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二〇二三年、ポンコツの旅(2)

 目が覚めると、そこは殺風景で小さな知らない部屋だった。
 あ、そうだ、旅に出ていたのだった。
 
 格安ホテルの客室はまさに必要最低限といった様相だが、嫌いじゃない。不必要な備品なんて経費と空間の無駄遣いだ。エコロジーを学べ。
 買っておいた缶コーヒー、あんパン、ヨーグルトを胃袋に放り込みながら、顔を洗い、髭を剃り、髪の毛を整える。
 天気予報が言うには、今日も気温は上がりそうとのこと。薄着の女性に関心を奪われすぎないよう、十分に注意してください。
 
 二日目の移動はレンタサイクルを選択。初日の徒歩に比べ格段に移動速度が上がり、テレビゲームでスピードが上がるアイテムを獲った時の感覚。
 午前中から日差しが強く、ペダルを漕いでいると少し汗ばむ背中が心地良い。サングラスに咥え煙草で古都をゆく。爽快。イエーイ。
 
 前日の三十三間堂の人混みで有名な寺には懲りたはずだったが、少し前に三島由紀夫の「金閣寺」を読み返したせいもあって、久しぶりに見たくなっていた。
 記憶と案内板を頼りに辿り着いた金閣寺は、やはり半端じゃなく混んでいた。日本人よりも圧倒的に外国から来たと見える人が多い。人種は実に多種多様。
 それならそれで、世界中から集まった多くの観光客というフィルターを通して金閣寺を見てみよう。金閣寺は彼らにどのように響くのか。視点のスイッチを切り替える。
 
 が、若い頃に何度も見たし別に今さら、と思いきり舐めてかかっていた金閣寺の私のハードルの遥か上を越えていくかっこよさに、視点のスイッチとかそういう小賢しい試みは一瞬で吹き飛ばされてしまった。
 池と金ピカのお堂。
 これは確かに人を狂わせるやつかもしれない。
 私はたまに霧深い湖上に浮かぶ古城のようなソープランドの夢を見るのだが、それの金閣寺バージョンも見てみたいと思った。嘆願書を私の無意識に提出。
 
 龍安寺、仁和寺、など洛西エリアのメジャーな寺もやはり混んではいたが、人々はみな庭園や桜にばかり群がっており、仏像拝見が目的の私が重要視する霊宝館や宝物館の類はどれも空いていたのはありがたかった。
 修学旅行か何かの若い男子たちが、
「お、カレサンやんけ!」
「ほんまや、めっちゃカレサンや!」
 と、枯山水のことをカレサンと略しているのにグッときた。
 
 太秦映画村の先にある広隆寺には国宝第一号である弥勒菩薩像があり、それが収められている霊峰殿は私のベスト仏像スポットのひとつである。そこを本日の締めとすべく、陽気の中ペダルを漕いでいると、珈琲が飲みたくなる。
 が、目につくカフェや喫茶店は、どこもかしこも禁煙。世知辛い世の中であるが、我々喫煙者は被害者面をして権利を主張したりはしない。そういうのから遠く離れたところにあるから居心地が良いのだ、喫煙ってやつは。
 
 こうなったら禁煙でもいいや、と変な外観の喫茶店に飛び込んでみると、店主のコレクションなのだろうか、店内にはレトロな玩具、レコード、昔の雑誌などが元々の壁がどこにも見えないほどに所狭しと飾られまくっている。珍妙。
「煙草、吸えませんよね」
 カウンターなのか何なのかよくわからない奥まったところから出てきた、店主なのかよくわからない男性に尋ねると、
「京都なんてもうどこも吸えませんよ~。条例ですから~。煙草吸える喫茶店なんてどこにもありません~」
 などと、やたら京都はどこも禁煙だということを強調してくるので、諦めて無喫煙で珈琲を飲んでいたら、
「テラス席だったら吸えますよ」
 と、店主の奥さんらしき人が声をかけてくれる。
 どういうことやねん。
 この後、なぜか店主と話が弾む。
 
 広隆寺の霊峰殿はやはり間違いなかった。暗く冷たい静謐なお堂で至高の仏像らと向き合っていると、自分が無くなっていくようで、まさに「整う」という感じ。
 そういえば。
 自分の中に明らかに、旅をしている、という感覚がある。
 初日には解凍されずじまいだった旅心的なものは、いつの間にかすっかり自然解凍されていたようだった。
 旅の二日目は、実に旅だったのである。
 
 適当なうどん屋できつねうどんを食ってホテルへ歩いていると、外国人観光客と地元の人っぽい老婆が道端で困っている様子。
 外国人観光客が老婆に道を尋ねているのかと思いきや、どうやら老婆が外国観光客に道を尋ねているようだった。
 どういうことやねん。
 旅はもう少しだけ続く。また明日。


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