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仏教 瞑想 東洋思想 西洋哲学 創作論 メンタル

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最近の記事

読書をする意義 情報による変容

 お坊さんが法話で「お経というのは仏様の話じゃなくてあなたのことが書いてるんですよ」と言っていた。確かにそうだ。般若心経には「この俺」が「色即是空」であることが書かれてある。お経というのは訳の分からない漢字の並びではなく、「この俺」の真実が書いてある。  東南アジアの仏教の原点回帰運動で、「法話だけで悟らせる」というのがあるらしい。アドヴァイタというヒンドゥー教にも「法話を繰り返し聞いて悟る」という伝統がある。修行をしなくても「情報を得る→悟る」ということが可能であるらしい。

    • なぜ天使なのか 詩 アニメ Vtuver

       「天使」という言葉をよく見かける。僕の世代だと、エンジェルビーツというアニメを見たオタクのミームに「天使ちゃんマジ天使」というのがある。近い所だと「NEEDY GIRL OVER DOSE」の主人公は天使だ。インターネット・エンジェル。  なぜ天使なのか。僕は詩を書いていても、よく天使という言葉を使う。「天使」に猛烈に魅かれる人は多いんじゃないだろうか。最近ではサブカル系の女子が「天使界隈」というファッションをしているらしい。  天使というのは「中間」である。人間と神との

      • やさしいひと 余りもの

         よく幼い頃から「優しい」と言われてきた。お人好しだと思う。でも内心では「良い人と思われたいからやっているだけ」とも思っていた。本当の善意なんか今まで一度もなかったかもしれない。だから善導の「三業を起すといえども名づけて雑毒の善とし、また虚仮の行と名づく」この雑毒の善という言葉が凄く腑に落ちた。  僕の周りはやさしいひとがたくさんいる。やさしすぎて、誰にでも体を許したり、毎日かかってくる電話を断れずにノイローゼになったりしている。多分「やさしい」には2種類ある。「嫌われるの

        • 見るということ 物質と他者

           僕が不思議に思うのは「存在していること」「言葉が伝わること」なのだけれど「見えること」も不思議に思う。哲学の言葉で言えば存在論、言語論、認識論になると思うけれど、知識の認識ではなく、この今目の前にあるものが知覚できるということがよく分からない。未だに「知覚」のメカニズムがどうなっているのかよく分からないのに、自分や他人が普通に生きているのもよく分からない。一回ゆっくり考えてみたかったので、書きながら考える。  マインドフルネスをしていると、全ての物が「生命」に見えたり「心

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        • まとめ
          96本
        • 詩論
          7本
        • 詩歌
          1本
        • 個人的なこと・恋愛
          33本
        • アフォリズム
          3本

        記事

          哲学と美しさ 政治

           「蜘蛛女のキス」という小説は面白い設定で、2人いる登場人物の1人が自分の見た映画の思い出を監獄の中で語っていくという小説なのだが、その中の映画に「異様に美しいナチスのプロパガンダ映画」というのがある。僕は映画に疎いのだけれど、ディズニーの反ナチズムの動画は見たことがある。ドナルドダックがナチスにこき使われるという風刺映像だった。こうやって美や娯楽で思想を吹き込むのは効果的だろうなと思う。「啓蒙思想2.0」というとても良い本があるのだが、著者は人間は理性ではなく感情で動くもの

          哲学と美しさ 政治

          人間とリズム 中原中也 コーラン 霊性

           中原中也が好きだった。久々に彼の詩集を読むと「何か違うな…」と思った。感傷ばかり書いていて、こういった詩よりも谷川俊太郎や田村隆一のような、哲学を歌うような詩のほうが自分の好みに合っているのだと思った。  けれど、読み進めるうちにやっぱり中原中也が好きだった。なぜだろうと考えると、リズム感が素晴らしく良い。全部すっと入ってくるリズム感で、文字面を追うだけで心地よく響いてくる。宮沢賢治は自然ばかり歌っていて、僕は情景をイメージするのが下手なのに、恐ろしいほど心に響くからなぜだ

          人間とリズム 中原中也 コーラン 霊性

          誰に向かって作品を創るのか?

           「自分のために創作をする」という人もいれば「他人のために創作をする」という人もいる。体質なのだと思う。自分の表現欲求やフェティシズムを充たしたい人であれば、自分のために創作をする。承認欲求に創作を従属させている人や、共感が欲しいという人は自己/他者のあわいに存在している。他人のために創作をするという人は、自己の作品で他人を喜ばせたいという利他の気持ちで作品を創っている。  ここに書いている文章は、思考の整理のため、あとは自己の思考が他人のためになればいいなと思って書いてい

          誰に向かって作品を創るのか?

