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ダンス界最大の追放迫害劇

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自らの「実体験」ノンフィクション
運営しているクリエイター

#音楽

それもまた、悪くない。

(動画を拝借します。)

とにかく、荷物の多いダンサーだった。

「いつでも踊れるように」と

いつも大きなカバンを持ち

ラジカセ、楽曲の数々、着替え、スニーカー、バレエシューズ、タオル

いつも持ち歩いていた。

満員電車では、いつも嫌な顔をされた。

重さ5キロ

「デートの時ぐらいそんな重いモノ置いてきたらいいのに」

いつも彼氏にそう言われていた。

「キャリーケースにすればいいじゃん」

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ダンスの創作過程

(動画を拝借します。)

この曲も自分の未発表作品の一つ。

こういう曲で「ダンスを魅せる」のは

とてつもなく腕がいる。

生半可では決して踊れない曲。

素人はよく

「ゆっくりなテンポのほうが踊りやすい」と言う。

たしかに「踊りはしやすい」

しかし「ダンスで魅せる」レベルになると

あらゆる面でのチカラが必要になる。

ひとつの音楽には様々な楽器の音色が入っている。

ビッグバンドJAZ

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ロックンロールBoogie

(動画を拝借します。)

ロックンロール

単にロックと略されて「音楽として」広く親しまれている。

実はロックンロールって

音楽として出来た当初は「ダンス」という意味も含んでいたらしい。

初めてこれを知った時には

「やっぱりそうだったんだ!」と思った。

というのも

ソリスト転向後、自分はよくロックンロールで踊っていたからである。

ダンスにもロックダンスというものがある。

この踊りは

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Fake Religious 7

■ backnumber ■

「限定された場所」で「権力が集中化」した時 そこは ”宗教” になる。 それは、ダンスの世界でも まったく同じ

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< ダンスの村社会の独自ルール >

①「女はオモチャである」

②「大麻賞賛」

③「例外なく、男に権力が集中する」

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DANGER  ZONE

(動画を拝借します。)

「ダンスだけは誤魔化しがきかない」

どんな分野もそうだけど

長く続けている人間というのは勝手に「ベテラン」「大御所」と呼ばれだす。

でも、それは

あくまでも「ダンスを続けてきた年数」であって

「ダンスの質がいいかどうか」は

全く別の話である。

これは、どんな業界にも共通する話だと思う。

自分の場合は

・ダンスの考え方として「音楽が最優先」型であること

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栄光なき天才

(動画を拝借します。)

自分は一部のダンサーの間では

「栄光なき天才」だと言われていたらしい。

現役中は一切それを知らず、引退後数年経ってから知った。

そう言われていた理由は

「ダンスバトルでの実績がないから」らしい。

そうはいっても

実は無名時代に一度だけダンスバトルでのタイトルを取ってはいた。

かなり昔のことなので知らない人間のほうが多いと思う。

自分はダンスバトルが大嫌いだ

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「先生失格」

(動画を拝借します。)

自分も過去に

「先生」と呼ばれ、生徒がいた時期がある。

10代前後の学生~60代の年配者まで幅広く

レクリエーションレベル ~ セミプロレベルまで

中には障害者もいた。

しかし、自分には「先生」は悉く不向きであった。

理由はいくつかあって

①「自分がなにも出来ないという経験をしていないから」

先の記事に書いたように

飛び抜けて教えるのが上手な人間というの

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ダンス界最大の追放迫害劇

(動画を拝借します。)

自分がダンス界で業界追放となるまでの経緯を

自らの口で話すことは

タブーだと思っていた。

ダンス界最大の追放迫害劇     だからである。

今でも脈々と語り継がれるほどの「過去最大級」

この追放迫害劇において

自分とほんとに関係しているのは

数十人しかいない。

にもかかわらず

勝手に自分も関係があると勘違いした

自分とは無関係の ”自称:ダンサー"

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Fake Religious 6

■ backnumber ■

「限定された場所」で「権力が集中化」した時 そこは ”宗教” になる。 それは、ダンスの世界でも まったく同じ

(動画を拝借します。)

ダンスの「村社会」での独自ルール

③「例外なく、男に権力が集中する」

この「権力」を

純粋な「ダンス力のみ」で持っている人間は

誰一人としていない。

なぜなら

「ダンス」だけは、誤魔化しがきかないからである。

「権

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Fake Religious 5

■ backnumber ■

「限定された場所」で「権力が集中化」した時 そこは ”宗教” になる。 それは、ダンスの世界でも まったく同じ

この記事が大いに関係してくる。

ダンスの「村社会」では

「権力」を持つのは絶対的に男である。

クラシックバレエであっても、その例外はない。

現に

クラシックバレエの人口は圧倒的に女性の方が多いにも関わらず

世間に広く知られるのは何故か決まって

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自分のルーツ

(動画を拝借します。)

ダンスのジャンル=「型」

その「型」から見れば

自分のダンスの「型」のルーツはJAZZダンスである。

これはJAZZダンス主体でやっていたものではなく

とある競技スポーツのために

仕方なくやらされていたものである。

それとともにモダンバレエの基礎もまた

やらされていた。

それが「自分のルーツ」でもある。

10代のある日ふと

「JAZZダンスなのに何故音

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Fake Religious

(動画を拝借します。)

「学会に入ればいつでもHerbie Hancockのレコード聴けるよ!」

ダンサーだった当時

たった1人だけ露骨な宗教勧誘してきた女がいた。

彼女はダンサーであり、熱心な宗教信者だった。

信仰は自由である。

自分は彼女が熱心な信者であることは否定しなかった。

「別にいいんじゃん?」

彼女にもハッキリそう言っていた。

しかし、上の誘い文句だけはドン引きした。

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Any time

(動画を拝借します。)

本当に「自分のダンス」を極めたいと思ったら

安易に共感してはいけないのである。

「1人の人間」としての

日常生活、仕事、なんらかの集まり

そういう場所では共感性というのが多少必要になる。

他人との関りがある以上

共感性を以って「協調性」を持っていないと

日本では生きづらい。

しかし、こと「一人のアーティスト」となると

そんなもの全く必要がない。

なぜな

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サムライ同仁斎

(動画を拝借します。)

お茶を点てる。

賑やかな茶会は好まない。

たしなみはいつも、同仁斎スタイル。

客人は招かず

たった一人でお茶をたしなむ。

”ダンサー”としての自分は

最初から「掟破り」で「型破り」の人間だった。

「常識・伝統なんて言葉がコイツにはあるのか?」

そんな風に言われてもおかしくないぐらいだった。

だから、まさか自分がお茶を点てるだなんて

当時を知る人間は誰も

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