富家イチロウ

マイペースに修行中。プロフィール画像は我が心の兄、青木裕氏(downy / unkie…

富家イチロウ

マイペースに修行中。プロフィール画像は我が心の兄、青木裕氏(downy / unkie)に描いてもらった。 御意見、御依頼、御相談などはtwitterのDMなどへお気軽に。好きな川はガンジス川です。

最近の記事

ヤ○ザにヘッドロックされて拉致られた話

 二十年近く前の話になる。最近は妻や息子が「知らない人について行くな」「知らない人を怒らせるな」などと注意してくれるため、少しは考えて行動するようになったが、若い私は自分の尻尾を追いまわしているうちに目が廻ってしまう犬くらい、何かを考えて行動するということができなかった。  若い私は中央線沿いのある街でキャバクラの店長をやっていた。その街では、線路の北側と南側をそれぞれ別の組が仕切っていた。  そして、私が店長をやっていた店は、中央線の高架下、つまり二つの組(そっちの世界

    • 明日、初めて宮崎駿の映画を観る

       タイトルは厳密に言うと「明日、初めて宮崎駿の映画をちゃんとフルで観る」である。他の人が観ていたり、流れているものを断片的に観たことはある。 「宮崎駿の映画をちゃんと観たことがない」  そう言うと、大抵の場合、 「ああいうの嫌いそうだよね」 「よく観ないでここまで来れたね」  などといった言葉が返ってくる。  別に私は宮崎駿の映画が嫌いなわけではないし、頑張って避けてきたわけでもない。ただ観ていないだけである。  たとえば、アレハンドロ・ホドロフスキーの映画を観たことがない

      • 二〇二三年、ポンコツの旅(3)

         旅の三日目も晴天だった。  私の心はいつもナメクジみたいにどんよりとしているというのに、意外と晴れ男なのかもしれない。  というか、晴れ男とか雨男とか、ひとりの人間の影響で天候が決まるなんてことがあり得るのだろうか。科学の解明を待て。  私のベスト仏像スポットはいくつかあるが、その中でひとつ選べと言われたら、やはり東寺である。  密教の教えをわかりやすく表したものである、曼荼羅。その曼荼羅をよりリアルに伝えるために弘法大師空海が、五智如来、五菩薩、五大明王、四天王、梵天

        • 二〇二三年、ポンコツの旅(2)

           目が覚めると、そこは殺風景で小さな知らない部屋だった。  あ、そうだ、旅に出ていたのだった。  格安ホテルの客室はまさに必要最低限といった様相だが、嫌いじゃない。不必要な備品なんて経費と空間の無駄遣いだ。エコロジーを学べ。  買っておいた缶コーヒー、あんパン、ヨーグルトを胃袋に放り込みながら、顔を洗い、髭を剃り、髪の毛を整える。  天気予報が言うには、今日も気温は上がりそうとのこと。薄着の女性に関心を奪われすぎないよう、十分に注意してください。  二日目の移動はレン

        ヤ○ザにヘッドロックされて拉致られた話

          二〇二三年、ポンコツの旅(1)

           三月某日。  いつもなら目覚ましのアラームに睡眠の終わりを告げられてがっかりしている午前七時半、新幹線に乗って西へと向かっていた。  大人になるための書類を提出し忘れたせいで子供のまま社会人になってしまった私にとって、社会生活というものはなかなかの苦行である。  社会人としての私はガンダムやマジンガーZのようなただの乗り物でしかなく、コックピットに乗った子供の私は見様見真似でそれをなんとか操縦し、日々を乗り切っている。  そんな人間には旅が必要だ。  家族は快く送り出して

          二〇二三年、ポンコツの旅(1)

          明日、グレート・ムタがいなくなる

           同世代(三十代後半から四十代前半くらい)のプロレスファンに「プロレスにはまったきっかけは?」と聞くと、帰ってくる返答は以下の二つであることが多い。それは、グレート・ムタと、ファイヤープロレスリング(略してファイプロ)である。  ファイプロへの熱い思いはまたの機会に語るとして、グレート・ムタである。父親の影響でプロレス自体は幼い頃から見ていたが、自主的に見るようになったきっかけは、やはりムタだった。ムタの何がそれほど魅力的だったのか? この世のありとあらゆる事象を言語化

          明日、グレート・ムタがいなくなる

          ノラがいなくなった

           この街に来て、どれくらい経っただろう。おそらく十三、四年といったところか。街の様子は随分と変わった。コンビニエンスストア、巨大マンション、老人ホームなどが雨後の筍のようににょきにょきと出現し、人口が急激に増えた。近所の小学校は教室を増やすべく増築された。よく立ち話をしていたマンションの大家さんも、上の階に住んでいた仲のいい老夫婦もいなくなった。ノラだけは、ずっとそこにいた。  猫の寿命から考えるに、出会った頃は幼い子猫だったのだろうが、はっきりとは覚えていない。その猫はご

          ノラがいなくなった

          青年と海

           わざわざどこかへ行くことが好きである。歩きながらヘッドホンで音楽を聴くために、わざわざ知らない街へ行く。友達とおしゃべりするために、わざわざ電車に乗って遠いところへ行く。考えごとをするために、わざわざお気に入りの喫茶店へ行く。  その日は本を読むために、わざわざ海へと向かっていた。本を読むという行為はひとつの情報収集だと言えるが、それ以上に本という媒体を通じて自分が何を考えているのかを確かめる行為であるように、私には思える。本は鍵のようなものなのかもしれない。この世に本と

