人が亡くなる、人が死ぬことへの一番の恐怖は、次に天国か地獄かどちらに行けるかの不安ではなく、どうなるのかわからないノーアンサーにあるのだと思う。 結局我々が生命の出発点のことを覚えていないこと同様、死を迎えた時も同じように不明瞭なのだと思う。 同じことは睡眠時にも起こっている。
円覚寺の南嶺老師の法話に こんな話が有りました 「赤い風船が針で刺されて 破れても心配はいらない 中の空気は外に出て行き 空の空気と合流するだけ 命も同じで 人は死んでも終わりにならない 大きな命と合流し また新しい命が生まれる」