げんにび

瞑想(マインドフルネス)で得た知見を共有したいと思っています 西洋哲学、歴史、心理学、…

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瞑想(マインドフルネス)で得た知見を共有したいと思っています 西洋哲学、歴史、心理学、文学など様々なジャンルを学んだので独自の角度から語れたらいいな 勉強がとにかく大好きなASDです 仏教徒

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何が全てを台無しにするのか? 哲学、芸術、笑い、資本主義について

 一言で言えば「自意識」である。  哲学、芸術を例にとる。  哲学を台無しにしたのは、ニーチェである。哲学に自意識が芽生えたと言ってもいい。ニーチェは根本的な疑…

げんにび
1か月前
88

理性は死んでいる 合理的なコミュニケーションをする方法

 「啓蒙2.0」という本が凄く面白かったので、関連してるっぽい書籍を読んでみた。「社会はなぜ右と左に分かれるのか」「ファスト&スロー」「認知バイアスの教科書」「影響…

げんにび
2日前
24

ヴィパッサナー瞑想と只管打坐の比較 方法とは何か

 只管打坐をしていたことがある。その流派では徹底的に「ただ坐る」ということが強調されていて、「元々解脱しているのだから、坐るだけ」と指導された。「正しく坐れてい…

げんにび
3日前
25

最近フォロワーが増えてきた まなざし

 僕は人より自意識過剰なので人より余計に気にしてしまうが、フォロワーが増えると書きたいことが書けなくなる。よく「客は全員野菜だと思え」とか言われるが、やっぱり数…

げんにび
4日前
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仏教徒の考える一神教

 フォイエルバッハは、神を人間の本質の対象化とした。そして人間の本質とは愛であるから、神は人間の「愛」を純粋にしたものとなる。神は人間が自分を投影した幻影である…

げんにび
5日前
15

逃走不可能性の原理

 哲学をどこから始めようかなあと考えていたが、逃走不可能という場所から始めようと思う。なにからの逃走かというと「このこれ」なのだが、このこれではよく分からないの…

げんにび
6日前
12

筋を通して生きる 動く墓場

 中国史が死ぬほど面白い。十八史略という歴史書を6巻の小説にしたシリーズを読んでいるのだけれど、今まで読んだどの物語よりも面白い。カラマーゾフの兄弟よりも進撃の…

げんにび
6日前
21

仏教の布教とかあれこれ

 仏教が広まればいいと思う。社会の底辺掲示板に11年間生息しているので余計そう思うだけだと思うが、若者のメンタルヘルスが終わっている。友人は4人自殺した。みんな10…

げんにび
7日前
25

これを知っておけばOKなこと

「足る」を知ると良いらしい。  知足という言葉は老子にもあるし、仏典にもあるらしい。ただ、老子は「今の分限で満足していなさい」という道徳訓なのに対し、仏者の言う…

げんにび
7日前
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苦しいのは自分がいると思っているから

 瞑想しながら散歩していた。思考が湧いてきて、ふと「なぜ苦しむのだろうか」と考えると「自分がいると思っているから」と返ってきた。こういうのを理解とか洞察と言うん…

げんにび
8日前
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仏教徒になるということ

 僕は自分を「仏教徒」と名乗っている。僕は幼少期から科学教育を受けた影響と、西洋哲学の勉強を行ったこと、日本の新興宗教が未曾有のテロ行為を行ったことから、宗教と…

げんにび
8日前
25

救いって観念だったね

 漠然と「救われたい」と欲望してきたが、巷で言われている救いというのは観念のことだった。  どういう観念か?「自己の惨めさから気を逸らせてくれる観念」である。 …

げんにび
10日前
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パルメニデスとヘラクレイトス ニーチェ 永遠と無常の調和

