筋を通して生きる 動く墓場
中国史が死ぬほど面白い。十八史略という歴史書を6巻の小説にしたシリーズを読んでいるのだけれど、今まで読んだどの物語よりも面白い。カラマーゾフの兄弟よりも進撃の巨人よりも面白い。
項伯というあまり目立たない人物がいるのだが、その人物は以前に張良という人物にかくまってもらったことがあった。その張良のピンチが迫っている。今は互いに敵同士の軍に所属しているのだが、項伯は「張良だけは救わなければならない、そうでなければ俺は人間でなくなってしまう」と思い、敵軍と密通する。張良に脱走を勧めるが張良も張良で「劉邦(ボス)には世話になっているから裏切れない」と断る。
熱いよ!義理堅い。格好いい。痺れる。
受けた恩は返す。なぜ?究極的な理由はないんだろうけれど、筋を通さなきゃならないんだと思う。返報性の原理とかで説明できるんだろうけれど、そういうもんじゃない気もする。
僕は障碍者の無職なのでインターネットで「親不孝」と罵られることが多かった。正直一番しんどかった。自殺したくなった。親から貰った恩は計り知れない。まず「命」を貰っている。赤ん坊の時には世話をしてもらったし、食べ物も恵んでもらっているし、住む場所もある。精神的な愛情もたくさん貰ったと思う。受けた恩は返さなければならない。論語を読むとしつこいぐらい「孝行しろ」と書いてあるが、人間中心主義の中国では「先祖や親」というのが一番分かりやすい「恩」の形だったのだと思う。
無職同士で話している時に「なんで生きているの?」と問うと「親が生きているから死ねない」と言われることが結構ある。「親孝行」って昔よりは言われなくなったが、心情としては残っていると思う。
僕は絶対に親孝行をしたい。お金を稼ぐのが厳しいけれど、このブログのサポートで頂いたお金で、去年の父の日に酒をプレゼントしたら、父親は泣いていた。そんなことで受けた恩が返せたとは全く思わないが、どうにか頑張りたい。生きるモチベーションになっている。
今は「毒親」という言葉が流行っている。他人の家庭の事情は分からないけれど、ツラいことがあったんだと思う。毒親持ちの人は希死念慮を抱いていることが多いが「返す恩」がないから死にたいんじゃないか。生きるモチベーションがない。不幸なことだ。反出生主義の人は「出産」を「暴力」だと思っている。僕は恵みだと思う。どちらが正しいとかはないと思うんだけれど、生きていることが呪われている状態というのは哀しいことだと感じてしまう。
キリスト教圏に住んでいる人は多分「神の恵み」に恩を返すんじゃないかと思う。行ったこともないし、現地の知り合いもいないが、原理的に言えばそうなる。そもそも「神」が宇宙を創造して、人間も創造した。この時点で返せない借りがある。アダムが勝手に林檎を食べて人間に「原罪」が刻印されるが、イエス様が人間の原罪を贖ってくださった。イエス様には頭があがらない。イエス様のために生きる。
浄土教というのも全く同じ構造になっている。
「なんで生きてるの?」という問いに「筋を通したいから」という答えはアリなんじゃないかと思う。自殺したら筋が通らない。
2021年に書いた文章を思い出したので貼ろうかな
勉強したいのでお願いします