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半沢孝麿 『近代日本のカトリシズム ― 思想史的考察』 : 客観的立場を装って書かれた、 党派的カトリック思想家 擁護論

書評:半沢孝麿『近代日本のカトリシズム ― 思想史的考察』(みすず書房)

端的に言ってしまえば、本書は『東京大学の学生時代、カトリック研究会に所属した経歴を持つ信者』である著者による、一般には忘れ去られているに等しい、近代カトリック思想家の擁護論的(護教的)再評価の書である。
著者は、思想史家としての客観性をしきりに自己主張しているが、本書の中では「著者紹介」を含めて、著者が「カトリック信者」であることがまったく明かされておらず、この一点を捉えても、著者の客観性の担保は極めて疑わしいと言わざるを得ない。

実際、本書で扱われているカトリック思想家は、吉満義彦、田中耕太郎、岩下壮一の三人(著者の出身大学の先輩)であり、補論として、この三人が批判したプロテスタント思想家である内村鑑三が論じられているが、これらを通読して明白なのはその「党派性」である。
つまり、吉満と岩下については、客観的には戦争傍観的あるいは戦争協力的と評価されている点について、内面分析的手法でもっぱら擁護論が語られ正当化がなされている一方、おなじカトリック思想家でも田中耕太郎の場合は、その思想的弱点が、プロテスタントからの転向後もそのまま温存されたプロテスタント性として批判されている。もちろん、プロテスタントである内村鑑三に関しては、世間一般の高い評価に注文をつけることを目的とした論考である。

著者は、序章の中で、これまでの一般的な近代日本思想史では顧みられなかった部分について、あえて新しい視点を提供することを目的としたため、これまで一般には高く評価されなかったカトリック思想家については、本人の意図に内在的に論じたというようなことを語っているが、要はこれは党派的な「つもりだった」論だということである。
したがって、吉満や岩下に関しては、これまで指摘されてきた弱点や問題点については、著者は自分の任ではないと言及を避けている。そのため、本書だけを読めば、吉満や岩下が何の問題もない、素晴らしい思想家のように読めてしまうが、これは片手に握った「不都合な事実」をあえて後ろに隠した著者のレトリックのせいだと正しく認識すべきだろう。

近年、わが国の経済的行き詰まりに伴って、保守主義や反知性主義と呼ばれるものが目立ってきており、また海外では宗教原理主義が力を盛り返しているのと時を同じくして、いったんは過去の人となった岩下壮一を中心とした近代的カトリシズム(反現代カトリシズム)の再評価の動きが表れてきたようだが、本書はそうした動きの先鞭をつけた著作として「保守的カトリック信者」から、過剰に高い評価を受けているようである。
しかし、じっさいに読んでみれば、同党派読者にはありがたい本ではあっても、プロテスタントはもとより私のような非信仰者には、極めて凡庸な「党派的著作」としてしか評価しえない。つまり、カトリック信者か保守主義者以外、本書をことさらに高く評価する者はほぼいない、と言って良かろう。本書の著者と同様に、自身の信仰を隠して絶賛する類いの党派的レビューには、くれぐれも注意すべきである、とあえて蛇足しておこう。

書評:2016年3月2日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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