 ニーチェの「永劫回帰」の思想は、解釈の幅が相当に広い。永劫回帰自体は「今まで起きたことも、これから起きることも、全てが永遠に繰り返されてきたことであるし、これ…

げんにび
11日前
9

冷笑について考える

 寝れないので冷笑について考える。  冷笑家の心理解剖をすると、冷笑というのは、一言で言って「心理的引きこもり」である。例えば、金や異性や家庭や政治や宗教を信仰…

げんにび
12日前
19

肉体の理性 なぜ政治は堕落するのか 

 人間の脳は大きく二つに分けられる。直感と理性だ。デカルトからヘーゲルに至る啓蒙主義は直感を無視していたことに大きな誤りがある。このまま人々を啓蒙して、人々が「…

げんにび
12日前
23

不足とは過剰である

 釈迦は、糞掃衣というぼろきれから縫った服を着て、乞食をしながら遊行した。しかし、なんの不足もなく、世界で一番豊かだった。  うちの猫も同じように見える。服すら…

げんにび
2週間前
19

何が全てを台無しにするのか? 哲学、芸術、笑い、資本主義について

 一言で言えば「自意識」である。

 哲学、芸術を例にとる。

 哲学を台無しにしたのは、ニーチェである。哲学に自意識が芽生えたと言ってもいい。ニーチェは根本的な疑義を呈する。「なぜ真理を求めるのか?」これほど反哲学的で、哲学的な疑問はない。
 「哲学についての哲学」が生まれる。ニーチェの系譜学的方法を正統に受け継いだのはフーコーだと思うが、フーコーは学問が歴史的にどのように規定されているのかを示

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理性は死んでいる 合理的なコミュニケーションをする方法

 「啓蒙2.0」という本が凄く面白かったので、関連してるっぽい書籍を読んでみた。「社会はなぜ右と左に分かれるのか」「ファスト&スロー」「認知バイアスの教科書」「影響力の武器」「社会心理学講義」などを読んだ。基本的に実験をしてそのデータを解釈するような本ばっかりで、読むのが疲れた。まだまだ研究中の分野だが、結果的に「人間の理性はほぼ働いていない」ということになりそう。僕の印象だと「人間は習慣と偏見と

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ヴィパッサナー瞑想と只管打坐の比較 方法とは何か

 只管打坐をしていたことがある。その流派では徹底的に「ただ坐る」ということが強調されていて、「元々解脱しているのだから、坐るだけ」と指導された。「正しく坐れているか」というのが悟れるかの境目になるので、正しく坐れているかどうかのチェックを定期的に受けていた。「正しく坐れているか」は老師にしか分からないので、自分が正しく坐れているのかは悟れるまで分からないので不安だった。

 只管打坐の人は、瞑想を

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最近フォロワーが増えてきた まなざし

 僕は人より自意識過剰なので人より余計に気にしてしまうが、フォロワーが増えると書きたいことが書けなくなる。よく「客は全員野菜だと思え」とか言われるが、やっぱり数字が大きくなると気にしてしまう。人前に立って話すのが何より苦手だった。

 同じような悩みを抱えている人は多いっぽい。Twitterのフォロワーが1万人を超えているような人は、まず「身内垢」とか「サブ垢」とかを持っている。そして本垢は動かさ

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仏教徒の考える一神教

 フォイエルバッハは、神を人間の本質の対象化とした。そして人間の本質とは愛であるから、神は人間の「愛」を純粋にしたものとなる。神は人間が自分を投影した幻影であるから、その投影を取り戻すのがフォイエルバッハの唯物論である。

 僕も「神が自分に似せて人間を創った」のではなく「人間が自分に似せて神を創った」のだと思っている。特に一神教の神はそうだ。けれど、「人間の本質」というのは「愛」ではなく「自我」

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逃走不可能性の原理

 哲学をどこから始めようかなあと考えていたが、逃走不可能という場所から始めようと思う。なにからの逃走かというと「このこれ」なのだが、このこれではよく分からないので「今ここ」にしたい。不可疑性があるからだ。疑うことができない。認めざるを得ない。
 今ここというのはスピリチュアル界隈で手垢が付きまくっているし、アスリートなども「今を生きろ」とか言うのでわけが分からなくなっている。良い表現を考えていたが

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筋を通して生きる 動く墓場

 中国史が死ぬほど面白い。十八史略という歴史書を6巻の小説にしたシリーズを読んでいるのだけれど、今まで読んだどの物語よりも面白い。カラマーゾフの兄弟よりも進撃の巨人よりも面白い。

 項伯というあまり目立たない人物がいるのだが、その人物は以前に張良という人物にかくまってもらったことがあった。その張良のピンチが迫っている。今は互いに敵同士の軍に所属しているのだが、項伯は「張良だけは救わなければならな

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仏教の布教とかあれこれ

 仏教が広まればいいと思う。社会の底辺掲示板に11年間生息しているので余計そう思うだけだと思うが、若者のメンタルヘルスが終わっている。友人は4人自殺した。みんな10代だった。全員をケアすることは、物理的にも精神的にも不可能だ。全員に魚を配ることはできないが、魚釣りの方法を教えることはできる。仏教でなくてもマインドフルネスだけでもいいと思うが、資本主義アンチっぽい仏教の思想も同時に摂取することで効果

