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本広克行監督 『サマータイムマシン・ブルース』 : 足し算をするか、平均値を採るか。

映画評:本広克行監督『サマータイムマシン・ブルース』

今頃になって本作を鑑賞したのは、先日刊行された森見登美彦の新刊『四畳半サマータイムマシン・ブルース』を読む前に、原作のほうに当たっておこうと考えたからである。もちろん、この映画にも、原作となる舞台作品があるのだから、正確にはそっちが原作なのだが、舞台というのは、マニアックな人たちの世界なので、ひとまず映画を見て、作品世界をひととおり把握しておけば良いだろう、くらいの気持ちであった。
森見の新作は、それ単品でも読めるように書いてあるだろうが、一応は『サマータイムマシン・ブルース』を押さえた作品なのだし、視ておいて損をするような映画でもないだろうから視ておこう、と思ったのである。

ちなみに、私は本作の原作となった舞台の劇団(劇団ヨーロッパ企画)については、まったく知らなかった。映画版の本広監督についても、大ヒットドラマであり映画にもなった『踊る大捜査線』の監督として、名前だけはボンヤリと知っていた程度で、特にファンというわけではなかった。
では、森見登美彦のファンかと言えば、わりあい好きな作家で5冊くらいは読んでいるものの、ファンというほどでもない。ただ、今回はひさしぶりの新刊という感じだったのと、森見ほどの人気作家が、わざわざコラボをするからには、よほど原作が面白いんだろうと思ったので、ひさしぶりに森見の新作を読もうと思い、その前に映画版を視ることにしたのである。

前置きがずいぶん長くなってしまったが、なぜこんなことを長々と書いたのかというと、本作のような作品は「鑑賞者の立場」によって、その評価が大きく変わるだろうと考えたからである。
もちろん、私の「主観と趣味と立場だけの評価」を語っても良いのだが、それではいろんな意見の出尽くしているであろう現段階で、私がわざわざレビューを書く意味がないと思ったので、私の場合は、自身の立ち位置を明示した上で、そこに自覚的な評価を語ろうと考えたのだ。

本作を評価する上で、大きく影響するであろう「鑑賞者の立場」については、おおよそ次のような諸点が問題になろう。

 (1) 「劇団ヨーロッパ企画」のファンか否か。「本広克行監督」のファンか否か。
 (2) 自覚的な「SFファン(SF者)」か否か。
 (3) 「ドタバタコメディ」が好きか否か。

(1)については、説明するまでもないだろうが、普通の場合、ファンというのは、基本的に「誉める」ものなのだ。つまり、好きな作家との一体感を求める(親近感をアピールしたがる)人(=信者的な人)が多く、その作家を誉めることは、自分のセンスを誉めることにもなると感じがちで、どうしても客観性を欠いて、半ば無意識に、過剰な高評価に走りやすいのである。
もちろん「好きだからこそ、厳しく注文を付ける」というタイプの熱心なファンもいるにはいるけれども、そうした人は、ごく例外的な存在と考えて良いだろう。

(2)について言えば、「タイムトラベルもの」の名作小説や映画を、これまでに読み視ているか否か、の問題だと言えよう。つまり、本作の「ネタ」についての「期待度」の違いだ。
当然のことながら、過去の名作に数多く触れてきた人ならば、期待水準も相応に高くなっているので、どうしても評価は辛くなりがちだ。
「タイムトラベルもの」の作品にほとんど触れたことのない若い人が、本作に感心したり感動できたとしても、「すれっからし」たちにとっては「これくらいは、超えていて然るべき水準だ」くらいの気持ちにしかならないだろう。そうした最低限の期待水準を超えた上で、どれほどの「新しいプラスアルファ」があるのか、そこが評価のポイントとなるのである。

(3)について言えば、これはもうほとんど純粋に「趣味」の問題である。
例えば、ドストエフスキーの代表長編について、単純に「駄作」だとか「くだらない」などと断じる人というのは、単に自分の「趣味」を語っているだけであって、「作品を論じているのではない」ということになろう。言い変えれば、ドストエフスキーの代表長編を理路整然と批判し否定できる人がいたとしたら、その人は天才であり、彼の評価も「正しい」ということになるのだが、そんなことができる人はめったにいない。
同様に「ドタバタコメディ」が、本質的に「素晴らしいものか、くだらないものか」を論じられる人は、まずいないし、見たことがない。なぜかと言えば、そうした評価の違いは、ほとんど「感性の違い」に由来するものであると、頭の良い人は気づいているので、わざわざそんなことを論じる価値など見いだせないからである。
言い変えれば、ある種の「ドタバタコメディ」についての、「ドタバタコメディだから、面白い」「ドタバタコメディだから、くだらない」といった評価は、何も言っていないに等しく、主観客観の区別のできていない評者の「感想」として、ほとんど価値を有さない評価だと断じて良いのである。

さて、以上の3点を踏まえれば、どのような評価のどのような点に、見るに値する価値があるか、あるいは無いのかがわかるはずだ。
もちろん、エンタメ作品の評価について「そこまで厳密に考えるつもりはない」という人には関係のない話だが、私は批評をする者として、この程度の自覚は持って、以下に自身の評価を語るのである。

私の評価は「なかなかよく作り込まれた楽しい作品ではあるが、名作と呼ぶほどではない」といったところになろう。

その理由は、(2)の観点からすれば、本作は「期待水準」はクリアしているものの、「プラスアルファ」が無いという点で、やや物足りないし、期待はずれでもあった。
(3)の点では、私はもともと「コメディ」よりも「重厚なドラマ」の方が好きなので、そもそも評価は厳しくなるのだが、一方で、それを撥ね除けるだけの力を、本作は持つことができなかったという点で、これも「期待水準は超えているが、それ以上の作品ではなかった」という評価になるのである。

そして、問題は、本稿のタイトルである「足し算をするか、平均値を採るか。」という話になる。

これは、「タイムトラベルSF」としても「ドタバタコメディ」としても「青春映画」としても、いずれも「期待水準は超えている作品」なので、これらの要素が3つもあって、それぞれに楽しめるのだから、本作は、「足し算」的に言えば「傑作」と呼んでも良いのではないか、という考え方を採るか、それとも、3つの要素がいずれも「期待水準は超えている作品」なのであれば、それを「平均値」的にとらえて、本作を「期待水準は超えている作品」と評価すれば良いだけ、となるのか、という問題である。

私の答は、むろん後者である。
「よく出来た面白い作品」なのだが、「突き抜けた魅力に欠ける」ところが、本作の弱点なのではないだろうか。

初出:2020年8月8日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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