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生きづらさを愛と光へ!NO.1〜

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愛と光の温かなnoteを綴っていきたいです。
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生きづらさを愛と光へ!NO.58 不登校支援事業の体験プログラムに参加して分かった、不登校の子どもたちのこと。

生きづらさを愛と光へ!NO.58 不登校支援事業の体験プログラムに参加して分かった、不登校の子どもたちのこと。

うちの娘は、今中3で受験生ではあるが、中2の最後あたりから、あまり学校へ行けなくなっていた。

娘は入学前は、中学校に行くことはとても楽しみにしていたが、いざ行ってみると、そうでもなかったのかもしれない。

部活も兄たちと同じバドミントン部に入ったが、親が思うほど、周りの子が頑張るからと、娘がその厳しさに、ついていってたわけじゃなかったんだなってことも、部活を辞めてから、娘と色々話をしていて分かっ

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生きづらさを愛と光へ!NO.57 登校を拒否することは、実は悪いことではないと、娘と自分を照らし合わせて思うこと。

生きづらさを愛と光へ!NO.57 登校を拒否することは、実は悪いことではないと、娘と自分を照らし合わせて思うこと。

自分が子どもの頃、ほとんど学校を休まなかった、昭和時代に生まれたから?
それも関係あるだろうね…
娘は平成生まれで、時代が違う。
今はもう既に令和。

時代は変化し、流れている。
私は学校に行きたいわけではなかったが、休む人はそんなにいなかった時代、厳しい親や、祖父母がいた、そこそこ、大家族だったから行けたのかもしれない。

明日熱が出ないかな?と思ってたら、出たこともあった。
それも一度か二度?

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生きづらさを愛と光へ!NO.56 noteの世界は、私の中の一つの居場所。

生きづらさを愛と光へ!NO.56 noteの世界は、私の中の一つの居場所。

50歳まで基本、他人軸で生きてきた私だった。
他人軸という言葉すら知らずに。
人生の節目だと思ったのが、ちょうど50歳の時だった。
それまでは長い50年、嫌、短い50年かもしれないが、自分の人生を振り返ったとき、何一つとして、自信もって、これやりました!と言うものがパッと思いつかなかった。

15歳で実家を出てからは、働きながら、高校、専門学校と行き、卒業し、就職した。
今思っても1人と言うよりは

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生きづらさを愛と光へ!NO.55 私が24歳でこの家に嫁いできた頃の義母への見方と、今アラフィフでの見方の違い。

生きづらさを愛と光へ!NO.55 私が24歳でこの家に嫁いできた頃の義母への見方と、今アラフィフでの見方の違い。

ここ最近は、義母からは手が離れたので、自分のやりたいことを優先しつつ、娘のことを最優先に考えてはいるものの、娘もなかなか頑固なのか、何なのか、娘本人の性格や気質的なもので、状況はすぐすぐ変わりそうにもない。

義母から、先日の面会の帰り際に言われた「頑張れよ〜」「お母さんの言うことは、ちゃんと聞かんば〜」と娘に言ってくれた一言二言だけれど、娘の心には、残念ながら響いてないんだろうなぁと思う。
何故

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生きづらさを愛と光へ!NO.54 夫と娘と私で、91歳義母の面会へ行く。

生きづらさを愛と光へ!NO.54 夫と娘と私で、91歳義母の面会へ行く。

この三連休を利用して、弟が仕事で滋賀にも行くと言うので、久しぶりに私と娘も滋賀に行こう!と気持ちは滋賀に行っていたが、今月の9日、義母の主治医の話を聞いて、結局取りやめた。

義母は今91歳だけれど、とても強い精神の持ち主で、前向きに生きる姿は、我が家の鏡と言って
良い。

今日は夫も休みでだったので、彼岸でもあり、夫、娘、私の3人でお寺に行った。
それから義母が食べれそうなプリンやヨーグルトなど

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生きづらさを愛と光へ!NO.53 母親の私が介護から手が離れたといって、中3の娘(受験生)の生活リズムは変わらない。

生きづらさを愛と光へ!NO.53 母親の私が介護から手が離れたといって、中3の娘(受験生)の生活リズムは変わらない。

91歳の義母が、ショートステイ先の施設から救急車で運ばれたのが、今年の2月24日だった。
それから、自宅から近くのかかりつけの病院へ転院し、そこからは、施設から、2人がかりで迎えに来て、連れて行っていただくという段取りで進めた。

と言うのも、義母は入院中も、時々家に帰りたいと言っていたからだ。
義母が救急車で運ばれた時、心不全、肺炎とどちらも命に関わる診断がされていたので、私たちはここでもまた、

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生きづらさを愛と光へ!NO.52 人間は幾つになっても、性格や気質、本質は変わらないんだろうけど、生き方は変わるって話。

生きづらさを愛と光へ!NO.52 人間は幾つになっても、性格や気質、本質は変わらないんだろうけど、生き方は変わるって話。

長い年月、自分で行動を起こすということが苦手で、積極的に動くということは、基本苦手とする、そんな幼少期から、何と50歳まで、他人軸で生きてきた自分。

10歳の時に実母が亡くなり、そのショックを受け容れることが結局できないまま、大人になってしまった。

その頃から、何故か、腹鳴恐怖症という名の生きづらさと闘って生きてきた。
正直言うと、対人恐怖症やあがり症というものも当てはまるのかもしれない。

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生きづらさを愛と光へ!NO.51 53歳の今の自分から、3年前の50歳の自分を振り返る。

