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徒然なるままに活字「私の貧乏エピソード」

 ある昼時分、中華料理屋でラーメンを啜っていた折、ワイドショーか何かなのだろうか、テレビの中の人たちが「私の貧乏エピソード」とやらを披露していた。
 しばらく眺めていたが、お昼の番組ということもあるのか、全体的に茶を濁すような感じで、右耳から入ったと同時に左耳から抜けていくような、印象に残らない話ばかりだった。

 ぼんやりと麺を啜りながら、貧乏エピソードなら私もいろいろありそうだな、と思った。何しろ私は貧乏だった。今も貧乏である。
 昼飯にラーメンなどという今となっては極めてコストパフォーマンスの悪いものを食べているくせに何が貧乏だ、と思われるかもしれないが、そこは私が頑張って見つけた、一杯が五八〇円の店なのだ。食後のコーヒーは缶コーヒーだ。駅ビル内の喫煙所が私のオアシスである。

 と、まあ、貧乏自慢をしたところで、何の意味もない。野生のライオンが「私は餌を狩る能力がありません」と宣言しているのと同じである。資本主義の世の中では、金を稼ぐ能力は即ちサバイブする能力に等しい。
 子供たちを大学に行かせたいし、私だっていつまでも貧乏のままではいられない。とはいえ、なかなか金は稼げないものだ。まったくもって世知辛い。

 閑話休題。話が逸れた。貧乏について、である。
 私はよく思うのだが、年を取ってからはともかく、若いうちは貧乏な時期を経験しておいたほうがいいのではないだろうか。貧乏だと金を使える状況が限られてくるから、その分いろいろと考えて工夫する必要がある。そういうところで、センスが磨かれるような気がするのだ。
 事実、若いうちから金を持っている人間でセンスがいい人って、少なくとも私はあまり思いつかない。

 再び閑話休題。私は貧乏エピソードを披露しようと、今こうしてキーボードを叩いているのだった。我ながら無駄話が多い人間だ。それでは貧乏エピソード、いってみよう。

 まず思い浮かぶのは、薩摩芋である。今でも薩摩芋が視界に入る度に思い出す。二〇〇一年九月十一日、世界貿易センタービルに飛行機が突っ込んだその日、Kゾーとふたりで上京し入居した、高円寺の腐りかけたようなボロボロのアパートを。

 酷いアパートだった。外観は草に覆われてほぼ廃墟だし、二階の住人が風呂の湯を抜く度に一階の我々の浴室に湯が降ってくるし、トイレはすぐ詰まるから大便をする時はわざわざ近所のコンビニまで行っていた。
 今になって思うと、決して家賃は激安というわけではなかったから、物件探しが絶望的に下手すぎただけのようだ。

 で、薩摩芋である。当時、金がなかった私は、飯代を率先して削っていた。風呂に入るのが面倒だと何日も風呂に入らないやつがいるが、私の場合は飯を食うのが面倒だった。空腹は煙草を吸っていれば大体は紛れた。
 ただ、問題は睡眠時である。元々が寝付きの悪い人間ということもあるのか、内臓がすっからかんだと空腹感でどうにも眠れないのである。

 空腹は気にならないが、睡眠不足はしんどい。とはいえ、食い物に金を使うという考えが、若い私にはなかった。
 そこで、考えた。近所のスーパーマーケットで薩摩芋がいつも百円で売られていたので、寝る前にそれを茹でて食うことにしたのだ。なぜ薩摩芋かというと、繊維が多くて腹が膨れるから、食った直後は満腹感が得られると考えたのだった。

 薩摩芋を食うことによって、確かに満腹感は得られた。眠りにつくこともできた。ただ、所詮は繊維で誤魔化しているだけである。ガスになって出てしまうのか、やはり途中で空腹感で目が覚めてしまうのだった。
 それでも寝付くこと自体はできるわけだし、当分の間は薩摩芋を食って寝ることが習慣化していたように思う。要するに、あまり何も考えていなかったのだろう。

 今でも薩摩芋は、私にとってはその当時を思い起こさせるアイテムである。焼き芋屋のトラックをすれ違う度に、いつでもあの頃へタイムスリップすることができる。
 まあ、タイムスリップしたところで、他のことはほとんど何も覚えていないのだが。

 と、徒然なるままに綴ってみたが、どうなのだろうか、これ。インターネットの配信とかで雑談をする人がいるが、ああいうのに近いのかもしれない。それの活字版。
 やはり私は、喋ったり聴いたりするよりも、活字が好きのようだ。活字に触れていると心が落ち着く。みなさんにもそんな時があるでしょう。推していこう、活字。だっふんだ。


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