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新城カズマ著・ 伴名練編 『日本SFの臨界点 新城カズマ 月を買った御婦人』 : 〈セカイ〉を愛した創造者

書評:伴名練編『日本SFの臨界点  新城カズマ 月を買った御婦人』(ハヤカワ文庫)

新城カズマとは、どういう作家であろうか。この問いに答えるのは、意外に難しい。

というのも、本書編者である伴名練による長文の作家紹介「ゲームマスター・新城カズマは情報圏を遊歩する」に紹介されているとおり、新城カズマという作家は、単純に「SF作家」だなどとは言えず、みずから進んで、いろんなジャンルの小説を書きこなした、きわめて特異な作家であったからだ。

いわゆる「SF冬の時代」にあって、やむなく「書きたかったプロパーSFを書けなかった」というタイプの作家ではない。
もちろん、新城は、「SF」も好きではあったが、少女小説、ファンタジー、ハイファンタジー、探偵小説、時代小説などなど、いろんな小説ジャンルを同じように愛し、かつそれを書こうと欲望し、事実書いた作家なので、SFファンが、そんな「多面体」の「はみ出し」作家・新城カズマを論じるのは、容易なことではなかった。
(まただからこそ、本書のAmazonレビューも、新城カズマという作家を論じたものが、今のところ1本も投じられていないのだ)

したがって、私がここに投じるべきレビューは、新城カズマという作家の「特性」を論じたものでなければならない。
新城が「どんな仕事をした作家か」については、すでに本書編者の伴名練が、前記の紹介文を書いているのだから、残された問題は、「どんなものを書いた作家か」ではなく、「どんな作家か」なのである。

しかしながら、本書で初めて新城カズマを読んだ私は、必ずしも彼の作品を楽しめなかった。もちろん、「面白い」と感じた作品もあるけれども、全体に、私の「好み」との微妙な「ズレ」を感じた。
だから、私はここで、私自身の「趣味」を正当化するために、新城の「作風」を貶すこともできるだろうが、それでは凡庸でつまらないクソレビューの典型になってしまうから、当然、私はそんなことはせず、むしろ、そうした「趣味」の「ズレ」に着目することで、新城カズマという作家の「特異性=個性」について語りたいと思う。

ちなみに、こういう回りくどくて面倒くさい「前振り」をするのは、新城カズマという作家が、きわめて「批評的」な作家だからであり、凡百の読者に「面倒くさい」と嫌がられようと、新城本人に少しでも届けばいいと思って、これを書いているからだ。
私は、新城カズマの作風に微妙なズレを感じながらも、しかし、たしかに共振するところも感じている。このあたりが、本稿のポイントとなるはずである。

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本書には、10本の掌・短編が収められているが、私が「隔靴掻痒」な印象を受けたのは、冒頭の「議論の余地もございましょうが」からの表題作「月を買ったご婦人」までの8篇で、後の2篇はかなり楽しめた。
だが、新城カズマの「作風=固有性」を論じるのであれば、むしろ前の8篇に対する、私の「個人的な違和感」を問題とすべきであろう。
私は、この8篇に対して、どのような「ズレ」を感じたのか。一一それは「よく作り込まれており、よく書けているけれど、入り込めない」といったような感覚である。

編者の伴名練が、前述の「作家紹介文」でも書いているとおり、新城カズマという小説家は「セカイを細かなところまで作り込んで、完成させる作家」である。こうした評価に異論はないし、適切に新城カズマという作家の美点を指摘していると思う。
しかし、正直なところ、私は「セカイのパーツの細かい作り込み」には、ほとんど興味がないのだ。「すごいな、よくこんなものが案出構築できるものだ」と、客観的に「感心」はするけれど、それが私にとって「面白い」かというと、そうはならない。私の「趣味=好み」は、そういうところにはないのである。

では、どういうところに私の好みがあるのかと言えば、私は「私の属する現実世界」に接した「セカイ」に興味があるのだ。「私の属する現実世界」に接しているからこそ、その別の「セカイ」は、この「現実世界」を「異化」しつつ、「この世界」の本質を剔抉してくれる。だから面白い。
つまり、私の小説の楽しみ方は、徹底して「私」を中心としており、「私」とは「別」に存在する「セカイ」そのものには興味がない。私には、「別世界=セカイ」を「この世界」と結びつけ、こちら側に引き寄せようとする、強固な欲望がある。
一方、新城カズマが嬉々として構築するのは、ストレートな「別世界=セカイ」であり、だからこそ、私は、その「創造者としての力技」に関心しつつも、主観的には「面白い」とは感じられない。要は、そんな「別世界=セカイ」は、「関係がない」から、興味が持てないのである。

