最近フォロワーが増えてきた まなざし

 僕は人より自意識過剰なので人より余計に気にしてしまうが、フォロワーが増えると書きたいことが書けなくなる。よく「客は全員野菜だと思え」とか言われるが、やっぱり数字が大きくなると気にしてしまう。人前に立って話すのが何より苦手だった。

 同じような悩みを抱えている人は多いっぽい。Twitterのフォロワーが1万人を超えているような人は、まず「身内垢」とか「サブ垢」とかを持っている。そして本垢は動かさなくなる。サブ垢のフォロワー数の方が多い人も見たことがある。
 「評価されるのが怖い」というのは誰しもある。いいねの数が少なかったら死にたくなってしまう。拒絶されている気分になる。だから戦略として
①ほかにアカウントを作る
②しょうもない日常ツイートをするアカウントにする
 というのがよく見られる。
 ①の他にアカウントを作る方法もいいんだけれど、本垢でツイートすると「あ、これこの人の会心のツイートなんだな」と思われるのが嫌でツイートしなくなる人が多い気がする。
 ②もいいと思うが、アカウントを大きくした意味がなくなって、アカウントが死んでしまう。

 noteのフォロワーが300人を超えたあたりから、noteを開くのが怖くなった。通知が着ていないと死にたくなった。瞑想で内観してみると「いいね来ない死にたい」と心が暴れていた。SNSってマジでメンタルに悪い。アイデンティティをアカウントにほぼ費やしているような人は、いいね数で一喜一憂しなければいけないし、飽きられたら捨てられるからどんどん過激になっていく。

 「人にどう見られているか」が大事な時代だ。でも人って人のことを全く見ていない。でも自分にそう言い聞かせてもやっぱり見られている気がする。人の「評判」を気にしない人って存在しないらしい。数十人の部族の中で評判が落ちることは死に直結するから。

 他人の「まなざし」というのは、実は自分の心の中にしかない。このブログの月のPV数は数万だが、そのまなざしが全て僕を突き刺しているわけがない。「他人に見られていると僕が思っている」だけだ。だから他人のまなざしというのは、他者を変えなくても、自分の「思い」を変えるだけで変えられる。実際に、一時期僕は非常にnoteが書きづらかったが、マインドフルネスで自己の内部にある「他者のまなざし」を観察していくと、なんともなくなった。

地獄とは他人である。

サルトル

この記事が参加している募集

noteのつづけ方

勉強したいのでお願いします