死が迫った人への面会について

SNSで亡くなり際に会いに行くことについての意見を見ていて思ったこと。

普段、ちょっと会わない人が死に目に会いに来ることを、近しい人はあまりよく思わないのかもしれない。「元気なときにもっと会いに来ればよかったのに。」

でも、元気なときは「いつでも会える」と先延ばしにしがち。看取りをする必要の是非はともかく、生きているうちに会っておきたいというのは人情。そばにいる家族にとっては、意識がなくなって

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「死にたい」と言う

死にたいと思える環境の前提はすごいと思う

今日も死なない、殺されない

確固たる前提

その上にある様々な環境要因

それらは今日を生きたいとは願わせないらしい

「看仏連携」看護とお寺の出会い 人生最終盤から死後までの連携を

大阪・大蓮寺で1月18日、「看仏連携」という催しが開かれた。副題は「あなたの街のお寺が<人生会議>の舞台となるために」「<看護と仏教>地域包括ケア寺院の可能性を考える」だ。人生の最終盤を支える看護師と、ともすると死後のことだけ顔を出すと思われている僧侶が連携、協働することの意義、実際にどうするかを考える場だ。全国各地から集う約100人の参加者は僧侶と看護関係者がほぼ半々。4時間以上にわたり熱気あふ

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良いことあるかも^^


我々は、悲劇の主人公になりたがる、他人はその悲劇の主人公をまつり立てる、一過程にすぎない、繰り返す、が、我々はまた悲劇の主人公になりたがっている...。。。

我々を真に死に至らしめる者は、他人ではないことは皆さん先刻ご承知のことではあるが...。。。
これは、真に自分を殺すのは、命に手をかけるのは自分であるという意味の他に、また、自分を追い詰めるのはまた自分の思い込み(または偏った思想)であるということである...。。。

ははのしのはなし

もう何年前か分かりませんが、私が中学生3年生のとき
母が死にました。

いつも通りの朝でした。洗濯物を干している母に
その時付き合っていた彼氏を家に連れてきていいか
会話したのが最後だった気がします。

いつも通り学校に行って、家に帰ってきました。
母は働きにいってました。母子家庭でした。
家に帰ると妹と母の彼氏がいました。
当時、母は彼氏がいました。籍を入れるような話は出ていなかったものの
よく

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読んで頂き有難うござしました!
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火災の後、異次元で静養しているコアラたちに出会った夢

夢というのは脳内の妄想などではなく、実際に存在する異次元での体験を「普段生活している日常の仕様に無理矢理、翻訳して」記憶したものだ。
この事実に気づかなければ、私はスピリチュアルな仕事をしなかったというくらい「この世とは何かを理解するにも、夢は要」である。

幼少期から夢がとても鮮明だった私は、夢の中で様々な、この世以上に壮大で現実味のある経験を繰り返してきた。ただの夢と割り切ろうとした時期もあっ

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この世の25歳で一番「死」を観てきた僕が、改めて「死」について考えた

ども、日本初の花火葬ベンチャー、ユニークエンディングの大地です。

いやー、今日寒すぎましたね。

今日の気温3℃ 天気「雨ってか雪」

こんな極寒の環境においても海を愛する気持ちが勝る僕は、朝8時から船を運転してきました。圧倒的に寒さに弱い僕。吹雪にやられた僕は、相模川の上でだんだん眠くなってきちゃって、地元の友達や家族、嫁さんの顔が走馬灯のように流れていきました。

「このまま、海に還るのか、

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あなたを花火で打ち上げます!
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ありがとう!
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死を想うことは、生きるを想うこと。

死に方を時折、想うことがある。いや、違うんだ。別に死にたいわけではなくて、むしろ、その逆でモーレツに私は生きていたいんだ。

ただ、時々こう思うのだ。もしも、なす術もなく死が近づいてきたとき、私はどんなふうに死んでゆくのだろうか?いや、そうじゃないな。どうやって死のうかと、旅行のプランを考えるように、私はふと、物思いにふけるのだ。

昔見た映画のラストシーンで、こんな情景があった。

主人公の男性

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ストライーーーク!!
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