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ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア 『たったひとつの冴えたやりかた』 : 「強く気高くあれ」という意志の問題

書評:ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『たったひとつの冴えたやりかた』(ハヤカワ文庫)

表題作の中編「たったひとつの冴えたやりかた」は、日本での「海外SF短編オールタイムベスト」の、ベスト5常連作である。

SF小説専門誌『SFマガジン』が行ったベスト投票の結果では、

「1998年・1位」「2006年・5位」「2014年・3位」

といった具合だ。

私の場合だと、1998年の第1位を知っているので、これは絶対に読まなければならない作品だと、その頃にも本書ほか著者の本を何冊か買ったのだが、いつも書いているように、その頃の私は「本格ミステリ」を中心に読んでいたので、それらも、すべて後回しにした挙句、結局は、積読の山に埋もれさせてしまった。

一昨年、退職をしてからは、長らく読めなかったSFの古典にも手を伸ばし、ぼちぼちと読んでいるわけだが、それが今回は本作だったという次第である。
そして、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアを試しに読むのなら、やはりまずはいちばん有名な本作ということになった。

(原書全訳版の、片山若子による新装版)

ところで、この「だったひとつの冴えたやりかた」自体は中編作品で、「原書元版」でも「翻訳元版」でも、同作を含む中編3本が収められた、連作中編集のかたちとなっている。
ところが、現在の「改訳版」では、表題作のみで1冊となっているので、これから本書を読もうとする人は、いちおうその点に注意すべきであろう。

ちなみに、「短編」か「中編」か、その線引きに決まりはないので、私は大雑把に100頁を超える作品は「中編」と表記することが多いが、もちろん、こんなものは字組みによって変わってくるものなので、あくまでも私個人の目安にすぎない。
『SFマガジン』のベスト投票でも「長編ベスト」と「短編ベスト」しかないように、この投票の場合は便宜的に、「長編」と「短編(長編以外を、ここでは短編と呼ぶ)」ということにしているのではないだろうか。

ともあれ、元版の中編集『たったひとつの冴えたやりかた』は、宇宙の果ての「図書館」で、人類ではない異星人の司書と、その異星人とは別種の異星人である図書館利用者の間でのやりとりを「外枠物語」としている。
図書館利用者の異星人の方が「人類の宇宙進出史」の研究をしていて、その参考になる本を司書に紹介してもらい、そうした本を1冊ずつ薦められて、都合3冊読む、という形式を採っており、その1冊目が中編「たったひとつの冴えたやりかた」なのだ。

ところが、これが「改訳版」だと、中編「たったひとつの冴えたやりかた」だけになっている。つまり、他の2篇とともに「外枠物語」まで、省かれてしまっているのだ。
だから、本書を読もうとする人は、そのあたりを理解した上で、「元版」を読むか「改訳版」を読むかを決めた方が良いだろう。

もちろん、こう書くと「じゃあ、元版で読んだ方が、原書の形式にも忠実だし、何よりもお得なんだから、元版にしよう」と考える人が多いだろう。だが、「改訳版」がなぜ表題作だけを取り出して1冊にしてしまったのか、それはそれなりに理由のあることなのである。

どういうことかと言うと、あまりにも名高い「たったひとつの冴えたやりかた」に比べると、後の2作が、明らかにくすんでしまって楽しめない、ということがあるのだ。
そのせいで、「作品集」としての評価は、「たったひとつの冴えたやりかた」単品ほど高いものにはならない。ならば、評判のよろしくない部分は削ぎ落として、表題作だけで1冊にした方が評判も良くなるだろう、というのが版元の戦略だったのだろうことは、ほぼ明白だ。
しかしながら、ただ、そうするのでは、元訳者である浅倉久志に対しても失礼だから、浅倉に「時代に合わせた改訳を」ということで改訳してもらい、その機会に「読者の反響」を踏まえて、「たったひとつの冴えたやりかた」単品で売ることにした、のではないだろうか。