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簡単に言えば、私という人間は、極めてオーソドックスな「日本的文学趣味」の人間であり、新城の方は、くりかえし、トールキンやアシモフやボルヘスへの愛着を語るとおりで、基本的には「セカイ(小宇宙)構築を希求する作家」なのだと言えよう。
私が求めるのは、私と直結した「人間」であり、「この世界」を揺るがすための「セカイ」なのだが、新城が好むのは、むしろ「私=この世界」から切れた、独立系の「セカイ構築」なのである。

これをプラモデル趣味に喩えれば(私は戦車模型が好きなのだが)、私は戦車模型そのものを作り込む方向を好む。既製品だけで作るのではなく、別売のエッチングパーツを使う。塗装も、最新のマテリアルを使い、一般的なウェザリング(汚し塗装)だけではなく、サビやハゲや雨だれや立体的な泥の付着などを再現し、徹底的にリアルに仕上げるのだ。一一こう書くと、それは新城カズマの「精緻なセカイ創造」と同じ方向ではないかと思うかも知れないが、もちろん違う。

新城カズマの場合は、「戦車だけを作り込む」のではなく、作り込んだ戦車を配置する「精緻なセカイ」を構築する方向に進む。つまり「ジオラマ(情景模型)」化だ。
新城は「戦車(=キャラクター)」だけでは満足しない。「戦車」もまた「パーツ」であり、それが置かれるべき「セカイ」を構築するために、精緻な木を植え、精緻な地面を整え、精妙な歩兵を配置し、それらが一体となって構成する「精緻な小宇宙」を作ろうとする。
だから、「戦車(=人間)」さえあればいい私のような「戦車=私」好きには、凝ったジオラマに感心はしつつも、好みとしては「ちょっと違う」と感じてしまう。そこにそれだけ手間と時間を注力のであれば、もっと「戦車=人間=私」そのものを作り込んだ方が良かったんじゃないか、そっちに力を注いで欲しかった、と感じるのである。

これが、私と新城カズマとの「ズレ」であり「好み=趣味」の違いであり「方向性」の違いなのだ。
「世界を構築する」という大きな意味では同じでも、私の場合は「内へ内へと掘り進む」のに対し、新城の場合は「いろんなセカイ=ジオラマ」を作りたがる。

私の場合は、どんな場合にも、どんなところに置かれても、「私」が問題なのであるが、新城カズマの場合は、「私」は問題ではなく、「そのセカイとそのセカイの人々」が問題なのである。だから、いろんなジャンルの小説を書きたがるし、それらはそれぞれに凝って作り込んであり、いずれ劣らぬよく出来た「セカイ」なのである。

これも模型趣味に喩えて言えば、新城カズマが書いているいろんなジャンルの小説とは「ノルマンディー上陸作戦」「エル・アラメインの戦い」「クルスク戦車戦」「スターリングラード攻防戦」「ベルリン陥落」といった「ジオラマ」みたいなものだと言えるだろう。
たしかに、それぞれは、まったく違う「セカイ」なのだけれど、「好みのセカイ」を「すべて作りたい」という欲望においては一貫しており、私のような、好きな「戦車」を徹底的に作り込み、それが一段落したら、同じ戦車の別バージョンを作り込む、みたいな方向性とは真逆なのだ。

また、だからこそ新城の好きな「セカイ」とは「物語性」が強く、「バリエーション」にもこだわる。トールキンやアシモフやボルヘスといった作家の「セカイ創造」に近く、一方、対照的に私の好みは、「私の内面」と「私の内面の反映としての世界」に固執する「日本文学」に近いのだと言えよう。

言い換えれば、新城カズマという作家は、大変に器用な作家ではあるけれど、日本的な「内面主義」的な小説は書けない。
無論、私も楽しめた、あとの2篇「さよなら三角、また来てリープ」や「雨ふりマージ」のような、オーソドックスに「情感」に訴える作品を書くこともできるが、それは「別セカイの住人」に対する「愛」に発するものであって、私たちの住む「この現実世界の人間=私」に対するものではないし、「こちらに引き付けようとする」ものではないだろう。新城カズマという作家は、どこまでも「あちら側」にこだわる作家であって、「こちら側」には、意外に「つれない」作家なのだ。

このようなわけで、新城カズマという作家は、「世界文学」的な方向性では「一般性」を持っている。しかしまた、話をこの「日本」に限定すると、どこか「ズレ」てしまい、いわゆる「器用貧乏」になってしまう。

だが、これは、新城カズマという作家の本質に由来するものなのだから、損得を言っても仕方がないだろう。新城は、自身の本質に正直に小説を書き続け、愛すべき「セカイ」をひとつずつ生んできたのだから、こんなに思いどおりに生きた、幸せな作家というのも、そうはいないのではないかと思う。

新城カズマは、意欲的にラノベを書いた作家という意味では、多くの読者に向けて小説を書いたような印象があるけれども、実のところ彼は、意図ぜずに「我が道を行った孤高の作家」だと言えるのではないだろうか。

初出:2021年8月26日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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