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福井健太編 『SFマンガ傑作選』 : 〈あの頃〉読んだ、 あるいは 読めなかったSFマンガ

書評:福井健太編『SFマンガ傑作選』(創元SF文庫)

編者の福井健太は、あとがきにあたる「SFマンガ史概説」の冒頭で、当アンソロジーの編集方針を、次のように明確に語っている。

『 最初にコンセプトを記しておくと、本書はオールタイムベストの選集ではない。ジャンルの巨大さを鑑みるに、全時代を対象にすることは極めて難しい。そこで今回は黄金期である一九七〇年代を中心として、メジャー作家の名篇を採ることにした。目的は隠れた逸品の発掘ではなく、有用な起点を示すことにある。各々の著作に手を伸ばし、描き手やテーマのリンクを辿り、SFマンガの世界を渉猟してもらえれば幸いである。』(P585)

収録作家は収録順に、手塚治虫、松本零士、筒井康隆、萩尾望都、石ノ森章太郎、諸星大二郎、竹宮惠子、山田ミネコ、横山光輝、佐藤史生、佐々木淳子、高橋葉介、水樹和佳子、星野之宣の14人で、代表短編を各1篇ずつ収めている。

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このアンソロジーに収められた作品は、1962年生まれの私がマンガを読んでいた、おおむね高校生までの時代のものである。その頃に、私は活字に目覚めて、自覚的に活字本を読むようになったので、おのずとマンガは読まなくなっていった。
無論、マンガを軽んじていたわけではなく、それまで、マンガばかり読んで、活字はまったく読まなかったから、未開拓の世界に踏み込んでいったということであり、当然のことながら、そこには無限に広がりがあったから、マンガを読んでいる暇がなくなったのである。

したがって、高校以降の私が読んだマンガは、おおむね短編集か、数巻で完結した作品。あるいは、新人の第一著作などで、大ヒットした大長編の類いは、知ってはいるけれど、幾らかの例外は別にして、ほとんど読んでいない。また読み逃した、かつての名作も、ほとんどフォローできなかった。とにかく、マンガに、まとまった時間をとられたくなかったのである(同様の理由で私は、ゲームや、連続もののテレビドラマやアニメにも、手を出さなかった)。

本集に収録されているのは、ほとんど同時代作家だが、初出雑誌で読んだのは高橋葉介の「ミルクがねじを回す時」だけで、あとのものは単行本(新書判コミックス)で読んでおり、しかも男性作家のものだけである。
子供の頃は、少女マンガをほとんど読んでいないので、萩尾望都や竹宮惠子の名作も、教養のために古典的作品として、ずっと遅れて読んでいる。だから、そのほかの女性マンガ家は、名前は知っていても読んではいない。
また、長ずるにいたって、「絵柄」に対する注文がうるさくなったので、いくら評判の良い作品でも、その点で読む気にならないことも多々あった。

今回このアンソロジーを手に取ったのも、簡単に言えば、「基礎教養」の(せめてもの穴埋めの)ためだと言っていいだろう。もはやこの先、これまでまったく読めなかったマンガ家の単行本を、活字本をさしおいてまで読むことは、ほぼないだろうから、代表短編の1つくらいは読んでおきたいと思ったのである。

いつも思うことだが、どんなジャンルであろうと、(ほぼ)全部を「網羅的で押さえる」なんてことは不可能だし、まして色んなジャンルに興味のある人間には、物理的に不可能だ。
活字本だと、人は生涯に1万冊読めば立派な読書家だが、仮に5万冊読んだところで、「マンガ」は無論、「SFマンガ」すら、すべてを押さえるには全然足りないのだから、ましてや広大な「活字本」の世界を主戦場としていれば、「SFマンガ」の主だった傑作すら、読めなくても仕方がない。仮に1000年生きたって、全然、持ち時間としては足りないのである(ふくやまけいこが初期作品で、似たようなことを書いていた)。

