題名『あと、いっかい』

題名
『あと、いっかい』

(約3705文字あります)



 幼い頃、回数は少ないけれど父とキャッチボールをして遊んだ記憶が強く残っている。

 家の横の細い砂利道で毎日のようにいろんなことをして遊んでいた。市道だけど車がギリギリ入れる道路で滅多に車は来ないから僕の遊び場になっていた。
 本当は危ないから遊んじゃダメだと両親も近所の大人にも言われていたけど、この辺の子供たちはボール遊びや縄跳びをする時にこの道路をよく使っていた。

 父はある事故で右手の四本の指の先が無い。まともなのは小指だけ。
 僕が幼い頃に仕事の機械で大ケガをして指を失ったらしい。
 指が無いことが可哀想だと思っていたこともあったけれど、いつしかそれが当たり前になっていた。でも友達にそれを知られることが平気だったかと聞かれれば違う。どうしても隠したいとは思っていなかったけれど、友達が父を可哀想だと思うことはなんか嫌だった。
 父は可哀想な人間じゃない。僕が尊敬する立派な人なんだと言いたかった。
 
 それでも、指がないから食事もぎこちない左手でいつも食べている。
 キャッチボールも左手ではまともに投げられない。
 だから僕は父にキャッチボールをねだらなかった。それは父への気遣いだったのかもしれない。
 それでも、たまに父は左手でキャッチボールの相手をしてくれたことがあった。そして乗ってくると父は指のない右手でボールを投げ始めた。
 かなり投げづらそうだったけれど、数センチ残っている指でボールをつかんで、指先の無い手で僕よりも強いボールを投げていた。

 父と何かをして遊ぶとしたら夕方が多かった。
 それは父が昼からビールを飲んで酔って眠っていたから。
 起きるのが昼下がりの3時を大きく回っていて、それから僕の執拗なお願い攻撃で動きだして、それでも大抵は自分のバイクを丁寧にタオルで拭いて磨くのがいつもの父のルーティンだった。

 滅多に父は僕の相手をしてくれなかったけれど、僕はいつも父にお願いはしていた。

 ゲームや工作や縄跳びなどをやろうって父にはよくお願いしていたけれど、野球アニメやプロ野球を見たあとはキャッチボールを無性にしたくなる日があったんだ。
 
 そういう日は恐る恐る?父にお願いをしていた。無理は言わないように、うかがうようにお願いした。

 あの日、父をなんとか説得してキャッチボールの相手をしてくれるって言わせてから二人が外に出た時間は、もう夕方の4時か5時ににはなっていたと思う。
 少し日暮れが早くなった秋だった。

 ただのキャッチボール。
 投げたり受けたり。
 それだけなのに子供の頃は夢中になった。
 すぐに止めて家に帰ろうとする父を何度もひき止めて、
「あと1回、あと1回」
 それを永遠のように繰り返した。

 いつしか空は茜色になり、暗くなり始めた頃に母が来て、夕食が出来ているから早く帰りなさいと僕を叱った。
 父はやっと解き放されてホッとした笑顔をしていた。
 
 実は父と遊んだのはそんなに多くない。
 父は家族と遊ぶタイプではなく、いつも一人で何か(昔は日曜大工と言っていた)を作ったり、掃除したり、大好きなバイクを拭いて磨き上げることが大好きで、とにかく一人で黙々と作業をするのが好きな人だった。

 キャッチボールも回数は片手に満たないだろう。
 だから、僕はキャッチボールが出来た日はやめたくなくて、必死に日暮れまで粘って、
「あと1回」
 その言葉を言い続けていた。

 本当に必死に、終わることが怖くて、またが無いような気がして。

 だから、あの茜空や日暮れの景色が今でもすぐに思い出せる

「おとうさん」





「この数日が山かもしれません」

 医師からそう告げられた。
 父は88才。認知症の悪化で入院していたが、ここにきて老衰がかなり進行したようだ。
 私は受け止められなかった。
 
 去年、母が亡くなっていて、続けて父までも?

 そう簡単に受け止められるはずがない。結婚していない僕にとって最後の家族なんだから。

 実は数日前に父は死にかけた。
 なんとか持ち直していた。
 そしてまた悪くなってきたのだ。

「あと1回、もう1回」
 
 頑張ってくれって祈っていた。

 面会に行くと、いろいろな管は付いていたけれど父は元気そうで、僕を見るといつものように罰が悪そうな苦笑いをする。

「何か食べたいものある?」
 僕が耳の悪い父のために大部屋のほかの患者さんには迷惑だけど大声でそう聞いたら、
「うなぎ!、ビール!」
 そう元気に答えた。

「そっか、うなぎかぁ~、ビールかぁ~」
 うなぎ味のお菓子とか食べられないだろうなぁ。ノンアルコールビールをとろみ付けても飲めないのかなぁ。
 そんな独り言を言って、父に昔のキャッチボールの話をした。

