〈変化〉をおそれない勇気
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〈変化〉をおそれない勇気

年間読書人

書評:橋本輝幸編『2010年代海外SF傑作選』(ハヤカワ文庫)

同編者による『2000年代海外SF傑作選』のレビューに、私は次のように書いた。

『「この作品は面白かった。そっちは面白くなかった(面白さがわからなかった)」で、かまわない。しかし、「何故、(私には)こっちが面白く感じられ、こっちは面白く感じられなかったのだろうか?」と考えてみるスタンスこそが、「SF」的な「思弁的態度」であろうし、それを世間では「批評性」とも呼ぶ。こうした意味において、本集は「自分(私)を読むための、SF的テキスト」として、最適なのではないだろうか。』
 (「〈私の感性〉への根源的遡行」より)

この提案が「共時的」なものだとすれば、本集『2010年代海外SF傑作選』の提示する問題とは、「通時的」問題、すなわち「変化というものに対して、私たちはどのように対峙していくべきなのか」ということになるのかも知れない。
本集は、前の『2000年代海外SF傑作選』に比較しても、作品の多様性が広がっているように思うし、編者の橋本輝幸も、本書の解説で『二〇一〇年代はSFがさらに拡散した時代だった。』(P455)と書いている。

先の大戦後に発展した、日本のSF小説を読んできた者が、いったん立ち止まって「今どきのSF」を眺めてみると、SFも、ずいぶん変わってしまったように感じられる。
良いとか悪いとかではなく、「昔のSF」はずいぶん「人間的」であり「文学的」であり、その意味では、あまり「SF、SFしていなかった」ようにも思える。今の感覚で言えば、「幻想小説」や「(文学的)実験小説」に近いような作品が多かったと感じられ、そうした点で、いわゆる「古き良きSF」という印象を与えるのかも知れない。

本集収録作品の多くは、いわゆる進歩した「科学技術」を扱っているのだが、これは私たちが、以前よりも進歩のスピードを増したかに思える「科学技術」を、楽観視したり等閑視したりできない局面に立たされている、ということを意味しているのではないだろうか。そして、そうした「不安と希望」の最前線に立つ文学が、SFだということなのではないか。

言うまでもなく、科学技術の発展に対し、素朴に夢を託せた「昔は良かった」では済まされないし、進歩した科学技術を「無かったことにする」こともできない。
私たちにそんな難問を課す、問題含みの科学技術の代表としての「原子力利用」や「遺伝子操作」などは、否定拒絶して済む問題ではないのと同時に、「否定して済む問題ではない」と言って済ませられる問題でもない。

本集に収められた諸作品も、科学技術に対して、暗い展望に立つものもあれば、それでも希望を見出そうとするものもあって、どちらか一方が「正しい」ということではないと思う。仮に人類の未来が、科学技術の発展によって滅亡にいたるものであったとしても、しかし、「今ここ」に現に生きる私たちは、ただ(賢しらに)絶望し嘆いていれば良いというものではないからだ。
絶望を口にしながら、それでも絶望しきれず、おめおめと生きているのであれば、少なくとも生きている間は、無理にでも希望を見出し、それを抱いて、暗い予感に対峙し対決するのが、私たち人間の英知であり矜持なのではないだろうか。

そうした意味で、特に興味深かった本集収録作品の一つに、ケン・リュウの「良い狩りを」がある。
この作品は、近代合理主義的思考と科学技術の発展によって失われていく「古き良き世界」を描きながら、しかし「新しいもの」に追われる者の泣き言や嘆き節に終わるのではなく、最後は「新しいもの」を取り込むことにより「古き良きもの」を蘇らせるという逆転劇を描いている。ここには明らかに、私たちが「科学技術」とどう向き合っていくべきかについての、著者の考えが示唆されていよう。

もう一つ、同様の問題提起と提案を示した作品として評価したいのは、郭景芳の「乾坤と亜力」だ。
この作品では、人間の生活全般を支える、万能とさえ見えるシステムAIの「乾坤」が、プログラマーから「幼児に学べ」という、趣旨のよくわからない司令を受け、三歳半の男児「亜力」とやり取りする中で、最後に、彼にとって、まったく新しい「気づき」を得るにいたる、という物語である。

『 乾坤は再び観察データを記録した。幼い子供は褒賞の価値の上下が判断できない。たとえはっきりと伝えられたとしても受け入れない。それから(※ 乾坤は)、いつもと同様に「理解しがたい」の注記をした。しかし乾坤はこのとき夜にプログラマーが彼に言ったことを思い出し、プログラムカーソルを数秒停止させたのち、「理解しがたい」を「理解せねばならない」と置き換えた。』(P44〜45)

そうだ。私たちもまた、「新しい科学技術」が、「新しい世界」が、そして「新しいSF」が、「理解できない」とか「(自分には)面白くない」で済ませるのではなく、「理解せねばならない」と考えるべきなのではないだろうか。
老いて後ろ向きになるのではなく、老いて保守的保身的になるのではなく、幼児のように世界に向き合っていくべきなのではないだろうか。しかも、亜力のように「自分の(人間的な)価値観」を、しっかりと握りしめながら。

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初出:2021年1月10日「Amazonレビュー」





ありがとうございます。お返しもできない不器用な奴ですみません。
年間読書人
その名のとおり、読書が趣味で、守備範囲はかなり広範ですが、主に「文学(全般)」「宗教」「社会問題」に関連するところ。昔から論争家で、書く文章は、いまどき流行らない、忌憚のない批評文が多い。要は、本音主義でおべんちゃらが大嫌い。ただし論理的です。だからタチが悪いとも言われる。