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中村圭志 『西洋人の「無神論」 日本人の「無宗教」』 : 明晰な理性の書

書評:中村圭志『西洋人の「無神論」日本人の「無宗教」』(ディスカヴァー携書)

著者の本を読んだのはこれが初めてだったが、本書は、これぞ「名著」と呼ぶにふさわしい極めて充実した内容で、私は今「読書家としての喜び」を噛み締めている最中だ。もちろん、本書が今年読んだ30冊ほどの「宗教関連書」の中で、断トツに優れた内容であったのは、言うまでもない。

だから、自身の信仰に自信を持っている人は無論、信仰に迷いを感じている人にも、信仰など迷妄に過ぎないという立場の人にも、本書は、それぞれに大きな影響を与えるものであろうことは間違いないと保証したい。
体裁はお手軽な新書であり、タイトルもわりあい軽いのだが、その内容はユーモアを纏いながらもシャープにして壮絶。これを読まないのは、読書家としての損失だと言えよう。

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もちろん、論理的にものを考えることが出来ない人には、拒絶反応をひき起すかも知れないが、本書くらい親切にわかりやすく書かれた本が通読堪能できないようでは、そもそもその人は「考える読書」の能力を欠いていると断じても良かろう。
とにかく今(5月)の時点で断言しておくが、30年以上、年に150冊以上の本を読んできた私の経験からして、本書は私の年間ベスト1になるであろうことは、ほぼ間違いない。だからこそ、損得抜きで多くの人に「是非とも読め」とお勧めしたい、極上の一書なのである。

さて、本書に書かれているのは「無神論とは何か」ということである。
こう書くと、信仰者は無論、信仰を持たない「無宗教」の人も「そんなのわかっている」と思う人が多いのではないだろうか。「要は、神様なんていないと考えてる、科学的な人たちでしょう」という感じだ。しかし、事はそんな単純ではない。

私自身、自分が「無宗教の無神論者」だと自覚してきたし、その立場から「宗教批判」を行ってもきたから、宗教書についてはたくさん読んできた。無論、宗教全般を詳しく勉強することは不可能なので、主としてキリスト教を中心として勉強し、一般信者は無論のこと、神父や牧師と教義や歴史について議論しても負けないくらいの知識とロジックを構築してきた。
しかし、そんな私だからこそ「無神論」については、いまさら学ぶまでもないと、ほとんど注目して来なかったのだが、本書で「現代の無神論(新無神論)」を概要を知らされ、自分がこれまで独力で構築してきたことのほぼすべてが、「無神論」の世界では、すでに十二分に方法化されていたことを知って、いささか悔しい思いをさせられたのである。

もちろん、私ごときが考えたり思いついたりするようなことは、どこかで頭のいい人がすでに思いつき語っているだろうとは思っていたのだが、それでも、自力で泥縄式に手にしてきたものが、こんなにコンパクトに整理されているというのは、なかなか悔しいものだったのだ。

だが、そんな個人的な事情はどうあれ、本書の素晴らしさは否定しようがない。
本書は一見やわらかい話題から入って、だんだんと本質的な問題へと掘り下げていく形式を採っているのだが、それでも最後まで「権威(尊大)」ぶったところが皆無で、それはその「軽やかな文体」にもよく表れている。

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これは、著者の立場がなにより「理性」に立脚しているからで、外形的な「権威」など必要としていないからである。
言い変えれば、宗教というのは「非理性」的であるからこそ、「権威」を強調したがるし、それに惹かれるのも「非理性」的な人たちなのだと言えよう。
頭の悪い人(読者)は、「権威ある著者」を我先に絶賛したり、あるいは、その真逆に(ネトウヨなどと同様)根拠も示さず扱き下ろすことで、自身を「権威付け」ようとするものなのだ。
だが、本書の著者の場合は、そうした「貧乏臭い」態度とは真逆の、極めて「クール」な叙述(態度)なのである。

また、そんな著者の立場が「一神教世界における無神論」に近いものであるのも、「無神論」が「理性」に立脚するものだからなのだが、しかし、著者は日本人であり「多神教世界における無神論」者であるから、「一神教世界における無神論」を相対化できる側面もあって、本書の眼目もそこにある。

しかしまた、そのテーマに到るまでには、読者が「一神教」「無神論」「多神教」「無宗教」というものの性格を、ある程度理解していなくては、著者の目論む議論は成立しない。そこで、著者はこれらの「下ごしらえ」を懇切丁寧に行ったあとで、本題に入るのだが、本題に入る前のこの「下ごしらえ=前提的解説」が、すでにして「明晰な理性による腑分け」なので、その部分ですら、知的にスリリングな読み物となっているのだ。

とにかく、あまりにも幅広く充実した内容なので、いささか抽象的な絶賛になってしまったが、私の場合「膾切りの酷評」はしばしばあってでも、このような「無条件の絶賛」は絶えて無いものだというのは、他のレビューを確認してもらえば、はっきりするはずである。

例えば、私が「蒙昧な著作」と酷評する、次のような本と、本書を読み比べてみるといい。
著者の知名度や「肩書き」は、下の著者の方が上だろうが、その内容と知的レベルは、逆対応で「月とスッポン」だというのが、よくわかるはずだ。


【比較参照推薦図書】

・阿満利麿『人はなぜ宗教を必要とするのか』
   ※ 著者は、浄土宗・浄土真宗系仏教の信者で、宗教学者

・稲垣良典『神とは何か 哲学としてのキリスト教』
     『カトリック入門 日本文化からのアプローチ』
   ※ 著者は、カトリック信者の「中世哲学」研究者


初出:2019年5月10日「アマゾンレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)
再録:2019年 5月12日「アレクセイの花園」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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