(表題作のみを収めた「改訳新版」)

私の場合は、たまたま古本で「元版(旧訳版)」を入手して読み、このレビューを書くために、たまたま「改訳版」の方のカスタマーレビューを読んでいて、「改訳版」「元版」とは違っているという事実を知った。
一方、私と同様それを知らずに、「改訳版」「原書完訳版」だと思って読んだ人は、後でその事実に気づくと、当然のことながら「損をした」気になったわけで、その気持ちはよくわかる。
全部読んでから「後の2つはいらなかった」と自分で判断するのは良いけれど、読む機会を与えられず、自分で判断することができないようにされたのでは、不満の声が上がるのもやむを得ないところだ。
このあたりは、版元の考えも、読者側の気持ちもわかるので、どっちが良かったのかは、なかなか難しいところなのではあるが、やはり、読者に対する、早手回しの「過保護」はよろしくない、と思うので、私としては「元版」の方をオススメしたい。

 ○ ○ ○

さて、そんなわけで、やっと中身に入っていくが、表題作「たったひとつの冴えたやりかた」は、さすがの「名作」である。
どういう作品かというと、子供を主人公とした「けなげ」な友情物語で、感動的なラストが涙を誘う作品だ。私も、こういう物語には弱いので、完全にやられてしまった。

ただし、これほどの名作であるにもかかわらず、ラストまでは「それほどでもない」と感じられたのは、次の2つの理由があると思う。

(1)あまりにの有名な名作なので、私はすでに、同じアイデアを使った(流用した)ドラマ作品などに接していた可能性が大。
(2)物語終盤での盛り上がりに至るまでの描写が、かなり丁寧なもので、そこが今となっては、やや面倒くさく感じられる。

(1)については、よくあることなので、詳しく説明する必要はないだろう。
思いつく実例で言えば、どっちが先だかは知らないが、矢野徹「さまよえる騎士団の伝説」が、テレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』(第2期)では「アンコールワットの亡霊」になっていたし、次は原作者が同じなのだが、永井豪のマンガ『デビルマン』の中でも屈指の、「妖獣ジンメン」のエグいエピソードが、先日見たOVA『真(チェンジ!!)ゲッターロボ 地球最後の日』に、ほぼそのまま使われていた。どちらも「ああ、これ、あれだな」とわかっても、やはり、よくできた話だと感心させられるエピソードである。
一一しかしながら、やはり最初に接した時の、素直な「感動」には及ばない、ということだ。

だから「たったひとつの冴えたやりかた」も、私好みの話でありながら、そこまで「感動」できなかったのは、もはや記憶には無くても、きっとこのパターンの物語を、幼い頃に、すでに接していたからではないかと思う。
だがまた、このパターンにまったく接したことがないことの方が、むしろ不思議であるとも言えるだろう。それほど、この「悲劇」は、元型的な強度を持ったものなのだ。

で、さらに付け加えておけば、「たったひとつの冴えたやりかた」が、すでにどこかで接していたかもしれない作品でありながら、やっぱり「名作」だと感じられるのは、最後の最後の「イメージ」提示のうまさにあると思う。
「二人の少女が手を取り合って、太陽に向かって駆けていく、その後ろ姿」という、作中人物が思い浮かべるイメージは、まことに見事なもので、この「絵」の提示によって、本作は、模倣作を寄せつけない、「永遠の名作」になり得たのだろう。

なお(2)については、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアは、段取りを大切にする作家なのだろうと思う。
美味しいところだけをチョイスするのではなく、フルコース料理のように、物語を真に堪能するためには、それなりの順序や段取りがあってこそだという、古風なところのある作家だったのではないだろうか。

 ○ ○ ○

そんなわけで、後の2作については、個別に論じようとは思わない。私としても、表題作に比べると、ずいぶん見劣りするという印象は否めないからだ。

しかし、そうした作品の出来不出来とは別の部分で、語っておかなければならないことがある。それは、「作家論」の部分で、注目すべき点である。

本作品集所収の3本の「共通点」とは、「勇気ある潔い決断(の美)」ということであろう。

詳しく書くと「ネタを割ってしまう」ことになるから書かないが、いずれの作品も、主人公たちのそうした「ヒーロー性」が、読者に感動を与えるものとなっているのだ。
しかし、こうした「美点」も、作者の実人生を知ってしまうと、いささか複雑な気分にならざるを得ない。一一どういうことか?

