理性は死んでいる 合理的なコミュニケーションをする方法

 「啓蒙2.0」という本が凄く面白かったので、関連してるっぽい書籍を読んでみた。「社会はなぜ右と左に分かれるのか」「ファスト&スロー」「認知バイアスの教科書」「影響力の武器」「社会心理学講義」などを読んだ。基本的に実験をしてそのデータを解釈するような本ばっかりで、読むのが疲れた。まだまだ研究中の分野だが、結果的に「人間の理性はほぼ働いていない」ということになりそう。僕の印象だと「人間は習慣と偏見と感情と少しの理性を持つ動物である」という感じだ。

 なんか今まで抱いていた疑問が氷解した。社会を執拗に叩く弱者男性も全て親のせいにするメンヘラも統計を無視するフェミニストもグロテスクな写真をアップロードするヴィーガンも頑なに非を認めないインフルエンサー等を見ていて「一体人間ってどうなっているんだろうか?」と思っていたが、人間というのは感情が喋っているだけだった。なんで人間は合理的な存在だと思っていたんだろう?科学教育の影響かな?
 「人間は合理的である」というイデオロギーが蔓延しているのは、世界中が「民主主義」を選択していることからも分かる。「人間は習慣と偏見と感情の塊である」という見解からは、民主主義は出てこない。
 プラトンやアリストテレス、孔子は民主主義など絶対に反対だった。民衆は「感情」でソクラテスを殺したので、プラトンは衆愚政治を憎んでいた。
 
 僕は昔から民主主義に違和感を覚えていたが、それを伝えると「なんで?独裁者が出てもいいの?」と聞かれることが多かった。その時は「じゃあ君は何かの政治的見解があるの?」と聞くとみんな何もなかった。それが答えだと思った。政治を勉強するほど暇のある人は少ない。

 政治について思い悩んでもあまりいい答えは出ないっぽいので、生活のことを考える。
 最近、恋人との関係で悩むことが多い。生理前に精神が不安定になるPMSの傾向があり、ここ2週間ぐらい抑うつ、イライラ、小康状態を繰り返している。僕がアスペで「言葉をそのまま受け取ってしまう」のも大いに関係していると思うが、すれ違いが多い。

 尊敬しているプラユキさんのツイートが分かりやすかった。自分が感情に巻き込まれている場合は、相手の「言葉の表面」しか見えない。一方、感情と距離を取って、相手の「感情」と対話することで、お互いに分かり合える。僕はASDなので、余計にこのことを気をつけなきゃいけないと思う。
 多分「感情から出てきた言葉」より「感情そのもの」の方が大事な場面ってたくさんある。
 例えば、何もしていないのにSNSで執拗に攻撃してくる人がたまにいるんだけれど、その人の言葉じゃなくて、感情を観る。想像しかできないけれど、多分心が傷ついているのだと思う。そうすると無視することができる。

 自分の心に空間というか、余裕がないと、相手の感情を想像する余地がなくなる。「人間は感情が喋っている」という見解は、無意味な喧嘩を減らすことに役に立つと思う。

私が聖者であるわけではない。彼が愚かであるわけではない。お互いに凡夫でしかないのである。

十七条憲法
聖徳太子

勉強したいのでお願いします