「私」という存在は、唯一無二でユニークである。このユニークさを十分に活かして生きれば自分の道を歩んで生きられるようになる。自分独自のオリジナルさを際立たせて生きるとき、自分という全存在を認めることができるようになるだろう。私という存在を活かし生かして全肯定。自分の道は自分で創る。
この自分を全肯定。これができれば、喜びの中で魂の目的に沿って生きていけるようになる。肯定するということは迷いを消すということであり、どんなことでも肯定できるようになれば運気が上がっていく。運気は現状を否定するのではなく、肯定できる部分を見つけ、そこを伸ばしていけば上昇させられる。
自己信頼が深まれば深まるほど「私」の可能性が広がっていく。信頼は不安のない状態であるため、心の中に潜む不安を解消していけるようになれば、自分を信頼できるようになり、その度合に応じて出来ることも増えていく。不安を失くし自分に許可を下ろしていけば、想像を創造に変えることが可能となる。
薫育とは、徳を持って育てるという意味。徳とは、何か。それは人それぞれに異なるかもしれない。しかし、どんなことでも愛を持って接すれば、それが徳となる。自分に対して愛を持って接すればそれが徳となり、その経験を活かして様々な物事に取り組めば薫育となる。愛が徳を生み人を育て花は薫り咲く。
これからは「感覚が先、思考が後」の時代となる。感覚は人それぞれであり、人の感覚を均一化することは出来ない。むしろ自分の感覚を信じて生きた方が、自分と一致して生きていける。このため、思考は自分の感覚をいかに具現化するための道具となる。自分に素直に生きるには、感覚を重視した方がいい。
視野を広げていけばいくほど、自我が小さくなっていく。視野をこの宇宙と同一化すれば、完全に自我が消えることだろう。知見を広げながら視野を拡大していけば、次第に自我が薄まっていき、善悪や正邪の判断すらなくなっていく。この宇宙は魂の経験の場であり、すべての経験が愛おしさで包まれる。
丁寧さを意識して丹念に生きれば、今を肯定出来るようになる。今を肯定出来るようになれば自分を信頼できるようになり、前向きな人生を歩んでいける。「今に心を」と念じながら、身体の中心である丹田に自分への信頼を落とし込み、そこを軸にして生きれば、不可能という言葉を消して生きていける。
この自分をより明確に知っていく、それが幸せになる方法となる。迷いは自分を知らないから生まれるものであり、自分が何をしたいのか何を求めているのかをより詳しく知っていけば、迷いを消すことができ自然と行動できるようになる。自分を明確に知って行動する。これが人生を豊かにする方法となる。
人は、すぐに忘れてしまう生き物である。だから、一度決意したことは、何度も思い返して、心に留めるよう努めなけなければならない。そうやって意識を一つに留めて習慣化していけば決意を現実に変えられる。繰り返し思い出して行動し潜在意識に落とし込む。専意を持って生きれば人生を向上させられる。
真理は一人ひとりの心の中にあり、何を求めるかによって真理の形は異なっていく。あなたの心が響くとき、それがあなたの真理となる。私の心が響くとき、それが私の真理となる。心に響く思いに素直に従って生きれば、自分の道を歩んでいけることだろう。私の真理は、私の理を見出すことで真にできる。
心地よい波動を保つこと、それが人生を豊かにする方法となる。我々はネガティブな思いに引っ張られる傾向がある。だからこそ、日頃から自分の感情を観察し、心地よい波動を保てるよう努めていかなければならない。心地よい波動は心を安らげることで放つことができ、そんな安心感が幸福へと導いていく。
生きることの本質は、今のこの瞬間を楽しむことにある。老若男女、誰もが分け隔てなく喜びを感じて楽しく生きる、それが理想の世界。そういった世の中を創っていくには、これまでの考え方を一新させていかなければならない。日々、喜びで生き、それを分け合い循環させていく。それが生命の本質である。
余白を大事にして生きる。中身を充実させようという思いが強よすぎると、力が入ってしまいバランスが悪くなる。けれど、余白と中身のバランスを上手に取れば美しさを保って生きていけるようになる。この世界は陰陽の組み合わせで出来ていている。余白を楽しんで生きるとき、人は心地よく生きていける。
実相とは、ありのままの姿という意味である。この世界は自分の思いがありのまま現実に反映されている。我々は日々、自分の心の実相と相対しながら現実を生み出している。このことを知って理解したなら、否が応でも自分と向き合わなければならなくなる。実相のままに生きるには制限を外していけばいい。
身近な幸せを受け取って収めていくことで、人は誰でも幸せになることができる。今この瞬間を冷静になって見渡せば、そこには必ずこの私を幸せにしてくれる物事が存在する。そうやって身の回りに焦点を当て、日々、身近な幸せを受け取って収めて生きていけば、私の幸せの器を徐々に大きくしていける。
幸せは、新鮮な喜びを心身に浸透させることで実現できる。我々は、これまで蓄積させてきた思いを基に現実を生み出している。このため人生に新しい変化を起こすには過去の思いを新たにし、その思いを心と体に浸透させていかなければならない。喜びとともに新たな思いを浸透させれば、それが現実となる。
どんなことでも実際に行えば身体に反応が起こり、その反応が感情となって現れる。つまり、感情は実体験によって生まれるものであり、その感情によって自分を知ることができる。実践の「践」という字には「ふみ行う」という意味がある。自分の道は、一歩一歩、丁寧にふみ跡を残していくことで創造する。
この地球上においては、人間一人ひとりは小さな存在でしかない。しかし人生の主は自分でしかなく、この自分を寛大に緩めていけば広い視野を持つことができ、物事を多角的に観ることができるようになる。寛大さは余裕の現われであり、余裕を持って生きていけば人生を優雅に歩むことができるようになる。