肉体の理性 なぜ政治は堕落するのか 

 人間の脳は大きく二つに分けられる。直感と理性だ。デカルトからヘーゲルに至る啓蒙主義は直感を無視していたことに大きな誤りがある。このまま人々を啓蒙して、人々が「もっとよく考える」ようになれば、世界はより良い世界になると信じられた。どうも嘘だったらしい。
 ジョナサン・ハイトの有名な例えでいうと、直感が象で、理性は象使いのようなものらしい。直感というと分かりにくいが、僕はニーチェの「肉体の理性」という言葉がピッタリだと思う。進化論的な肉体には、それ自身の理性がある。「肉体の理性」の問題は、進化というのは古い物の上に新しい物を積み重ねるだけなので、ごちゃごちゃにとっ散らかっていることだ。
 例を挙げると、しゃっくりというのは、オタマジャクシが肺呼吸とエラ呼吸を切り替えるときの名残りらしい。他にも様々な実験があって、全く同じの素材のタイツを女性に選ばせるとなぜか全員右端のものを選ぶとか、男性に女性の写真を数枚見せると、より目を見開いた女性を魅力的だと答えるとか。理由を問うと「質が良い」とか「好み」だとか、勝手に理由をでっちあげる。

 認知バイアスという言葉が受け入れられてきているけれど、一番不味いのは「確証バイアス」と「信念バイアス」だと思う。

仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと。

 Twitterの政治垢を見ると、全くの正論や、主張に反するデータがリプライで提示されているのにも関わらず、全く自己の主張を曲げない人間をよく見る。人間の「主張」というのは「感情」が主なのであって、合理的に考えられたものではない。怒り、憎しみ、喜びなどの感情があり、その感情をか弱い理性が粉飾する。近代以前なら、暴力で片付いた問題もたくさんあるだろうが、近代以降は「対話」をしなくてはならなくなった。そしてその「対話」というのは「自分の感情を通す」ことが第一に優先され、合理性や真理性は無視されるので、結局終わりが見えない。

 広告や政治の世界でも、「象」「肉体の理性」「進化の杜撰な結果」を騙す試みが様々になされている。20世紀以前の広告業界は、一つの商品に長々と数百文字のメリットを書いていた。徐々に文章量が減って、今ではもはや画像と音声だけになっている。「合理的に消費者に説明しても意味がない」ということに気づいたからだ。感情的なイメージを反復するほうが、宣伝になる。
 合理的な思考というのは進化の副産物であり、極めてコストが高くつくらしい。脳は面倒くさがるので、軽く実行できる動物の脳で情報を処理しようとする。

 「よく考える」というのは代替案にならない。ほとんどの人間は、日常生活でよく考えることが難しい。岸田首相が増税メガネと呼ばれているが、僕はソースに当たっていないし、なぜこんなに物価が高くなっているのか、詳しいメカニズムを知らない。ただ、メディアとSNSが「岸田 増税 物価高」を連呼するので、なんとなく岸田が増税をするから物価が高くなっていると思っている。印象でしかない。「本当のこと」は分からない。僕は経済学にも国際政治にも疎いので、印象操作されている可能性もある。これぐらい、僕は合理的に考えることができない。

 啓蒙2,0という本では環境を整えるといった提案がされていたが、それも難しいと思う。プラトンも孔子も「道徳的聖人の独裁」を理想だとしていたが、正直僕もそれがいいと思う。もうデマゴーグが酷すぎて、何がなにやら分からない。「感情」が全てなので、口の上手い奴が勝つ。

 近代の啓蒙主義は失敗だったっぽい。みんな自分が「理性的」だと思うようになってしまった。

 お釈迦様は「権力に近づくな」と言っているが、なんか僕にも勝手に微力な権力が付与されているので、どうしたらいいのか分からない。降りたいけれど降りられないし「マインドフルネスでアンガーマネジメントをして政治や経済の勉強を徹底的に行い、投票をする」をしても1票にしかならないのが虚しい。政治の事を考えると無力感でいっぱいになる。
 デカいことを考えるより、自分がやるべきことをすることしかなさそうだ

勉強したいのでお願いします