          ニヒリズム 重さと色彩

           ニヒリズムって一体なんなんだろうか?この世は虚しい、生きている価値はない。究極的な価値がなくても、人生を肯定するか否定するかの選択肢はある。  僕は以前までかなり否定的だったけれど、最近になってようやく生きていることを肯定できるようになった。病や老いなどが重なると否定的になるのかもしれないが、今のところはまだ大丈夫そうだ。僕は極端に否定的だったし、今はかなりの程度肯定的なので、比較して何が変わったのか書き記したい。  変わったのは「思想」ではなく「重さ」と「色彩」だ。思想

          ニヒリズム 重さと色彩

          私は必ず死ぬ 

           以前の記事でも少し触れたが、ラリー・ローゼンバーグの「死の光に照らされて: 自由に生きるための仏教の智慧」という本が10月の初頭に出たので購入して読んだ。  マインドフルネスブームが収束したのか、最近はあまり瞑想についての本が出ないから楽しみにしていた。来月にもマインドフルネス認知療法に携わっている方の「マインドフルネスの探究: 身体化された認知から内なる目覚めへ」という、仏教から一歩引いた目線で、マインドフルネスにのみ焦点を当てて悟りを語るっぽい本が出るので楽しみだ。

          私は必ず死ぬ 

          詩の頭 美の頭 メンタルヘルスと文章

           詩作を始めてから、詩の頭になってしまった。20代前半の頃に短歌を詠んでいたのだけれど、その時も短歌の頭になっていた自覚があった。しかしあまり詩の頭という言葉は聞いたことがない。谷川俊太郎が「ポエムアイ」という詩を書いていて、自選集の後書きでも培ったポエムアイで詩を選んだと書いてあったが、似たようなものだろうか。僕の場合は瞑想をしていて、自己の思考や感情を常に観察しているので、詩の頭になっていることが自覚できただけだと思うけれど。  詩の頭になると、全てが詩の材料に見えてく

          詩の頭 美の頭 メンタルヘルスと文章

          愛着障害 宗教 ドストエフスキー 親鸞

           罪と罰は16歳の頃に背伸びして読んで、その時は全然面白くなかったのだが(再読したい)、印象的な部分だけ覚えている。  ソーニャは酷い出自で、売春宿で働いているのだが、清い心を持っている。自殺もしていないし、精神病棟にも入院していないし、淫蕩にも溺れていない。思えば、僕が関わってきたメンヘラは、みなこのような傾向をしていた。自殺する人もいたし、入院する人もいたし、セックス依存症の人もいた。みんな愛着障害の症状を呈していて、異性への執着が強かったり、人間関係に回避的な傾向があ

          愛着障害 宗教 ドストエフスキー 親鸞

          問いの哲学

           僕が好きな哲学者はニーチェ、バタイユ、ハイデガー、ウィトゲンシュタインである。他にもパスカルやデカルト、ヘーゲルなども好きだが、最近この4人に落ち着いてきた。  ニーチェは大人気の哲学者であるが、なぜそんなに重要なのかというと、一つの核心的な問いを発しているからだと思う。その問いとは「価値とは何か」である。おびただしい言説がこの問いのパラダイムから発生している。まず「人生は生きるに値するのか」という実存的な問い。noteを見る限り悲観的な人が多い。社会的なことでいうと「正

          問いの哲学

          哲学と神秘主義と信仰

           最近、哲学というものがやっと分かってきた気がする。古代哲学と近代哲学に分けると、古代哲学というのはソクラテスから始まる。ソクラテス以前のヘラクレイトスやパルメニデスも神秘主義だったという説もあるが、文献が少なくてよく分からない。少なくともソクラテスは相手の「思い込み」を宙づりにして「非-知」の状態へ置くことを目的としていたように思われる。プラトンの初期対話編は結論が出ずに突然終了してしまう。ソクラテスも、序文で引用したようなバタイユの台詞をいかにも吐きそうである。「私は何も

          哲学と神秘主義と信仰

          3種類の詩 芸術と私と社会

           詩には大きく分けて3種類あると思う。厳密にいうと、詩ではなく詩に対する態度。 1つ目は、自我が書いている詩。自我というのは「社会的な交通の便」のために存在している「機能」のことで、大人になるほどこれが大きくなっていく。大人になるとみんな狡く、薄汚くなっていくのは自我が成長するからだ。この「自我」で作品を創るということは、即ち「学校でいい点数をとる」ことだ。だから「この雑誌の傾向」などを研究して、その雑誌の傾向に合わせた詩で賞を狙いに行ったりする。「賞」というのは極めて社会的

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          自己犠牲について考えたこと イエス 宮沢賢治 ヴェイユ

           全ての死は「無意味」である。全ての死は犬死にである。  母親の葬式に参列した時、大勢の友人や仕事仲間が集まって泣いていたのを見て「人の価値というのは、葬式で泣いてくれる人の人数だ」とどこかで見かけた文章を思い出した。自分が死んだ時にどれだけの人が泣いてくれるだろうか?  僕は、キリスト教で一番救われているのはイエスその人であると思う。十字架に磔にされて死んでしまったが、2000年間もの間、ずっと葬式が続いている。たくさんの人が彼に感謝を伝えている。僕自身は無神論者で、神や

          自己犠牲について考えたこと イエス 宮沢賢治 ヴェイユ

          生・美・死 美学と生 瞑想と美

           真理は存在しない。神や伝統が死んだので、生きるための神話や物語が崩壊し、全員が潜在的なニヒリストになる。  海図なき航海の時代とか言われるが、本当にどう生きるべきかのマニュアルが一切存在しない。真と善は密接に関連しているが、真が崩壊したせいで善も危うくなっている。リベラリズムや個人主義というのは倫理を破壊する原理であるように思う。倫理というのは「共同体」の「風習」である。カントがいくら「定言命法」という嘘をついても、ニーチェの「倫理とは共同体の風習である」という真実の方が

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