見出し画像

『藤子・F・不二雄 SF短編コンプリート・ワークス9 宇宙船製造法』 : 「少し不思議」な物語たち

書評:『藤子・F・不二雄 SF短編コンプリート・ワークス9 宇宙船製造法』(小学館)

藤子・F・不二雄 SF短編コンプリート・ワークス」第9巻は、全10巻のうち第7〜10巻の「少年SF短編」シリーズの3冊目にあたり、1979年に、少年誌である『週刊少年サンデー』『こどもの光』『マンガ少年』の各誌に発表された、計8作品を収録。
したがって、内容的には「子供向け」が強く意識されている。

収録作品は、次のとおり。

(1) 宇宙船製造法
(2) ふたりぼっち
(3) ベソとこたつと宇宙船
(4) 影男
(5) 山寺グラフィティ
(6) 恋人製造法
(7) マイロボット
(8) コマーさる

また、巻末には、藤子のエッセイ「ぼくにとってのSFを考えてみよう」が収録されており、「SF」という言葉についての、独自かつ有名な当て字的解釈である「少し不思議(な物語)という言葉が登場している。

 ○ ○ ○

さて、本巻の作品は、すべて1979年の1年間に発表されたものながら、粒ぞろい作品集となっている。
どれも「子供向け」作品であり、『SFマガジン』誌などへの「大人向け」作品とは違い、基本的には「肯定的な内容」になっているし、わかりにくい捻りの加えられた作品もない。とても素直なSF作品ばかりだと言えるだろう。

個人的に最も好きな作品は、「SF」というよりも「怪異譚」に近い「山寺グラフィティ」。そして、それに次ぐのは「恋人製造法」だろうか。
この2作に共通するのは「愛するものへの深い思いやり」であろう。

以下は、個別に短く論じていこう。

(1)「宇宙船製造法」は、巻末エッセイでも紹介されているとおりで、ジュール・ヴェルヌ十五少年漂流記の宇宙版を意図した作品で、社会から切り離された者にありがちな「原始的暴力性」の問題が描かれている。
だが、「子供向け」作品ということで、同趣向を扱ったウィリアム・ゴールディング蝿の王のような「陰惨な結末」にはなっていない。もちろん、藤子の頭には『蝿の王』もあっただろうが、あえて『十五少年漂流記』の「前向きさ」を、子供たちに向けて語ったのであろう。

なお、蛇足になるが、本作の最後で登場する、破損した船体を、巨大な氷の塊に埋もれさせることで補強した宇宙船の姿は、(もちろん偶然ではあろうが)アニメ宇宙戦艦ヤマト(1974年)の(松本零士スタジオぬえが関わる以前の)岩盤に埋もれたまま飛行する「企画書」版ヤマトにそっくりで、思わぬところで懐かしさを感じさせられた。

(2)「ふたりぼっち」は、「もう一人の自分」が登場するパラレルワールドSF。最初は、気が合うし協力関係にもなれたが、時間が経つにつれて、お互いの世界で起こることにズレが生じ始め、その「格差」によって、感情的に一緒にはいられなくなる、という少し悲しいお話だが、「子供向け」らしく、救いのあるハッピーエンドをつけている。

(3)「ベソとこたつと宇宙船」は、すぐに「ベソをかく(泣く)」ために「ベソ」とあだ名された、何をやってもダメな少年が主人公。友達と遊んでも疎んじられがちな彼は、家でこたつに入っているのを好むのだが、そのこたつの下が、いつの間にか異次元の宇宙船につながっていた。当然「夢」だと思って、興味本位で宇宙船に入っていくと、いきなり怪物(「スーモ」に細長い脚が2本生えたようなBEM)に襲いかかられて驚くが、いつの間にかその怪物を倒してしまう。当然「夢の中だから強いんだ」と考えた彼だったが、救った宇宙船の乗組員たち(人間)から英雄視され、彼らの星の侵略者である怪物たちを退治してくれと頼まれる。だが、その後、すべては「現実」であると知らされ、さてどうなるか、というお話である。

主人公の少年が強かった理由は、宇宙船の乗組員たちや怪物のいる世界は、少年の住む地球よりも重力が弱く、そのぶん筋力も弱かったため。それで「あっち側の世界」では、少年はスーパーマンのごとき能力を発揮できたのだ。
このアイデアは、エドモンド・ハミルトンの原作小説を、円谷プロが特撮ドラマ化したスターウルフ(1978年)を思い出させて、これも妙なところで懐かしかった。

(4)「影男」は、少女を監視する「怪しい隣人」の高齢男性の「謎」が、「生まれ変わり」をキーワードに、一種の「タイムパラドクスSF」として書かれている。
いくら隣人とは言え、隣家を監視なんかしていたら、今どきなら、携帯電話で即110番通報されかねない。また、監視されていると訴える娘に対し「あなたの自意識過剰よ」と言って、軽くあしらう母親の「おおらかさ」も、今は昔の話であろう。

「謎の隣人」という点で、円谷プロ制作ウルトラセブン(1967年)の第10話「怪しい隣人」を思い出した。

(5)「山寺グラフィティ」は、すでに書いたとおり、本集で私の最も好きな、切なくもロマンティックな作品だ。
しかしこの作品の「物語的な強度」は、「SF」的なものと言うよりも、日本の「民間伝承」や「(幽霊譚などの)民話」的なものに由来するからではないかと思うのだが、いかがだろうか?

(6)「恋人製造法」は、「山寺グラフィティ」と同様、「愛するものへの深い思いやり」を描いて、優しくも切ないラストとなっている。
ある意味では、『劇場版ドラえもん のび太の恐竜にも通じる「親心ゆえの別れ」を描いていると言えるだろう。「愛する対象」とは、何も人間ばかりではないのだ。

(7)「マイロボット」は、ロボットが感情を持ち、主人を愛するが故に言うことを聞かなくなる、というお話。
単純に「知性を持ったために、人間に反乱する」というのではなく、あくまでも「主人を愛するが故に」というところが「切ない」と同時に、暗に「人間の身勝手さ」を描いた作品だとも言えるだろう。
本作の場合、ロボットの外観は、車輪の付いた機械の箱みたいなものだから、その痛ましさが見えにくくされているが、これが「恋人製造法」のように、主人公の少年に対する「少女」の容姿で描かれていたなら、「人間の身勝手さ」も際立っていたことだろう。だが、「子供向け」の作品ということで、藤子は、その「批判性」を、あえて隠すかたちで描いたのではないだろうか。

(8)「コマーさる」は、その不思議な猿が、物や人などの描かれた紙切れを持って走り回ると、それを見た人は、その紙に書かれたものが、どうしても欲しくなるというお話。
要は「コマーシャル猿」ということであり、「コマーシャル」に踊らされて、必要のない物まで買わされている人たちを揶揄した、風刺作品だと言えるだろう。本集収録作の中では、例外的に「社会派」であった。
ついでに蛇足するなら、今の「推し」ブームも同じこと。それが「藤子不二雄」推しであってもだ。そんなもの、自慢にはならない。「藤子マインド」が無いのである。

(2023年9月27日)

 ○ ○ ○


 ○ ○ ○



 ○ ○ ○


 ○ ○ ○







 ○ ○ ○













 ○ ○ ○