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さて、本書について、Amazonのカスタマーレビューで、「けけらびゃう」氏が「堂々たる傑作がどうだとばかりに並ぶ見事さ」と題するレビューで、『既読のものもあれど、久しぶりに目を通してやはりどれもすごいなと圧倒される。』とした上で、収録作14篇すべてに1行ずつ、丁寧な絶賛の言葉を捧げている。
一一だが、残念なことに、私は、そこまで楽しむことはできなかった。やはり、私の場合は、作品評価の着眼点が違うのであろう。

そこで、以下では「歴史的価値」を抜きにして、今でも十分に「面白い」と感じたいくつかの作品について、その美点を短めに語っておきたい。

・ 手塚治虫「アトムの最後」
『鉄腕アトム』の番外編で、本編の50年後、ロボットが人間を支配する世界で、博物館で眠っていたアトムが、助けを求める人間に目覚めさせられるお話である。
本作で興味深かったのは、ロボットに迫害されているという青年に助けを求められたアトムが、本当にその青年の言い分を信じて良いのかと、いわば醒めた目で青年を観察して見極めようとする、その表情である。
私が知っているアトムは、主としてアニメ版のアトムなのだが、あの天真爛漫で正義感に満ちた、無条件に人間の味方だったアトムが、このような表情を見せるというのは、なかなかショックだったのだ。だが、それも仕方なのだろうと、大人になった私は、悲しくも納得せざるを得なかったのである。

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・ 佐々木淳子「リディアの住む時に…」
謎めいた発端と、いかにもSFらしい「謎」に引っ張られ、どのように「謎解き」するのかと思ったが、実にスッキリとした説明で、面白くも良く出来た「SFミステリ」であった。
アイデアの面白さだけではなく、論理的な面白さがあるため、古びない作品になっている思う。クリストファー・ノーラン監督の映画を彷彿とさせた。

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・ 高橋葉介「ミルクがねじを回す時」
なぜだか、この作品が掲載された当時、私は『マンガ少年』誌を購読していた。そして、たしか、この抜群に面白い、毒と奇想と茶目っ気の名品に始まる読み切り短編シリーズで高橋葉介の存在を知り、すっかりファンになった。
私は、この「ヨウスケの奇妙な世界」シリーズの初期作品を「切り抜き」し、単行本コミックスも、たしか当時は全5巻ほどだったと思うが、何度か購読している。
「夢幻紳士」シリーズも初期の読み切り短編は楽しめたが、連載になるとさすがに冗漫さを感じ始めて、そのあたりで高橋から遠ざかることになった。

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・ 星野之宣「残像」
星野之宣は、昔から「気になる」作家であり、「読まなければ」と思わされた作家だった。絵柄的にも好きだったから、余計にそう思ったのだろうが、結果としてほとんど読んでいないのは、いくつか読んだ名作短編が「アイデアはすごいと思うけれど、なぜか愛着が湧かない」という感じがあったからだろう。たぶん、作品の出来不出来ではなく、作中人物の「心理」的な側面への興味が強い私には、星野とは体質的な部分で違いがあったのだと思う。
そして、その意味では本作とて同じなのだが、しかし「アイデア」は本当に素晴らしい。これも、シンプルかつ類例のないアイデアを論理的に構成した作品だからこそ、古びることはないと思う。
きっと、若い頃の私は、こういう作品を、今のように「趣味は別にして」評価することができなかったのであろう。まあ、今でも基本的には「良く出来た作品よりも、好きになれる作品」というのに変わりはないのだが。

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今の30歳以下の若者が、このアンソロジーを読んで、一体どれくらい楽しめるものなのか、とても興味がある。もちろん「絵柄」の古さは別にしてだ。
「未来の道具立て」というのは、たいがい古びてしまうものだから、そういうものに頼りすぎると、作品自体もすぐに古びてしまう。だから、そういう「道具立て」を使うにしても、その使い方において、普遍的な「論理性」や「感情描写」の部分での面白さ(独創性)がないと、歴史的価値しか認められない作品になるのではないだろうか。

もちろん、「歴史的価値」というものを認めるのにやぶさかではないが、しかし、どうせなら、古びない「古典」になってほしいと願うのは、果たして無理な注文なのだろうか。

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(2021年12月2日)

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