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フィリップ・K・ディック 「初期短編集」から : 己を疑い、 この当たり前の世界を疑え

書評:ジョン・ブラナー編『ザ・ベスト・オブ・P・K・ディック〈1〉』(サンリオSF文庫

今頃になって、ディックの短編集を読むのは、私は基本的には長編好きだからであり、そしてディックの場合は、後期の「宗教」がかった思弁性の高い「ヴァリス三部作」(『ヴェリス』『聖なる侵入』『ティモシー・アーチャーの転生』)が、特にお気に入りだったからだ。それらを読んだ後では、初期の短編など、きっと物足りないだろうと思っていたのである。

しかし、それもすでに30年も前の話。その後にもいくつか長編を読んだが、「全部読みたい」と思ってほとんどの本を買っておきながら、それらを積ん読の山に埋もれさせしまい、結果としてディックから離れ、もうずいぶん経ってしまった。

ところが、先日「ヤフオク」で、ディックのサンリオSF文庫が、25冊まとめて、わりと安く出ていたので、これを落札。読んでいない長編が、多く含まれていたからだが、そこに、この『ザ・ベスト・オブ・P・K・ディック〈1〉』と『〈2〉』の2冊が含まれており、それでは短編集から読んでみるかと読み始めてから、この短編集が4巻本であることを知った。

しかも、現在出ているハヤカワSF文庫の「ディック短編集」4巻本は、表紙などに「ジョン・ブラナー編」とは記されておらず、現段階では、収録作品が完全に同一なのかの確認はとれていない。かといって、いまさらサンリオ文庫版の第3巻、第4巻を高く入手しても仕方がないので、そちらはひとまずハヤカワSF文庫の古本(大森望全訳版ではなく、旧版)で間に合わせる予定である。一一それにしても、サンリオSF文庫も安くなったものだ…。

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さて、本集『ザ・ベスト・オブ・P・K・ディック〈1〉』(1983年)は、編者ジョン・ブラナーの巻頭言に続いて、次の10作が収められている。

(1)彼処にウーブ横たわりて
(2)ルーグ
(3)変種第二号
(4)報酬
(5)贋者
(6)植民地
(7)消耗員
(8)パーキイ・バットの日
(9)薄明の朝食
(10)フォスター、おまえ、死んでるところだぞ

以上を通読してわかるのは、ディックが「贋者・偽物」と「最終戦争」のイメージにとり憑かれていた、ということであろう。

処女短編「彼処にウーブ横たわり」(ハヤカワ文庫では「ウーブ身重く横たわる」)を始め、(3)(5)(6)(10)の5作は「贋者・偽物」テーマであり、(3)(7)(9)は「最終戦争」。
(2)は、ちょっと分類しにくい。(4)は、「記憶」と「活劇」で、トム・クルーズ主演でスピルバーグ監督によって映画化された『マイノリティ・リポート』(原作短編旧題「少数報告」)と同型のお話である。
また、映画化と言えば、(3)は、『ロボコップ』ピーター・ウェラー主演、クリスチャン・デュゲイ監督の『スクリーマーズ』の原作となっている(大森望全訳版では、本作「変種第二号」がサブタイトルになっている)。

さて、私が、この短編集を読んで思ったのは、ディックの「贋者・偽物」テーマも「最終戦争」テーマも、そして後期の「ヴァリス三部作」も、結局は「私は騙されているのかもしれない」といった、少々「被害妄想的」な強迫観念から出たものだということだ。

「贋者・偽物」テーマは、「私は騙されているのかもしれない」という観念と直結する点でわかりやすいが、「最終戦争」テーマというのも、結局のところは「今の平和は、偽物かもしれない」といった「冷戦期」的な感覚に発するように思えるし、「ヴァリス三部作」の宗教(神学)的なテーマも、要は「この世界は、本来の世界ではないのかもしれない」という感覚を、キリスト教異端派(グノーシス主義)的な世界観で構築して見せたものだと言えるだろう。

今でこそ私は、積極的な「宗教批判者」としてキリスト教批判も行い、そのために聖書や神学書まで読んだような人間で、ディックの翻訳者として知られる大瀧啓裕のように、積極的に「神秘主義思想」を楽しみはしないが、そうしたものに惹かれる気持ちはよくわかるし、その傾向は昔からあったわけだ。

では、なんで、そんな私が「宗教批判」批判や、「オカルト」批判、「スピリチュアリズム神秘主義霊性主義)」批判をするのかと言えば、それらの理論が、所詮は「手前味噌」なものでしかなく、信じるに足る「確たる証拠」を持たないものでしかないからだ。

そして、「確たる証拠」もないものを信じるほど、私は「軽信の徒」ではなく、むしろ「完璧主義の強信者」になりたい人間だからこそ、現実に存在する「宗教」や「オカルト」「スピリチュアリズム(神秘主義・霊性主義)」といったものを、「こんなもんじゃ、ダメだ」と、片っぱしから「ダメ出し」しているのではないかと思う。
また、だからこそ、「フィクション」だという前提に立つのなら、そうした「この世ならざる世界」観に惹かれるのであろう。

たしかに、後期の重厚感ある長編に比べれば、ここに収められた初期短編は、いささかお手軽で物足りない感じは否めないが、しかし、本質的なところで、ディックの個性が私のそれと合致しているので、どれも、読んでいて楽しい作品でだった。

思うに、ディックの「贋者・偽物」テーマというのは、私が各種レビューなどで、いつでも読者に要求している、「自己批評」のことなのであろう。
要は、「己を疑い、この当たり前の世界を疑え」ということである。


(2022年12月18日)

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