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これを知っておけばOKなこと

「足る」を知ると良いらしい。

 知足という言葉は老子にもあるし、仏典にもあるらしい。ただ、老子は「今の分限で満足していなさい」という道徳訓なのに対し、仏者の言う「知足」は全く意味が違う。仏教の「知足」は「足りていると知れ」だ。今までも、これからも、ずっと満ち足りている。

 今以外の時間にはどう頑張っても行けない。ここ以外の場所にはどう頑張っても行けない。この「絶対性」って何に例えたらいいのかな

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苦しいのは自分がいると思っているから

 瞑想しながら散歩していた。思考が湧いてきて、ふと「なぜ苦しむのだろうか」と考えると「自分がいると思っているから」と返ってきた。こういうのを理解とか洞察と言うんだろうけれど「恋人のことが不安なのは自分がいると思っているから」「父親との関係がぎくしゃくするのは自分がいると思っているから」「死が怖いのが自分がいると思っているから」「人に見られると怖いのは自分がいると思っているから」、と「苦しみ」に様々

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仏教徒になるということ

 僕は自分を「仏教徒」と名乗っている。僕は幼少期から科学教育を受けた影響と、西洋哲学の勉強を行ったこと、日本の新興宗教が未曾有のテロ行為を行ったことから、宗教というものに警戒感や懐疑を抱いている。今もである。
 輪廻や業などの前近代的概念は信じていない。観音菩薩が実在するとも思っていないし、文献学的に言って釈迦の言行がそのまま残っているとも考えていない。
 
 仏教に惹かれたのは、信仰を行わずに「

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救いって観念だったね

 漠然と「救われたい」と欲望してきたが、巷で言われている救いというのは観念のことだった。
 どういう観念か?「自己の惨めさから気を逸らせてくれる観念」である。

 そういう意味で、異性というのはうってつけの観念である。ヒトという生物は、異性を狂おしく求める。目の前に存在しないときも、常に頭から離れない。「性的な対象が自己の所有物である」という観念は、脳内を占拠しやすい上に、喜びを伴う。ただ一方で、

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パルメニデスとヘラクレイトス ニーチェ 永遠と無常の調和

 ニーチェの「永劫回帰」の思想は、解釈の幅が相当に広い。永劫回帰自体は「今まで起きたことも、これから起きることも、全てが永遠に繰り返されてきたことであるし、これからも永遠に繰り返される。」というものだ。過去に同じことが無限回繰り返されているならば、そして未来に同じことが無限回繰り返されるならば、一切は虚しい。何をしても意味がない。過去のパロディを延々とやっているだけだ。

 様々な解釈を見た。
 

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冷笑について考える

 寝れないので冷笑について考える。

 冷笑家の心理解剖をすると、冷笑というのは、一言で言って「心理的引きこもり」である。例えば、金や異性や家庭や政治や宗教を信仰している人を「くだらない」と一笑に付す。
 少し複雑な心理があるように思う。まず、世界や思想に対しての不信感が強い。何かに全力でコミットした上で挫折した経験があるか、そもそもコミットすることを恐れている。だから、何も「行動」をしない。行動

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肉体の理性 なぜ政治は堕落するのか 

 人間の脳は大きく二つに分けられる。直感と理性だ。デカルトからヘーゲルに至る啓蒙主義は直感を無視していたことに大きな誤りがある。このまま人々を啓蒙して、人々が「もっとよく考える」ようになれば、世界はより良い世界になると信じられた。どうも嘘だったらしい。
 ジョナサン・ハイトの有名な例えでいうと、直感が象で、理性は象使いのようなものらしい。直感というと分かりにくいが、僕はニーチェの「肉体の理性」とい

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不足とは過剰である

 釈迦は、糞掃衣というぼろきれから縫った服を着て、乞食をしながら遊行した。しかし、なんの不足もなく、世界で一番豊かだった。
 うちの猫も同じように見える。服すら着ていないし、所有物など一つも持っていないが、何も不足しておらず、悩みなど存在しないようにずっと寝ている。

 物質の多寡が「不足」と関係しないならば、一体不足とは何なのだろうか?答えは「言語の過剰」のように思える。
 人間の心というのは「

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