に無理があるのではないかと思う。 子どもたちはもちろん

        • 取り敢えず応急処置。効き目があるかないかはやってみないとわからない。 大玉トマトはなんだかんだ虫食い? でも、家にあったネットを切って、結束バンドで止めたらどうにかなった。赤いミニトマト2個発見。 色づく瞬間は見てないところで。 人の努力もきっと人が見てないところでやってるもの。

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        生きづらさを愛と光へNO.1 心を軽やかに。

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        • 取り敢えず応急処置。効き目があるかないかはやってみないとわからない。 大玉トマトはなんだかんだ虫食い? でも、家にあったネットを切って、結束バンドで止めたらどうにかなった。赤いミニトマト2個発見。 色づく瞬間は見てないところで。 人の努力もきっと人が見てないところでやってるもの。

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        記事

          生きづらさを愛と光へ!NO.43 物事が上手くいかないからこそ、学んだこと。

          一昨年の12月、私が急性出血性胃潰瘍からやっと少し落ちつきはじめた頃、弟が東京で30年間働いた某会社を辞め、長崎へUターンした。 初めこそ驚いたが、それまで、色んなことを相談してきた弟だったというのもあり、嬉しい気持ちが勝っていたのは事実であった。 姉弟仲は良い方だと思う。 それまでの話の流れから、一緒にカウンセリングの仕事をしていくということ、無農薬野菜を作って販売するというような話は何となく進んでいた。 一緒に、がキーワードであった。 勝手な私の思い込みだったのかど

          生きづらさを愛と光へ!NO.43 物事が上手くいかないからこそ、学んだこと。

          毎朝、毎夕、カラス語で、カアカアと会話しているカラス🐦‍⬛ 気がついたら、この青いトマト2個が無かった! 雨が続いて、畑に入れないのもあったが、カラスは賢いと言うし、人間も賢く知恵を絞らなければ。この後とりあえず家にあるネットを応急処置で張ってはみた。しばらく様子を見てみよう。

          毎朝、毎夕、カラス語で、カアカアと会話しているカラス🐦‍⬛ 気がついたら、この青いトマト2個が無かった! 雨が続いて、畑に入れないのもあったが、カラスは賢いと言うし、人間も賢く知恵を絞らなければ。この後とりあえず家にあるネットを応急処置で張ってはみた。しばらく様子を見てみよう。

          (有料記事・14)この私が有料記事をまた書こうと思う理由。

          noteを始めて3年3ヶ月が過ぎた。 有料記事を書き始め、こちらも早いもので14回、意外と書いているな〜という自分の中でのイメージである。

          ¥100

          (有料記事・14)この私が有料記事をまた書こうと思う理由。

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          生きづらさを愛と光へ!NO.42 ほぼ不登校で時々学校へ行く受験生の娘のために母親の私ができること。

          9年間、義母の介護をしてきた私だったが、結局、義母が介護老人保健施設に入ったのが4月半ばだったので、それからというもの、私の時間というものも急にできてきた。 とは言え、中3の娘は今では学校へ行かない日の方が多くなったので、母親の私がやっていることは、娘が保育園へ行っている頃とさほど変わらないなと良く思うのである。 娘には26歳の兄と24歳の兄がいる。 娘が小学生の時に、2人とも就職で県外へと行ってしまい、兄妹と言っても、ひとりっ子状態になって長い。 娘は、3〜4歳の頃か

          生きづらさを愛と光へ!NO.42 ほぼ不登校で時々学校へ行く受験生の娘のために母親の私ができること。

          生きづらさを愛と光へ!NO.41 「行動」ということを意識した瞬間から、行動ということを引き寄せているなと、実感したこと。

          今年は梅雨入りが遅かったが、ゴールデンウィーク明けから、梅雨にかけて、私の体調も思わしくなかった。 と言っても、梅雨時期は毎年そんなに体調も良くないので、まずまず普通と言えば普通のことである。 やる気のない日と言うよりも、体調がおかしい日が続いた。 結果、必要最低限のやるべきことをやって、無理をせず、疲れたら休むということを数日間続けた。 占い師の方にも助言されていた。 ゴールデンウィーク明けから、色々なことが重なり、やる気が出なかったことは確かである。 そのちょっ

          生きづらさを愛と光へ!NO.41 「行動」ということを意識した瞬間から、行動ということを引き寄せているなと、実感したこと。

          生きづらさを愛と光へ!NO.40 介護老人保健施設にいる義母のことも、受験生の娘のことも度合いは違うが、結局は気になっているんだと自覚した話。

          毎日こうも雨ばっかりだと、除湿機が毎日大活躍で、まあ、洗濯物は3人分なのでよく乾いてくれるし、最近は気持ちも少しづつ上がってきた。 6月はnoteを投稿した数も多いような気がする。 気持ちの整理をしたいのもあるからである。 今日は1ヶ月近く行けてなかった義母の面会へ行ってきた。 昨日の夜は近くの高校の学校説明会があったので、娘と2人で参加した。 男の子の双子ちゃんとママ友と一緒に待ち合わせて。 うちの息子たちの時は、学校説明会に行った記憶が残っていないし、恐らく行っ

