何が全てを台無しにするのか? 哲学、芸術、笑い、資本主義について

 一言で言えば「自意識」である。

 哲学、芸術を例にとる。

 哲学を台無しにしたのは、ニーチェである。哲学に自意識が芽生えたと言ってもいい。ニーチェは根本的な疑義を呈する。「なぜ真理を求めるのか?」これほど反哲学的で、哲学的な疑問はない。
 「哲学についての哲学」が生まれる。ニーチェの系譜学的方法を正統に受け継いだのはフーコーだと思うが、フーコーは学問が歴史的にどのように規定されているのかを示した。「メタ学問」だ。もうこうなると死ぬ。「真理とは何か?」「いかに生きるべきか?」という真っ当な哲学は完全に死ぬ。
 もっと言えば、「生」が哲学という自意識によって堕落している。ソクラテス以前の古代の意識は極めて健全だった。「いかに生きるべきか?」「自分とは何か?」というソクラテス的自意識は、健康な意識を破壊する。
 哲学は生を毀損する。しかし一度でも自意識に取りつかれたらもう止まることができない。哲学はニーチェによって自壊するが、その後も壊れ続けている。
 最近ヘーゲルが再評価されているらしいが、歴史における精神の「自意識」というものを、近代の真っただ中で研究していたからだと思う。

 素朴な芸術意識がある。神を描く。人を描く。風景を描く。シュルレアリスムもいいと思う。芸術ってなんでくだらなくなったの?と聞くと、全員口をそろえて「デュシャンからおかしくなった」という。買ってきた便器を飾って「泉」というタイトルをつける。「これでも芸術なのか?」「芸術ってそもそもなんだ?」という挑発的な自意識がある。ここから壊れた。「芸術」が「芸術とは何ぞや」という自意識を持つと、死ぬ。みんなが本能、直観で楽しんでいたところに冷や水をぶっかけて、混乱させる。誰も芸術とは何か分からなくなる。
 芸術と政治を混ぜるのが流行らしい。社会的申し立てをするようなものが流行っているらしい。「芸術は死んだ」のだから、「役に立つ」ものしかいらなくなったんだろう。一番役に立つのは政治だ。政治というのは権力の分配だから、「芸術と言い張っているもの」で「社会にNO」を突き付けることで、金持ちに一定の影響があるのかもしれない。もうオワコンだから、それぐらいしか能がない。くだらないと思う。

 そういえば哲学者もずっと政治の話をしている。プラトンの対話編の中で、ソクラテスは「若者に哲学を勧めるな、若者は政治をするべきだ」と論難されるが、なんか屁理屈で言い返していた。哲学は役に立たないからこそ価値があったのに、フーコー研究者もドゥルーズ研究者も左翼的なことばかり言っている。多分、死んだら政治に寄生するしかなくなるんじゃないか。

 宗教は死なない。自意識がないから。スコラ哲学や神学、仏教哲学などは宗教の自意識と言えるかもしれないが、根幹が、絶対に自己を意識できないようになっている。「聖書に神は存在するとかいてあるから存在する」という根幹は、揺るぎようがない。「法華経に法華経は正しいと書いてある」という信仰に自意識はありえない。サルトルは、全ての意識は自己意識を伴うので信仰は不可能だと書いているが、実際に信仰が成り立っている以上、サルトルの前提が誤りであり、「信仰は全ての自意識を排除する」というのが正しいと思う。神にメタはありえない。
 仏教も死なない。瞑想にメタはありえないとか、いろんな切り口があるだろうけれど、一番は「無常にメタはない」「無常に自意識はない」ことだと思う。「無常とは何か?」という問いは無常だ。無常は自意識よりメタな存在である。自意識は無常なのだから、無常を原理とする仏教は死なない。

 最近、しくじり先生で「大学お笑い」が流行っているという主張を鬼越トマホークがしていた。お笑いなんか高卒の何も持ってないバカがやってなんぼなのに、インテリがお笑いに侵入してきた。実際に慶応大学の令和ロマンがM-1で優勝している。この流れは結構まずいんじゃないかと個人的に感じている。ドリフという非常に素朴な笑いがあった。誰でも笑える。「バカやってらあ」という笑いがある。松本人志以降、多分結構笑いが複雑になってきていて、今は永野が一番複雑な笑いをやっていると思う。で、そういうところに「大学お笑い」が「笑いとは何ぞや」みたいなことをやりだしたら、日本のお笑い文化が死んでしまうんじゃないかと少し危惧している。ラランドとか令和ロマンみたいな、頭の良い策士的な人間が「お笑い文化」に「笑いとはなんぞや」みたいな爆弾を置いたら終わってしまう気がする。
 ただ一方で、お笑いには「バカ」という強みがある。バカに自意識もメタもない。

 「文化の自意識」は、僕は悪いものだと認識している。冷や水ぶっかけるのやめて欲しい。ただまあ歴史的必然性というか、構造的な必然性があるんじゃないかとも思う。

 資本主義が死なない構造的な理由は、「資本主義とは何ぞや」という問いが「金になる」からである。資本主義の自意識は資本主義に回収される。

 自意識って微妙な問題だ。自意識を持った人間は自殺するべきだし、実際に自意識で自殺した人もたくさんいるが、「神」「無常」「バカ」「金」など、自意識より高位にあるものを生きることができれば、自殺しなくても済む。

ムカデさん、ムカデさん、そんなに足がたくさんあってよく足がもつれないね。
アリさんにそう言われたムカデさんは、歩き方を考えだしたら足がもつれて歩けなくなってしまいました。

勉強したいのでお願いします