(完訳版初刊時の装丁)

「訳者あとがき」で、浅倉久志は、本作品集とジェイムズ・ティプトリー・ジュニアを、次のように紹介している。

(1)『本書はThe Starry Ritという原題で一九八六年に発表されたジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの最新作。長篇の体裁をとってはいますが、共通の背景を持った連作中篇集というほうが正しいでしょう。いまではこれが彼女の遺作になってしまったわけです。ここには、つねにSFの最先端を独走していたあの実験的、野心的、衝撃的な作風はありません。その代わりに、十歳のときからSFファンだったティプトリーのノスタルジアとも思える昔なつかしいスペース・オペラの世界が、現代風に味つけされて、円熟した筆致でくりひろげられています。』(P376)

(2)『 ちょうど本書の翻訳が終わりにさしかかっていたある日(正確には一九八七年の五月二十一日)の朝、寝耳に水のニュースがとびこみました。原作者のジェイムズ・ティプトリー・ジュニア(本名アリス・シェルドン夫人)が亡くなったという知らせです。しかも、その死にかたがただごとではありません。弁護士に電話をかけて後事を託したのちに、病気で寝たきりだった最愛の夫ハンティントン・シェルドンを射殺、おなじベッドの上でみずからの頭を撃ちぬいた。夫は失明の上にアルツハイマー病の疑いもあり、彼女の心臓疾患も悪化していた。彼女は七十一歳、夫は八十四歳。取調べに当たった警察の発表によると、どうやらふたりのあいだには、かねてから自殺の取り決めがあったらしい……。
 そんなこととはつゆ知らず、ついその前日には、わからないところを原作者に問い合わせようかと、のんきなことを考えていたばかり。自殺決行が五月十九日早朝といいますから、すでにこのとき、もうティプトリーはこの世にいなかったわけです。
 いま現在自分が訳している本の著者が死んだと知らされる経験は、もちろん今回がはじめて。ティプトリーが実は女性だったというスクープが発表されたとき、だれもがびっくり仰天したことを思いだしました。しかし、ぼくにとっては今回のほうがやはりショックの度合いは大きく、作品の中で〝老い〟と〝死〟に触れた部分がいやでも目について、平静な気持ちで訳せなくなってしまいました。
 ドラマチックな死でしめくくられたこの作家のなみはずれたドラマチックな生涯については、すでに大野万紀氏が、本文庫から一足先に出た短篇集『愛はさだめ、さだめは死』のすぐれた巻末解説「センス・オブ・ワンダーランドのアリス」で詳しく書かれているので、ここではくりかえさないことにします。興味のある方は、SFマガジン八七年十月号の「ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア・インタビュー」も併せてお読みください。』(P373〜374)

上の引用文(1)と(2)は、あえて順序を逆にして紹介している。

(1)の方で注目すべきは、作品集『たったひとつの冴えたやりかた』が、著者の「遺作」であるということ。そして、初期に見られた『つねにSFの最先端を独走していたあの実験的、野心的、衝撃的な作風』ではなくなっており、むしろ「ノスタルジックな童話」風でさえあるという事実である。

そして(2)の方で注目すべきは、本作品集は、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアが、「自身の死に様」を考えていた時期に書かれたものだという事実だ。

つまり、平たく言ってしまえば、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアは、夫ともども「どのようにすれば、最も美しく幸福な死に方ができるのか」という問題を、リアルなものとして考えていたのであり、そうした思索が本作品集にも、おのずと反映しているということだ。