生きづらさを愛と光へ!NO.51 53歳の今の自分から、3年前の50歳の自分を振り返る。

人生を生かされて、進んでいくと、必ず分かることがある。

自分は、50歳まで、どちらかと言うと、どんよりとした人生を送って来たのかもしれない。

しかし、子ども時代が良くなかったとしても、実家を出て働き、結婚して子供を産み、育て、自分も歳を重ねていくと、それなりに楽しいことも沢山あった。
きっと、それと同じ位、キツイことはあったと思うが。

人生って、何が正解なのだろうか?と思う。 

いや、自分

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生きづらさを愛と光へ!NO.50 にみりさんが仰っていた親としての複雑な思いが、今わかったって話。

生きづらさを愛と光へ!NO.50 にみりさんが仰っていた親としての複雑な思いが、今わかったって話。

お盆が嵐のように過ぎ去り、我が家も日常である。

今回のお盆は今までと少しだけ違っていた。
というのも、次男が、結婚してから初めてのお盆の帰省だからである。

長男はいつもより早く帰省して、こちらのお墓や、私の実家の方のお墓、お寺にも一緒に行ってくれたので、お盆らしきことは精霊流し以外は全部一通りやった。

次男は長男よりも4日遅く、長崎へ帰省した。

今回は、お嫁さん側の宮崎にも、結婚してから初

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生きづらさを愛と光へ!NO.49 次男のお嫁さんも一緒に帰省する初めてのお盆が終わる。そして、noteという温かな場所に戻る私。

生きづらさを愛と光へ!NO.49 次男のお嫁さんも一緒に帰省する初めてのお盆が終わる。そして、noteという温かな場所に戻る私。

今年のお盆は、次男が7月31日に入籍した後、初めて彼女さんがお嫁さんとなって、次男と一緒に帰省した。

長男は長男で、今年はたまたま、長崎の原爆の日から、休みを1日多めに取ることができたようで、長めの休暇で、原爆の日に間に合った。
思いはありながら、気持ちは黙祷を捧げながらその日は、私は買い物に出るタイミングとなり、長男は丁度運転中であった。

珍しく原爆の日に休みだった夫は数年ぶりに黙祷をしたと

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生きづらさを愛と光へ!NO.48 今年もお盆がやってくる。前準備と無事に終わった次男の入籍(結婚)、同日の義母の91歳の誕生日。

生きづらさを愛と光へ!NO.48 今年もお盆がやってくる。前準備と無事に終わった次男の入籍(結婚)、同日の義母の91歳の誕生日。

今年の夏はまた、一段と暑さが増しましたね。
何という暑さでしょうか…
特に、この家は日当たりが良いというのはあるにしても、昼間少し外に出ただけで、顔や手に痛みを感じる。
もう、色んなことが、地球上が、おかしくなってきていると感じる。
とても人ごとではない。

ここのところ、行事も立て続けで、3日はお盆前のお参りに、お上人さんが回って来られた。

年々時間が早くなっているということを、会話の中で尋ね

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生きづらさを愛と光へ!NO.47 やる気のない中3の娘とやる気のあるアラフィフの私が、今後どう変わるのか?

生きづらさを愛と光へ!NO.47 やる気のない中3の娘とやる気のあるアラフィフの私が、今後どう変わるのか?

夏休みですね〜
とても暑くて、家に居てもたまには、涼しいお部屋で涼まないと、いくらお塩を舐めてもお水を飲んでも、頭が痛くなりかけ、娘が、ずーっと涼しいお部屋にいるので、ありがたく涼みに行かせてもらいます〜

しかし、やる気がな〜い!と言っている娘は、少しだけやる気が出たのかも?かも?ですが、少し変わっていければなぁと思っています。

我が家では少しだけ行事が立て続けに詰まってまして、1日があっとい

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生きづらさを愛と光へ!NO.46 〜これから先の人生をもっと素直にそして、少しでも楽しく生きれたら〜

生きづらさを愛と光へ!NO.46 〜これから先の人生をもっと素直にそして、少しでも楽しく生きれたら〜

子どもの頃、田舎の山奥の一軒家に住んでいたので、現実の生活と、テレビで見る世界が全てだった。
それとちょっとしたラジオ。

田舎すぎて、昔で情報も少なかっただろうけど、映るテレビ番組が少ない上、家庭環境も良くなく、アニメや他のドラマや、見る番組も限られていた。

ちなみに、ヤッターマンやドラえもん、親が何も言わずに見せてくれたのはサザエさんのみだった。

最もよく見ていたのはNHKの、大草原の小さ

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生きづらさを愛と光へ!NO.45 うちの夫はやっぱり点、妻の私と中3の娘はやっぱり線だと、同じことをまた思ったって話。

生きづらさを愛と光へ!NO.45 うちの夫はやっぱり点、妻の私と中3の娘はやっぱり線だと、同じことをまた思ったって話。

一度、夫のことを点、妻の私と娘を線と、随分前のnoteで書いていたことを思い出した。

このnoteである。

早っ!今年ももう夏休みが来る、と同時にもう7ヶ月が過ぎようとしているわけで、何と言う早さ?と思う。

あと2年程で定年の夫、私は以前、正社員やパートでも働いてきたが、子どもの出産や、義母の介護で仕事を辞めたり、パートに出たりを繰り返し、役員などもやりながらきて、今は介護からはほぼ手が離れ

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