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ダニエル・C・デネット 『解明される宗教 進化論的アプローチ』 : 「メタ信仰」の問題

書評:ダニエル・C・デネット『解明される宗教 進化論的アプローチ』(青土社 )

本書は、読みやすい本ではない。なぜなら本書は、一般向けに書かれた「宗教を科学的に解読する」といった類いの科学啓蒙書ではなく、まさに「哲学書」だからだ。著者ダニエル・デネットは、主に認知科学を守備範囲とする哲学教授なのである。

字義どおりの「一般向け」科学書ならば、平均的な教養と知性があれば、いちおう理解できるし楽しめもする。
しかし、哲学書というのは、ある結論をわかりやすく教えてくれるようなものではなく、自分の頭で考えることを強いてくるものだから、おのずと読者を選ぶ。親鳥から餌をもらおうと黄色い嘴を大きく開けてピーピー鳴いているだけの雛鳥のような読者ではなく、多少なりとも自分から餌を取りに行く姿勢を、読者は求められるのだ。
したがって、本書にわかりやすく面白い結論を求めるのは、お門違いだと言わなねばならない。それこそ、面白い結論を手軽に求めるだけならば、それは信仰者の安直さと大差ないのである。

本書にお門違いの「面白い仮説の提供」を求めている人というのは、たぶん自身の宗教に対する無知を棚上げにして、宗教や信仰という現象を頭から否定的に見ており、知ったかぶりながら宗教を論破するのに有効な手段(道具)の提供を欲しているだけなのだ。
「宗教なんてものは、頭の悪い奴のすることで、考えるまでもなく下らないものだ」と決めつけて、あとは、その不愉快なもの(馬鹿なくせに偉そうなもの)をいかに効果的に叩き潰すかが問題で、そのための目新しい手段を欲しているだけなので、否定する相手を深く理解する必要など認めないし、哲学にも興味がないのである。

しかし、この態度はきわめて非科学的であり、宗教的であるとさえ言えよう。
デネットも言うように、科学的であるということは、否定すべき相手についても、まず深く理解することが大前提だからである(理解と共感とは別物である)。

さて、そうしたことをいろいろ「考えさせる」一冊として、私が特に面白いと感じたのは、だから第8章「信じることに価値がある」である。

普通、私たちは「信じるに値するものだから信じるのであって、信じること自体に価値があるという考え方は、盲信に道を開くものとして危険きわまりない」と考えるだろう。だが、宗教の世界(あるいは、恋愛の世界)は、そんなに単純ではない。

しばしば宗教にとって、最も大切なものは「純粋な信心」つまり「信じること」であって、「教義の理解」や「行動」は、二の次なのだ。
たとえ教義に無知でも、教義を誤解していても、行動が伴わない信仰でも、信じてさえいれば、神はその心映えを賞賛して、彼を救うのである。なにしろ信者には、無知文盲で貧乏暇なしな人もいるのだから、これは当然なのだ。
そのようなわけで「信じることに価値がある」のであるし、「宗教だけが、人間道徳の確固たる基底となるもの」だという功利的な考え方も根強い。

したがって、デネットが紹介するように「神の存在を信じていなくても、神の存在を信じることが大切だと考える信仰者」は大勢いるということになるし、実際そのとおりなのだ。

だから、そんな信仰者たちに「神なんかいるわけないだろう。お前らはアホか」と、上から目線で利口ぶって、受け売りの科学的説明を開陳して見せたところで、そうした「メタ信仰」を生きる信仰者に信仰を捨てさせることは金輪際できない。

自然宗教とは違い、現代の宗教は、近代科学を通過した「メタ宗教」とも呼ぶべきものであり、それに対して「神なんているわけがない」という「実在する・しない」レベルの議論は通用しない。
そんな議論は、前近代的なものであり、時代錯誤だと言っても過言ではないのだということを、私はデネットにハッキリと教えられた。

だから、宗教や信仰といったものの、前近代性や非科学性を批判する私たちもまた、前近代的な単相思考から脱却しなければならない。
そしてそれをするためにも、単なる「科学的仮説の提供」を求める知の娯楽主義ではなく、評価対象(この場合、宗教・信仰)を自身の問題(人間に普遍的な認知科学的問題あるいは自己言及的難問)として思考し抜く、哲学的思考が必要となるのだ。

「己を知り敵を知れば、百戦危うからず」と格言にもあるとおり、私たちは、敵を侮る傲慢に脚を取られてはならない。
私たちがなるべきは、浅薄な科学教の信者ではなく、科学的思考を身につけた本当の現代人なのである。
また、そのためにも、己に問い己を問う哲学的思考は必須なのだ。
言い変えれば、信仰者には、これが決定的に欠けているのである。

初出:2019年1月10日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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