 父は去年亡くなった母のこと、つまり自分の妻のことさえ忘れている。覚えていないのだ、悲しいことだけど。

 だけど、キャッチボールの話をしたら少し表情が変わった。
「おまえはしつこいからなぁ」
「あと、いっかい」
「あと、いっかい」
 そう言って笑った。

「覚えてたんだ」
 そう言うと、また、
「あと、いっかい」
「あと、いっかい」
 そう言って僕をちゃかして笑っていた。

 その日はなんとか父は無事だった。
 でも、父と僕の間に橋というかトンネルが出来たような気がした。それは嬉しかった。

 ほとんど父と遊んだ記憶すらなかった僕だけど、本当は父が僕に遠慮していたんじゃないかって気がしている。

 幼い頃の僕は母が大好きでいつも母と一緒にいたから。遊ぶのもいつも母と遊んでいた。
 父はどこか僕にはよそよそしくて遠慮している気がしたのは子供の頃からだ。
 大きくなってからは僕は友達をやはり優先していたから父とは自然と距離が出来ていた。
 父にはそういう少し引いてしまう性格があった。

 だから元気だった頃は、僕が話しかけると嬉しそうな表情になって、いつも2時間ぐらい平気で話し続けてしまう父で、お酒もいつもより多めに飲んでしまっていた。
 それが大変だなぁって僕は思ってしまって、時々しか話しかけなくなってしまったけれど、父は僕ともっと話したかったのかもしれない。

 だけど、母が亡くなりそうな時は父も認知症が進行していたのに、ずっと僕の話しを頷きながら聞き続けてくれていた。
 僕の唯一の理解者だった。





 緊急の連絡が病院から来た。

 それも早朝だ。

 父が本当に危ないらしい。

 最近は直ぐに駆けつけられる準備をいつもしていた。
 臭くないようにニンニクなどの匂いのキツイ食べ物を食べないようにとか、シャワーは早めに浴びて髭も剃っておくとか、車で駆けつけられるようにお酒も飲まないようにとか、いろいろ、やっていたのだ。


 それなのに。

 こんな日に限って、僕はビールを思いっきり飲んでいた。


 やはり父のことを考えると苦しくて眠れなくて頭がおかしくなりそうで、何度も夜中に冷蔵庫を開け閉めしているうちに缶ビールを取って飲んでしまったんだ。1本飲めば土手は崩れるものだ。
 もう一本、もう一本。
 夜明け近くまで飲んでいた。

 かなり酔っぱらっていた。
 最悪だ。

 病院で看護師さんに、なんて思われるんだろう?

 ってか?、さぁ、いよいよ?父が死にそうなのに、真っ先に考えたのは自分のことだった。
 薄情な息子だと自覚する。

 僕は仕方なくタクシーを呼ぶことにする。それもお金がもったいないなぁ~なんて思っている。

 しかし、病院に着くと、心はガラッと変わる。
 悲しくなる。
 心がしんどくなる。

 そうなんだ、離れていると現実を受け入れないようにしてる自分がいることに気づいた。
 父以外のことを考えることで、父への感情をごまかすことが出来ていたんだ。
 
 ここに来たら、もう逃げられない。
 その覚悟がいるんだ。

 呼ばれている病室に向かう。

 間に合ったのかな?




 

 僕は心の中で、あと、もう1回、奇跡を起こしてって願った。

 両手を握りしめ、目を閉じて何度も祈った。

 前回も助かったんだから、もう1回、元気に話そうよってテレパシーのようなもので話しかけ続けた。



 そして、病室に入る。



 まだ、生きていた。
 父は生きている。

「もう1回」
「もう1回、キャッチボール、しようよ、おとうさん!」


「もう1回」
「もう1回」
「もう1回」

 父は少し困ったように笑った。
 困った息子だなぁって顔をした。

 僕の頭を撫でてくれた。

 そう、その撫でてくれた右手の四本の指は無い。

 悲しそうだけど優しい右手だ。

 僕はその右手を両手でつかんで握りしめた。

「おとうさん」

「あと、いっかい、あと、いっかい…」


「ア、ト、イッ、カイ…」

 
 

 僕の家族が消えてゆく。

 執拗に、執拗に。

 僕は懇願して泣いていた。

 会話のキャッチボールが、茜空を思い出し、日暮れも思い出す。


 母が今度は僕じゃなく、父を迎えに来る時間なのかもしれないね。


「病院にいないで、早く家に帰りなさい!」って。


 その夕方はかなり近い。

 

 そして、必ず来る。





「終わり」たく、ないな。




 
 その後日、父は永眠しました。
 穏やかに、安らかに。






【終わり】



★事実を土台にして書かれた場面もありますが、この作品はフィクションです。





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