(強靭な意志と知性を感じさせる)

そして、ここで肝心なことは、「潔く死ぬこと」が「美しい」と感じていたとしても、いざ、それを実行しようと考えれば、人間誰しも躊躇せざるを得ない、ということである。
そしてまたそれは、単に「自殺が怖い」ということだけではなく、「理由はどうあれ、愛する夫を我が手にかけるのは、果たして真の愛と言えるのか?」といった「疑問」が、当然のごとくあっただろうということだ。

つまり、彼女だって、自然にボケて、夫婦がお互いを認識できないようになったり、病気で身動きが取れなくなったりした果てに死ぬ、ということも、あながち「間違い」だとは言えない、ということくらいは、理解していたのである。
言い換えれば、自分一個の意志で、すべてを裁断してしまう「理性主義」というものには、どこか「不自然さ」と「傲慢」の匂いがつき纏っている、といったくらいのことは、彼女だって当然意識していたはずなのだ。
だから、「決断主義的に美しく死ぬ」か、それとも「自然の成り行きのままにゴミになることを受け入れる」か、については、彼女なりに悩んだはずなのだ。

一一そして、そうした悩みを抱える中で、彼女が書いたのは「かくありたい自分」の物語であり、こうした作品を書きながら、彼女はたぶん「私は、こういう自分でありたいと願ってしまう人間なのだ。だから、その死に様は、選択の余地のないものだ」と、そう考え、作中人物たちに励まされるようにして、その決意を固めていったのではないだろうか。

そして、私は、彼女のこの判断は「間違ってはいない」と思う。

というのも、彼女は、本質的の「そういう人」だったから、そのように生き、そのように死ぬしかなかったと、そう思うからだ。

彼女は、幼い頃から「勇敢な冒険家」であった。

『 いま、ぼくの前には、やっと最近手にはいった『ジャングルの国のアリス』Alice in Jungle Land(一九二七)という本があります(編集部註・訳は未知谷より明行されています)。 これはティプトリーの母、作家で探険家でもあったメアリー・ヘイスティングズ・ブラッドリーが、家族ででかけた最初のアフリカ旅行の経験を、娘のアリスの目を通したかたちで書きつづったものです。たくさんのさし絵を描いているのはその幼いアリス・ヘイスティングズ・ブラッドリー、つまり、のちのティプトリーその人で、女子大在学中から画家としてひとりだちしていたという才能をすでにうかがわせて、幼い子供の絵とは思えないほど達者なスケッチです。
 かねてからアフリカにあこがれていたティプトリーの父母は、したしくつきあっていた有名な探検家カール・エイクリーがウガンダ地方のマウンテン・ゴリラ狩りをもくろんでいるのを知って、出資と交換条件に自分たちも同行させてくれないかと持ちかけ、話がまとまりました。幼いアリスを含めた一行六人は、一九二二年の夏シカゴを出発、イギリスを経由して船でケープタウンに着き、鉄道でヴィクトリア瀑布へ、さらにルアラバ川の上流へと向かいます。めざすのは、タンガニーカ湖からキブ湖を経てウガンダにはいり、ナイロビにいたるコース。もちろん、トラックもなにもなかった時代のこと。鉄道の終点から先は、小舟と二本の足で進むしかありません。長期間のサファリをつづけるためには、二百人のポーターが必要でした。一行は野生動物の生態を映画におさめながら、お目当てのゴリラに出会います。アリスたちは野生のゴリラを実際に見た最初の白人女性になったのです。このときにエイクリーとアリスの父がしとめたゴリラの製は、いまもニューヨークのアメリカ自然史博物館に展示されているとか。ついでながら、アリスの母は、とつぜんライオンにおそいかかられたときも、冷静に銃で相手の心臓を撃ちぬいたほどの気丈な女性でした。
 活発でおませな少女だったアリスにとって、このはじめてのアフリカ旅行は、毎日思いがけないことが起こり、三度の食事がいつも野外のピクニックになる、たのしいおとぎの国の旅でした。挿入された何枚かの写真には、フランス人形のようにかわいい彼女が、子象の背に乗ったり、チンパンジーと仲よくすわったり、丸木舟に乗ったり、現地の子供たちからふしぎそうに見つめられたり、キクユ族のダンスに仲間いりしたりしているところが記録されています。印象的なのは、帰国が決まったあと、ふたたびアフリカを訪れる日を夢見ながら、ヘルメットをかぶって川べりに腰掛けている、ちょっぴり寂しそうなアリスの姿でした。』(P374〜376)

