救いって観念だったね

 漠然と「救われたい」と欲望してきたが、巷で言われている救いというのは観念のことだった。
 どういう観念か?「自己の惨めさから気を逸らせてくれる観念」である。

 そういう意味で、異性というのはうってつけの観念である。ヒトという生物は、異性を狂おしく求める。目の前に存在しないときも、常に頭から離れない。「性的な対象が自己の所有物である」という観念は、脳内を占拠しやすい上に、喜びを伴う。ただ一方で、嫉妬や不安という必要のない感情も呼び込む。人の心というのは変わるものであるし、人に人は救えない。「その人」ではなく「その人の観念」に救われるのであるから、自分の状態が変われば観念も変わる可能性があるし、相手の状態によっても観念は変容するだろう。

 架空のキャラクターや「推し」というのは救いになり得る観念である。「熱狂」することで、自己の惨めさを抑圧することができる。キャラクターというのはこの世に存在しないので変化しないし、推しも恋人よりは安定しているだろう。今の人はどうか知らないが、昔のオタクは「〇〇は俺の嫁」と言っていた。昔、長門は俺の嫁と言っていた人が、今も長門の旦那であるとは考えにくい。一生キャラクターを愛せる人は幸せだ。ただ、少数の特異な性癖の人に限られると思う。80代になっても長門の旦那である人は一番幸せであると思う。

 ただ、やっぱり「神」とか「仏」とかいう観念の救済性能は強い。「絶対者」の「無限の愛」だからだ。「神から不変の愛を受け取っている」というのは人間の思いつく一番「幸福な観念」だと思う。意地悪く言うと「一番都合の良い妄想」である。「一番嬉しい」から、こんなにも長い歴史がある。僕は神はいないと思うが、神仏の観念が自己の惨めさを忘却するのに一番役に立つと思う。

 金や地位などの観念も救いになると思うが、不安定だ。まあ「人」よりは安定していると思う。
 若い人は、恋愛やセックスに救いを求めている人が一番多い、と個人的に感じる。一番アテにならない。最悪の選択肢だと思う。でも生物としての本能として、そう感じてしまうのも分かる。
 人に人は救えない。自力で自己の惨めさを抹消するか、他力の無限の愛の観念に溺れるしかない

気を紛らすこと。
人間は、死と不幸と無知とを癒すことができなかったので、幸福になるために、 それらのことについて考えないことにした。

パンセ

 

勉強したいのでお願いします