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小川哲 『嘘と正典』 : 小川SFにおける〈静かな諦観と叙情性〉

書評:小川哲『嘘と正典』(早川書房)

小川哲の作品を読むのは、本書が初めてなので、現時点の代表作であろう長編『ゲームの王国』などと比較することは出来ないが、本作品集を読むかぎりにおいては、予想していたよりもずっとクセの無い、とても親しみやすい作風であった。
また、短編集なので、個々の作品に圧倒されるほどの力は無いものの、たぶん見落とされがちであろうこの作家の個性として、私が指摘しておきたいのは、「古き良きSF」にも似た、その「ロマンティシズム」である。

本書は、帯の惹句にあるとおり『「歴史」と「時間」についての作品集。』なのだが、問題は「歴史」や「時間」というものを、作者がどのようなものとして捉えているか、あるいは、どのようなものとして「感じているか」という点だろう。

「歴史」SFや「時間」SFを書く作家は大勢いるから、それ自体が問題なのではない。その作家が、そうしたテーマに何を見ており、何を描こうとしているのか、が問題なのだと思う。
そして、そうした観点からすれば、本書の著者・小川哲が「歴史」や「時間」というものに見ているのは、科学的な興味でもなければ、いま現在の問題を照らす為のもの(道具)でもなく、もっと「気分的」なもののように思える。
こう書くと、「科学的思考」が自慢のSFの世界では、なんだか歯ごたえがない作風であるかのように、否定的に捉えられそうだが、私は小川のそれを、肯定的好意的に捉えている。

たとえば、冒頭の短編「魔術師」は、ある意味でたいへん「懐かしい」感じのする作品で、梶尾真治あたりが書いていたとしても、まったく不自然ではない作品で、そこには良い意味での「そこはかとない叙情性」がある。
こうした「わざとらしくない叙情性」というものは、「文体」を持った作家にしか書けないもので、SF作家である以前に、作家としてたいへん重要な資質だと、私はそれを高く評価したい。小説というものは、「記述内容」だけではなく、「文体」によっても語られるものだからである。

それにしても、小川の「歴史」や「時間」にたいする態度とは、どういうものなのだろうか。
私が思うに、小川のそれは、私たちが持つものとまったく違わない、ごくオーソドックスなものだと思う。つまり、私の生きる「いまここ」は、それとして「独立したもの」ではなく、ここに至るまでの「今は無き過去」が「歴史」として連綿と続いてきた結果としてあるわけなのだが、それを「不思議」だと感じる感性である。

これを「そんなの当たり前じゃないか」と感じる人には、「歴史におけるif」は、完全に「無意味」だということになるのだろうが、まともな人間にとっては、やはり「過去」や「歴史」や「時間」というものは、理屈ではわかっていても、決して体験できないものだからこそ、永遠の「不思議」であるはずなのだ。
自身の加齢やそれにともなう体力視力の低下や、自分が死んだ親と同じ年齢になったりすることが「時間」を感じさせたり、子供の頃には「明治維新といえば、歴史の彼方の事件」だと感じられていたのが、五十歳もすぎれば「たった150年ほど前の話か」と感じられて、今との連続性が強く感じられるようになる、といったことはあるだろう。しかし、誰も「過去」や「歴史」や「時間」そのものを「その目で見る」ことはできないのだから、前述のような「間接的体験」において「過去」や「歴史」や「時間」を感じるようになったらなったで、やはり私たちは「過去」や「歴史」や「時間」を、あらためて「不思議」だと感じてしまうのではないだろうか。
そして、そうした「当たり前の感性」が、本書の著者である小川哲には、活き活きと生き続けており、だからこそ彼は「過去」や「歴史」や「時間」をテーマにした作品を書いたり、テーマにしようと殊更に考えなくても、結果として、そうした感性が作品に反映されるということなのではないだろうか。

未読の『ゲームの王国』は、ポル・ポトを扱っているらしいので「歴史SF」の一種だろうが、『ユートロニカのこちら側』の方は、どうやら「未来」を扱った作品のようだ。
しかし「未来」というのも無論、「過去」に対応して「時間」や「歴史」に関するテーマなのだから、けっしてここでの指摘と無関係ではないだろう。

小川哲の『「歴史」と「時間」についての作品』は、それが「過去」を描いたものであろうと、「未来」を描いたものであろうと、あるいは「今」を描いたものであろうとも、どこかで「歴史」や「時間」という「自分の力では、手の付けられない何か、変えられない何か」として描かれているのではないだろうか。
そしてそこには、この作家特有の「静かな諦観(としての超時間性)」をともなった「SF的な叙情性」があるように、私には感じられたのである。

初出:2020年5月4日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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