見出し画像

テッド・チャン 『息吹』 : この〈物足りなさ〉は 何処から?

書評:テッド・チャン『息吹』(早川書房)

私も『あなたの人生の物語』を刊行当時に読んで、すごく感心した読者の一人なので、17年ぶりとなるこの第二作品集に期待する気持ちなら、他の人と変わらないはずなのだが、なぜだか「物足りない」という印象につきまとわれた。

この作品集について、出来が悪いと言いたいのではない。
そもそも、十数年前に読んだ『あなたの人生の物語』について、何にどのように感動感心したのか、まったく記憶していないので、それとの比較も不可能であり、はたしてテッド・チャンが変わったのか、読者である私の方が変わったのか、そこも今では定かではない。
いずれにしろ、十数年という歳月は、人を多少なりとも変えていて当然なのだから、それ自体は問題ではないのだが、それにしても何が変わったのかが、個人的には気になるところだし、そんな気分なのに、何も変わっていていないような顔をして、皆と同じように盛り上がるなんてことは、私には到底できない相談だったのである。

私が、本作品集収録作品について、一貫して感じたことは「良くできているが、引き込まれない」といったような不満だった。「非常に知的な、良く出来た作品」であるという評価は、たぶん多くの読者に共通するものだろう。私もそれには同感なのだが、しかし、それだけでは、私には不満だった。

本作品収録の作品が、単なるエンタメではなく、ハッキリとしたテーマ性を持って読者に思考を求めるものだという点で、それらはいずれも「文学的」な作品と呼ぶことができるだろう。
しかし、そのいかにも「文学的」な造りをはみ出すところのない、まとまりの良い完成度の高さが、その優等生的な行儀の良さが、私には物足りなく感じられた。もっと「著者の思考や倫理からはみ出していくような過剰性」を私は求めていたようであり、それが本作品集の作品には感じられなかったのだ。

例えば、本作品集冒頭の短編「商人と錬金術師の門」にも、そうした特徴がそのまま表れている。
私はSF者ではないので、本作のタイムマシンのアイデアの新しさという点については、もとから興味もなく、そこで感心することもなかった。だから、問題となるのは、そこに描かれた「人生」というものへの著者の「考察」、と言うよりは、「態度」ということになるのだろうが、いずれにしても著者のそれは、いたって真っ当で納得がいくものだと感じはしたものの、言わば、ただそれだった。
つまり「納得」はしたが、特に「驚き」もしなければ「打たれ」もせず、だから「深く考えさせられることもなく」、ただ「なるほど、そうだよね」と同意させられただけだったのである。

そしてそこが、私が「文学作品」に求めるものとしては、少々物足りなかった。評論やエッセイを読まされたのではないのだから、そんなにあっさりと納得できるような「理屈=人生論」を読みたいのではない。
むしろ、そうした真っ当なものを揺るがせるようなものを、私は読みたかったのだと思う。そして、自分の価値観を揺るがされたがために、嫌でも思考を強いられるような、そんな「嫌な作品」を読みたかったのであろうが、残念ながら、本作品集所収の作品には、そういう「文学的な嫌らしさ」が微塵もなく、非常に「上品に完成している」という印象ばかりが強かった。

また、私が本作品集所収の作品に感じたのは、そのいずれもが「寓話」的であるということだった。そして、ここで言う「寓話」とは、「現実」そのものと格闘するものではなく、「現実解釈」を変形して「象徴的に語った物語」というほどの意味である。だから、私が求めていたものはきっと、もっと生々しい「ワン・クッションおかない物語」だったのだろうと思う。

その意味で、「商人と錬金術師の門」を読んで、即座に芥川龍之介の「杜子春」を連想したのは、けっして的外れではなかったはずだ。そして、「杜子春」にかぎらず、芥川の「蜘蛛の糸」「鼻」「羅生門」といった多くの作品は、いずれも「寓話」的であり、かつ極めて「知的」であって、完成度の高い作品である。
私は、それらの作品に、とても感心するのだけれども、しかし、そういう作品が「小説として好きか」と問われれば、すこし違うように思う。

また、テッド・チャン自身、ボルヘスの名前を挙げているが、ボルヘスもまた芥川龍之介と同様の、「寓話」的で「知的」な作家であったことは周知のとおりであり、テッド・チャンは、こうした系譜に属する、SF作家の中では、極めて洗練された「文学的」作家なのであろう。しかし私は、その「洗練」が、どうにも物足りないと感じられたのである。

では、かつての私は、『あなたの人生の物語』の頃のテッド・チャンの、いったい何に感心したのであろうか。
私が変わったのか、テッド・チャンが変わったのか。それとも二人とも変わったのか。
それはよくわからないが、変わっていないということはない、ということだけは確かであろうと、私は思う。

初出:2020年1月2日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

 ○ ○ ○

















 ○ ○ ○








 ○ ○ ○




この記事が参加している募集

読書感想文

SF小説が好き