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ダンス界最大の追放迫害劇

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自らの「実体験」ノンフィクション
運営しているクリエイター

#表現

キレイな踊り

(動画を拝借します。)

「キレイな踊りだよね」

とあるラップデュオのダンサーとしてステージに立った。

ホントは最初「バックダンスをして欲しい」と頼まれて引き受けたんだけど

リハーサルを重ねるうち

「もうフロントダンサーでいいんじゃん?」みたいになっちゃって

急遽、本番ではフロントアクトをさせてもらった。

それを観ていたらしく

ステージを降り、控室に入った時

とある有名女性ダンサー

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「ダンスを観る」

(動画を拝借します。)

ダンサーとしてステージに立つときは    ”一人のアーティスト”

でも

ダンスを観るときは、   ただの ”一人の人間”    である。

過去に「どうしても勝たせなければいけない」というコンペに

「ダンスのプロ」として、何度か立ち会ったことがある。

そのときはもちろん、

一人の人間ではなく、一人のアーティストでもなく

「結果を出すためのダンスのプロ」として、

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【完全即興作品】はヤバイ

(動画を拝借します。)

【ダンスの作品】と呼ばれるものは

先の記事で書いた通り

①あらかじめカッチリ作品と仕上げるモノ         と

一切事前に作り込むことなくすべて即興によりLive進行する

②完全即興で「生の作品」として仕上げるモノ       と

大きく分けて2つある。

一般のお客さんが目にするのは、ほとんどが①の

事前にカッチリ作品として作られたモノで

②の完全即興

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ダンスの創作過程

(動画を拝借します。)

この曲も自分の未発表作品の一つ。

こういう曲で「ダンスを魅せる」のは

とてつもなく腕がいる。

生半可では決して踊れない曲。

素人はよく

「ゆっくりなテンポのほうが踊りやすい」と言う。

たしかに「踊りはしやすい」

しかし「ダンスで魅せる」レベルになると

あらゆる面でのチカラが必要になる。

ひとつの音楽には様々な楽器の音色が入っている。

ビッグバンドJAZ

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リアルアーティストの矜持

(動画を拝借します。)

「本当に孤独を受け入れられた時、真の創造性が生まれる」

自分は子供の頃から「表現者気質」ではあった。

アーティストだの表現者だの言うと

「不思議ちゃんっぽい」とか「掴みどころがない」とか

イメージとしてそういうことを想像してしまうけど

自分の場合はそうではなく、「とにかく我が強い」子供で

「自分で選んだこと」に対しては頑として自分の選択を曲げず

「選んだこと

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「完全アウェー」が主戦場

(動画を拝借します。)

自分がダンサーとしてやっていくと親に伝えた時

先の記事に書いたとおり

「芸術家になるなら学校なんか行くんじゃない」

それともう一つ

「海外留学もさせてあげられなくてゴメン」

親に言われたことはこの2つである。

自分は日本だろうが海外だろうが

ダンスをやる国については一切こだわりがなかった。

ダンスを観る客にとっては

文化の違いはあれど

「エキサイティン

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最小限の美学

(動画を拝借します。)

ダンスの中で

「手足を動かすことなく踊ることが出来るダンス」というのがある。

【最小限の美学】

この世界の住人もまた

すべてのダンサーがそうではなかったけれど

どういうわけか

不思議と自分の擁護者?が多かった。

自分の専門分野 と 最小限の美学の世界は

パッと見では ”対極” にあるように見える。

自分の専門分野というのは

あらゆる身体の部位を比較的

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「先生失格」

(動画を拝借します。)

自分も過去に

「先生」と呼ばれ、生徒がいた時期がある。

10代前後の学生~60代の年配者まで幅広く

レクリエーションレベル ~ セミプロレベルまで

中には障害者もいた。

しかし、自分には「先生」は悉く不向きであった。

理由はいくつかあって

①「自分がなにも出来ないという経験をしていないから」

先の記事に書いたように

飛び抜けて教えるのが上手な人間というの

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自分のルーツ

(動画を拝借します。)

ダンスのジャンル=「型」

その「型」から見れば

自分のダンスの「型」のルーツはJAZZダンスである。

これはJAZZダンス主体でやっていたものではなく

とある競技スポーツのために

仕方なくやらされていたものである。

それとともにモダンバレエの基礎もまた

やらされていた。

それが「自分のルーツ」でもある。

10代のある日ふと

「JAZZダンスなのに何故音

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Any time

(動画を拝借します。)

本当に「自分のダンス」を極めたいと思ったら

安易に共感してはいけないのである。

「1人の人間」としての

日常生活、仕事、なんらかの集まり

そういう場所では共感性というのが多少必要になる。

他人との関りがある以上

共感性を以って「協調性」を持っていないと

日本では生きづらい。

しかし、こと「一人のアーティスト」となると

そんなもの全く必要がない。

なぜな

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サムライ同仁斎

(動画を拝借します。)

お茶を点てる。

賑やかな茶会は好まない。

たしなみはいつも、同仁斎スタイル。

客人は招かず

たった一人でお茶をたしなむ。

”ダンサー”としての自分は

最初から「掟破り」で「型破り」の人間だった。

「常識・伝統なんて言葉がコイツにはあるのか?」

そんな風に言われてもおかしくないぐらいだった。

だから、まさか自分がお茶を点てるだなんて

当時を知る人間は誰も

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リアルヒップホップ

(動画を拝借します。)

freestyle Rapでリリックを書いた紙を見ながらやる奴なんか一人もいない。

now on the time

ぜんぶ即興だ。

音楽の中で唯一「自分の言葉」がリズムになるのがラップ。

「自分の言葉」が歌詞になり音階になりリズムになる。

スキャットでもない、ボイスパーカッションでもなく

メッセンジャーのボーカリストでもない

「自分の言葉」こそすべて、それが

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