          シンパシー・フォー・ザ・チンパンジー

           動物園をどう考えるか。難しい問題かもしれない。私自身は好きなほうで、家族をよく連れて行くし、一人で行っても楽しめる。一方、動物園なんて人間のエゴでしかないと言われたら、反論できる言葉は持ち合わせていない。これはこれで意味のあることだという動物園側の考え方も、よくわかる。そういった肯定と否定の入り混じった感覚も含めたものが、私にとっての動物園と言えるのかもしれない。動物園はいつも私に何かを問いかけてくる。  私も動物園に問いかける。たとえば猛禽類、ワシやタカの檻に。翼がある

          シンパシー・フォー・ザ・チンパンジー

          象の男根と私のフェロモン

           まん防こと、まん延防止等重点措置が解除された。まんは無事に防止されたのか、よくわからないが、兎にも角にも桜はまん開だ。まん開は誰にも止められない。埃っぽい春の陽気が、私に誘いをかけてくる。東京都の施設の閉鎖が解除されたということで、家族を連れて多摩動物公園へと出掛けることにした。  この動物園は都の施設ということもあり、全体的にサービス業的な感覚が緩い。区民プールなどもそうだが、アズ・ユー・ライクな雰囲気が、私としては居心地がいい。お役所仕事は私の嫌いなものの筆頭であり、

          象の男根と私のフェロモン

          卒業式の微妙な思い出

           春である。伝染病が世界中に蔓延しようが、戦争が勃発しようが、武藤敬司が長期欠場しようが、そんなことなどまるでおかまいなしに季節は巡り、春はやってくる。季節というやつは、えらいなあ、と思う。  春といえば、卒業である。尾崎豊は「この支配からの卒業」と歌い、チェッカーズは「卒業式だと言うけれど、何を卒業するのだろう」と歌っていた。何を卒業するのだろうって、一見上手いこと言っている風だが、そりゃあ学校に決まっているだろう。すっかり年を取り、立ち上がる時に「よいしょ」と言うことが

          卒業式の微妙な思い出

          パンがなければブリオッシュを食べればいいじゃない

           私がこの世に生まれたのは、一九七九年十一月二日らしい。記憶はないが、親がそう言うのだからそうなのだろう。同じ誕生日の有名人(?)には、マリー・アントワネットやクッキーモンスターなどがいる。アントワネット王妃といえば、フランス革命においてギロチン刑に処されたことが広く知られているが、それ以上に有名なのは、やはり「パンがなければブリオッシュを食べればいいじゃない」という発言だろう(我々日本人はブリオッシュにピンとこないので、ケーキとされることが多い)。  今ではこの発言は王妃

          パンがなければブリオッシュを食べればいいじゃない

          街と猫の話

           この街に引っ越してきて、十数年になる。街の様子は随分と変わった。恋人が妻になったり、子供がやってきたり、年を取ったりしている隙に、巨大なマンション、老人ホーム、コンビニエンスストア、などが雨後の筍のように次々と湧いて現れた。それらの場所に元々は何があったのか、口では言えるが、映像的な記憶はもはや曖昧だ。仲の良いご近所さんは、亡くなったり、引っ越したりして、いなくなった。ずっといるのは、猫のノラくらいのものである。  このマンションに引っ越してきた時、ノラは既にそこに住み着

          街と猫の話

          個人的流行語大賞二〇二一

           過去に某フリーペーパーで連載を持っていたとき、年末になる度に個人的なその年の流行語大賞を発表していた。どういった語が賞を獲っていたかは忘れてしまったが、バックナンバーを読み返すのも面倒だ。ちなみに昨年二〇二〇年の個人的流行語大賞は、私のツイッターを遡ってみると、大晦日RIZINのリングで五味隆典選手が皇治選手に向けて発した「お前、いい金玉持ってるよ」だった模様。大晦日の夜の発言がその年の流行語大賞とは、我ながら自由である。  さて、本題。勿体ぶる理由もないので、早々に発表

          個人的流行語大賞二〇二一

          断片を探す

           天気の好い冬の日中ほど、散歩欲をそそられるものはないかもしれない。冬は気温が低い。冷たい空気は、暖かい空気に比べて、多くの水蒸気を含むことができない。空気中の水蒸気は、光を屈折させる。要するに、冬の空気は澄んでいて、それは我々に遠くまでくっきりと見える美しい景色をもたらしてくれる。夏でも夜などは、それなりに趣のある散歩ができるものだが、天気の好い冬の日中には少し敵わない。  歩いているうちに身体は温まるだろう。少し寒いかも、くらいの服装を選択。いつものドクターマーチンに足

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          私とゆかいな仲間たち

           自分自身のことを考える度に、やきもきする。何もない、からっぽの人間であることを自覚せざるを得なくなるからだ。それでも絶望せずに生きていけるのは、友人たちのお陰であると言いたい。私の友人たちは、どれも素敵だ。付き合っても、付き合っても、飽きることがない。そんな素敵な友人たちに囲まれている私だから、それなりに素敵なところもあるのではないか。そんなふうに思い、今日もなんとか生きている。  Mからは数年に一度、突然電話がかかってくる。私が水商売をしていたときの友人である。平井堅と

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