また、彼女は、そうした少女がそのまま大人になったからこそ『つねにSFの最先端を独走していたあの実験的、野心的、衝撃的な作風』の作家になったのだ。
つまり、先陣を切って、未開拓の世界に挑んでいくことに生きがいを感じるタイプだったのである。そしてまた、だからこそ、ただ「衰えていくだけ」の生には我慢がならず、「後へ退くくらいなら、ここで死ぬ」と、そう覚悟したのではないだろうか。

こんな彼女の気持ちは、私も決してわからないではない。私だって昔は、当たり前に「名を残して死にたい」と考えたことのある人間だからで、「見苦しいだけの晩年」なら「無い方がマシだ」と、そう考えてもいた。

ところがある時、知人の小説家が「死んだ後の評判には興味がない」という趣旨の言葉を口にしたのを聞いて、とてもショックを受けた。
誰だって、生きている間はもとより、それが無理でも、せめて死んだ後は「あいつは、大したやつだった」と言われたいものだろうと思っていたので、この小説家の「飾らない言葉」には、虚をつかれて、衝撃を受けたのである。

だが、そのことを考えていくうちに「名を残すために、立派な生き方をする」というのは、実のところ「本末転倒」であり、その意味では「いじましい」考え方なのではないかと考えるようになった。
あくまでも、死後の評価というのは、その人がその人らしく生きた結果の評価であるべきであり、死後の、他人からの評価を得るために頑張るというのは、いかにも不自然で、ある意味、貧乏くさい。

ならば、本当に偉大な「生と死」とは、「その人らしく、自然に生き自然に死ぬ」ということなのではないか。
いくら頑丈な人間だって、歳を取れば体力も落ち、病気にもなるだろう。同様に、どんな賢い人間だって、いつかは頭の働きが低下するのだし、時には性格が変わってしまうこともあるだろう。
だが、そうしたことを、過剰に恐れて「私は、今の完璧な状態のままで死にたい。見苦しいところは、誰にも見せたくない」などという態度は、いかにも「他人の目や評価ばかりを気にした生き方」として「ケチなもの」でしかない、とも思えるのだ。

こんなふうに考えるようになって、今の私は「ボケたくないが、そうなったらそうなったで仕方がない」と思うようになったし、「苦しみたくはないが、病気になったらなったで仕方がない」とも思うようになった。
先のことを、先回り的に、過剰に思い煩うことは、今の生を貧しいものにしかねないと、そう考えるようになったのだ。

そして、その延長線上に「孤独死して、腐乱死体で見つかっても、別にかまわない。それが、殊更みっともないとか、恥ずかしいことだとは思わない。当然、立派な葬式をしてほしいとか、立派な墓を建ててほしいなんて、アホくさいことは考えない」という立場になったのである。

つまり、私は「なるようにしかなれないし、なるようになるだけ」だと、そのように考え、基本的には「すべてよし」という立場を選んだのである。
「終わりよければ、すべてよし」ではなく、どんな生き方も死に方も、最後は「それしかない」という意味において、肯定することにしたのである。

だから、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「死に様」を否定しようとは思わない。だが、それを「ベスト」だったとも思わない。彼女にとっては「仕方がなかった(避け得ない)」ことだったのだろうが、しかし、そんな生き方や死に方が、一般論として、「正しい」とか「立派なもの」だとは思わない、ということである。


(2024年3月2日)

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