死について考える【59日目】

人生一度切りなのだから自分のために生きると、そう思って生きてきたけど、それは間違いかもしれない。

いや、間違いだろう。

なぜ間違いなのか。人のために生きなければ、自分のためにならないから、だろう。

そこまで確証はない。昨日今日感じたこと知ったことだから、これから実証実験をしていく必要があるからだ。

今までの経験からもわかるかもしれない。

確かに考えると、人に優しくすれば、人から優しくされ

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明日も多分、生きてる

ご存じの通り、

熊本県の県南地域(八代、芦北、人吉、水俣などの球磨川流域)や

鹿児島で大変なことが起こってしまいました。

ちなみに僕の住んでいる南阿蘇村は今の所異常ありません。

ご連絡くださった皆様ありがとうございます。

ただ同じ熊本県に住んでいる立場からすると、

お客様も多数いらっしゃる中、とても心が痛いです。

災害は毎年やってくる

毎年この梅雨時期や、台風がやってくる夏秋にかけ

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これからもよろしくお願いします!
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対象喪失

今日は,昔別れた彼女と訪れた公園に一人で行きました.この場所自体は2年ぶりということになります.とても広い公園で,自分たちが座っていたベンチを探したりしました(ほとんど見つかりませんでした).なんとなく歩きながら,ここは通ったかもしれないとか,この場所でプレゼントをあげたんだったなとか,忘れていた景色を重ねておりました.そうこうして,たしかにあのときあの小屋のベンチに自分たちは居たんだ,といえる場

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とても嬉しいです ありがとうございます
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母が30代で亡くなった。

どうもこーかです。

今日はタイトルの通りの話をするわけで、とても重い話になると思います。

まぁでもこうしてnoteで書けるということは本人の中ではある程度整理がついているということでしょう。

なぜこんな記事を書くのかわかりません。人の死を記事にするなという人もいるかもしれません。ですが書かなくてはならぬのです。なぜかはわかりません。

見たくなければ見なくても良いのです。あなたには選択の自由

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スキをしてくれるあなたが好き。

自分が殺される妄想

よくするんですよ。しません?

ふっつーに道歩いてて、
人が自分の後ろ歩いてるの苦手なんです。

何か怖いじゃないですか。

てか、普通に自分が目まぐるしい都会を
歩いてるだけでもちょっと怯えてる。

もしかしたらあの人がナイフを
隠し持ってるかもしれないし、

今自分の歩いてる周りにいる人が武器を持ってない
可能性がないわけじゃないじゃん。

自分は基本歩くの遅いんですけど、それは
多分後ろを警

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The best things are never in the past, but in the future.

社用で、30年ぶりの懐かしい道を歩く。

その会社には、1年くらいアルバイトに行った。
急に辞めてしまった人の穴埋めで、翌年新卒の人が入ってくるまでの繋ぎ。
私はまだ実家にいて、恋人との結婚に、いや訣別に迷っていた。
実家の経済は、前の倒産から次の倒産までの安定期だったが、父は相変わらず横暴で日常的に飲んだくれていて、怒号の絶えることはなかった。

旅に出る資金が貯まるまでの間、私の神経が休まる場

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ありがとうございます!
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大学の医学部で学ぶ全人的ケア

医学部では、終末医療についても学ぶ。

医学はもともと病気を治す。
ところが終末期になると治らないので、痛みを減らす緩和医療。
そこに心のケアをする。
肉体の痛みだけでなく、心の痛みについても対応しようとして、全人的ケアを考える。

20歳で癌が見つかり22歳で再発した女性の場合。
乳がん、若い人は進行が早い
インフォームドコンセント、病状や余命を伝えているかどうか。
家庭教師をやっている、真面目

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嬉しいです。もっとスキしてもらえるように頑張ります。

ワンネスという考え方。「全ては一つ」

ワンネス「全ては一つ」。

何を言っているんだこいつは。と思われたでしょうか。

胡散臭い宗教的な記事かな?と思われたでしょうか。

しかし僕は最近この考え方を知って、死が怖くなくなりました。その理由を、今日は皆様にお伝えしようと思います。

まず前提として、僕は宗教や科学的に証明できないことをあまり信用するタイプではありません。なので、現実的な視点からワンネスを見て、感じたことを書いていきます。

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読んでくれてありがとう!

#23【死が怖いあなたへ】死は尊く美しい

多くの人は「死」というものを忌避しているように思う。

死をすべての終わりと捉え、絶対悪と捉えているようにも思える。

しかし、僕はそう思わない。

死というものにある意味、尊さも感じる。

死とは生の終わりである。

誕生を祝うのであれば死を祝ってもよいと思うのである。

入学も卒業も等しく祝うのと同じように。

人生で一度しかないイベントでありすべての人が等しく持つイベントである。

「生」で

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ドストエフスキー
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最後のおばあちゃんが、これから亡くなる

今僕は、東京駅発の最終の新幹線に乗っています。

昨日妹から連絡がありました。
おばあちゃんがもうそろそろ危ないと。

何かの病気というわけではないのですが
もう食べ物を食べれなくなり、
血管も弱り点滴もできなくなってしまい、
もう死ぬのを待つだけみたいです。

僕の実家は神戸。
そして住んでいるのは東京。
「最後は見とれないのだろうな」
昨日はそんなふうに思っていました。

どんな人にも同じだと

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スキありがとうございます(⌒▽⌒)
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