          生きづらさを愛と光へ!NO.40 介護老人保健施設にいる義母のことも、受験生の娘のことも度合いは違うが、結局は気になっているんだと自覚した話。

          生きづらさを愛と光へ!NO.39 弟の50歳の誕生日に思うこと。

          昨日は弟の誕生日だった。 50歳の!! 自分も53歳のくせして、50歳になった弟に、50年も生きてきた、生かされてるって、凄いことよね〜って話をした。 私も50歳の時、節目だったと思い返した。 もちろん良い意味で。 あれから3年、振り返るとあっという間。 色んなことを考えて、今年もうちに呼んで、誕生日をお祝いした。 まあ、弟は色んな思いはあっただろうけど、色んなことが毎日忙しい? 忙しいとは思うが、結局はノリにノッているというのか、お祝いの前も、地区の寄り合い、実家の父に

          生きづらさを愛と光へ!NO.39 弟の50歳の誕生日に思うこと。

          生きづらさを愛と光へ!NO.38 梅雨入りが遅く、忘れていたが、実はこの時期がとても苦手だった…

          梅雨は苦手、何か具合が悪い、耳鳴りがする、気持ちが沈む、というようなことは、今まで生きてきて、結構そうだったのかも?と思う。 きっと、そんな方は沢山いらっしゃるんだと思うが… そうじゃないにしても、外に出てもどんよりしていたり、雨ばかりだと、気持ちも晴れないって、極普通のことかもしれない。 その中でも元気な人は、きっと楽しみをそれなりに見出せてるのだとも思う。 50歳の時のターニングポイントを迎えてからは、随分と考え方、捉え方が変わったが、2年前までは、とても辛い、耳

          生きづらさを愛と光へ!NO.38 梅雨入りが遅く、忘れていたが、実はこの時期がとても苦手だった…

          生きづらさを愛と光へ!NO.37 娘が生まれたことで学んだことは大きいと思うのは、夫も同じだった。

          先日、次男の入籍前の両家顔合わせに、彼女さんの実家のある宮崎まで行って、その後、色々な意味で流れが変わった気がする。 と言っても何も変わっちゃいないと言えば変わっちゃいないが、気持ちがである。 少しづつ前に進んでいる。 これからの大きなイベントとしては、次男の入籍、その後のお盆と、その途中にも色々な行事云々あるにしても、一つの区切りとしては、お盆が大きい。 それまでにどうにかできることはやっていきたい。 まあ、娘が受験生ということも我が家ではとても大きい。 宮崎から

          生きづらさを愛と光へ!NO.37 娘が生まれたことで学んだことは大きいと思うのは、夫も同じだった。

          生きづらさを愛と光へ!NO.36 noteで書く文章は、どこかの誰かが読んでくれていて、知らないところで心を動かしていることもある、のかもしれない…

          私は私の生きてきた、それだけの時間で得たものでしか、語れないし、生きてきた自分の道での経験からしか語れない。 この歳まで来ると(53歳)、人生100年時代で万が一100年生きたとしても、生まれた場所はいくら自分で決めてきたとは言え、その記憶はなく、どういう家に生まれ、どういう両親や祖父母に育てられたか、育ってきた環境ってものが、1番大きいと思うし、結婚してからも、どんな人と巡り合うかでその後の人生も変わってくるのだと思う。 結局は、たまたまではないのかもしれないが、たまたま

          生きづらさを愛と光へ!NO.36 noteで書く文章は、どこかの誰かが読んでくれていて、知らないところで心を動かしていることもある、のかもしれない…

          生きづらさを愛と光へNO.35 次男の入籍前に、宮崎まで、ご挨拶に行った話。(後半)

          前回の記事、(前半)と、話が前後するが、予定では、8日(土)に、長崎から博多までJRで行き、博多駅まで次男の車で迎えにきてもらい、宮崎に向かう予定だったのだが、次男の彼女さんのおばあちゃんが、数日前に亡くなったので、次男と彼女さんの住むマンションに泊まる日と、宮崎に泊まる日を急遽入れ替えた。 今回の宮崎旅行を兼ねた両家顔合わせも、一時は取り辞めと思われたが、彼女さんのご両親のご配慮で、結局は1日、日にちをずらして行かせていただくことになった。 旅行前に私たちが前もって準備

          生きづらさを愛と光へNO.35 次男の入籍前に、宮崎まで、ご挨拶に行った話。(後半)

          生きづらさを愛と光へNO.34 次男の入籍前に、宮崎まで、ご挨拶に行った話。(前半)

          今次男は、24歳。 今年中には、25歳になるが、宮崎の方と、ご縁があり、結婚する運びとなった。 と言っても、もう、2年くらい?次男は彼女さんと同棲中で、同棲する前も宮崎にご挨拶、いついつ結婚(入籍)させて下さいのご挨拶も行き、その他にも確か、彼女さんと一緒に行き、数回は泊まらせていただいている。   既にあちらのご家族とは、本当の家族か?と言うくらいに溶け込み、仲良くさせてもらっているようだった。 とても温かく受け容れていただいたようだ。 あまり詳しくは言えないが、一般

          生きづらさを愛と光へNO.34 次男の入籍前に、宮崎まで、ご挨拶に行った話。(前半)