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ヤ○ザにヘッドロックされて拉致られた話

 二十年近く前の話になる。最近は妻や息子が「知らない人について行くな」「知らない人を怒らせるな」などと注意してくれるため、少しは考えて行動するようになったが、若い私は自分の尻尾を追いまわしているうちに目が廻ってしまう犬くらい、何かを考えて行動するということができなかった。
 
 若い私は中央線沿いのある街でキャバクラの店長をやっていた。その街では、線路の北側と南側をそれぞれ別の組が仕切っていた。
 そして、私が店長をやっていた店は、中央線の高架下、つまり二つの組(そっちの世界のことはよくわからないが、今になって思うと、組と呼べるほど立派な○クザたちではなかったかもしれない)のシマのちょうど境目に位置していた。
 前の店長は南側の連中にショバ代を払っていたので、私もそれに倣っていたが、店長交代を聞きつけたのだろう、ある時、北側の連中が店に現れ、ちょうど境目にあるのだからこっちにも払うべきだろう、的なことを言いだしたのである。
 
 冬に備えてせっせと埋めたどんぐりの場所を覚えられないリスくらい何も考えていなかった若い私は、若者特有のへらへらした態度で、その要求を断った。今になって思えば、自分で勝手に判断するのではなくオーナーに相談すべき案件だったのだろう。飛び込みで営業に来たセールスマンにするような対応で、私は連中を追っ払ってしまった。
 果たして、北側のヤ○ザたちは頻繁に店にやってくるようになった。しかも、営業中にである。何でもありの私も、さすがにこれには参った。
 手の指が何本か欠落している強面の人たちが頻繁にやってくるような飲み屋が、上手くやっていけるわけがない。
 何かを手を打たなければいけなくなってしまった。
 
 具体的なことは覚えていないが、若く怖いもの知らずだった私は、ヤク○たちにもう来ないでくれ、ショバ代も払わない、的なことを告げた。
 おそらく、その時も若者特有のへらへらした態度で対応したのだろう。
 案の定、私は連中を怒らせてしまった。
 兄貴的ポジションと見える男に胸ぐらを掴まれ、それから頭部をヘッドロックの形で抱えられたところで、私は初めて事の深刻さに気付かされることになった。
 やばいことになったかもしれない。
 急激に血の気が引いていくのが感じられた。
 若さとは、あまりにも滑稽である。
 
 ヘッドロックで絞められながら知り合いの多い繁華街を連れまわされ、滅茶苦茶に恥ずかしかったことを覚えている。そしてそれ以上に覚えているのは、私の頭を締め上げる男の力がびっくりするほど弱かったことである。
 その兄貴的なポジションの男は、威張ってはいたが背が低く、正直まったく強そうには見えなかった。そのせいもあって私は舐めた態度を取ってしまい、結果、それが兄貴を怒らせてしまったのだろう。
 兄貴よりも随分と体格のいい私には、ヘッドロックを外すのは造作ないように思えた。が、そういうことをするとますます面倒なことになるのは明らかだったから、私はアメリカのプロレスラーのように大袈裟に、締められる私を演じた。
 それにしても、小さくて威張っているやつは大体話が通じないものだ。「グッド・フェローズ」や「カジノ」のジョー・ペシを思い出す。
 
 えっ、こんなところにあったの。という場所に、連中の事務所はあった。確かに表札だけはそれらしく見えなくもなかったが、知らなければ、それはただの雑居ビルの一室でしかなかった。
 連中は何か仕事でもあったのか、私はソファに座らされ、そのまま放置された。
 そのうちに奥から、私をヘッドロックした兄貴っぽい男よりもさらに兄貴っぽい男が出てきた。
「茶、飲めよ」
 兄貴よりさらに兄貴っぽい兄貴は、私を連れてきた小物たちとは違い、穏やかで落ち着いていた。が、茶を持ってくるその手は、魔改造によって強力なバイブレーションを内蔵されているのかと思えるくらい、ぶるぶると震えていたのである。
 手どころか、全身が異様なほどに震えていた。病気のチワワでもそんなには震えないだろう、というほどに。
 茶は、ほとんどが床にこぼれているように見えた。
 
 震える兄貴は私の向かいに腰を下ろした。
「どうした、飲めよ」
 これ、飲んで大丈夫なやつなんだろうか、とドキドキしながら、兄貴の震えのせいで大半がこぼれてしまっていた茶に口をつけた。
 味はわからなかった。
 震える兄貴の登場により、私の余裕は完全に失われていた。
 
「兄ちゃん、ルイ・ヴィトン買うか」
 震える兄貴は唐突に立ち上がり、部屋の隅に無造作に置かれた段ボールからヴィトンのバッグを何個か取り出して、震えながらローテーブルに並べた。
「い、いくらなんですか」
 買わないことにはここから出られないのだろう。覚悟を決めた私に、震える兄貴は驚きの金額を提示してきたのだった。
「一個、千円」
 せ、千円……
 
 一個千円のヴィトンのバックを四つ買った私は、解放された。
「意味が……まったくわからない……」
 灰色にくすんだ都会の空を見上げる私の口から、思わずそんな声が漏れた。
 ○クザを怒らせてしまい、事務所へ連れて行かれた。ここまでは、わかる。だが、そこから先が、まったくわからない。
 そこでボコボコにされるとか、脅されてショバ代を払う約束をさせられるとかなら、しっくりくる。だが、私が事務所で体験したことは、震える兄貴の茶を飲んだこと、四千円でヴィトンのバッグを四つ買ったこと、それだけである。
 あらためて、意味がわからない。
 そして、意味がわからないことをされることほど、人間にとって気味の悪いことはない。ボコボコにでもされたほうが、よほど腑に落ちるというか、すっきりする。
 
「すみません、辞めます。明日からもう来ません」
 オーナーにそんな一方的な電話をかけた。私の中の私が震える兄貴に再び遭遇することを気味悪がっているのがわかった。
 そのまま荷物をまとめ、街を去った。
 ヤク○たちがどこまで意図的だったかはわからないが、いや、おそらく意図なんてものは何ひとつなかったのだろうが、連中のやったことは、結果的には見事に効果的だったのだ。
 それから五年ほど、私はその街に降り立つことを避けた。
 
 今ではもう普通にその街に飲みに行ったりしている。私が働いていた店は、フィリピンパブになっていた。
 あの時の兄貴たちは、どうしているのだろう。お互い顔を覚えておらず、気付かないうちにすれ違っている可能性は高そうだ。
 それにしても、あれは一体なんだったのか。
 不可解な出来事ではあったが、あの体験のお陰で得られたこともある。
 それは「意味なんてなんの意味もねえ」という大いなる気付きである。
 いい時代だった。わりとマジでそう思う。


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