きみの暮らしに、百字の物語を添えていきます。
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世界でたった一枚の「百字の物語」を毎月、郵送致します。ご自身だけでなく、大切な方への物語の贈り物としても、対応させていただいております。ご要望等があれば、お気軽にご連絡ください。
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KODO
私が棚に並べるのは、古風な日本人からたまたま譲りうけた古書ばかりで、元の持ち主が亡くなった方も少なくない。要は私の本棚で一時期お預かりしているだけに過ぎない。そのような絶版ばかりの本の面影を少し草していくマガジンになる。
古くさい考えで戀愛をテーマに随筆を草してまいります。モテ方等の近代的なものではなく、人としてのあるべき戀愛を書いていきます。不定期ではございますが、原稿用紙も画像としてアップしていきますので、未だ古典立脚した日本語で讀書したい古風な方に届けば幸いです。
日々の暮らしをつらつらと。
高堂つぶやき集。
NPO法人読書普及協会理事長の読書垢。
いきなりだが、私は偶然を信用する。 そして、たまたまの書を君に贈る。 書の原風景は祈りなのだから。 1、人氣記事一覧 2、仕事依頼 お世話になります。お蔭様で以下のような仕事を頂戴しております。仕事のご依頼はコチラからどうぞ。お見積りは無料です。 ▶︎茶会依頼(國内外) 博物館やホテル、オフィス等で茶会を開きます。社内研修等でご依頼される企業様も少なくありません。國内外、対応可能です(応相談)。※平均茶会開催価格:7,000米ドル前後。 ▶︎揮毫依頼(國内外) 博物
今朝がた窓際で執筆していると、家内が散歩から帰ってきて、サプライズがあると云う。しかも、お腹の子からということである。やけに雲が氣になる朝であった。 五千字ほど草し、昼ご飯にした。家内が打った饂飩のうえには、最上伝統野菜の畑ナスと自然農法で育てられた万願寺が置かれていた。最後の晩餐候補のひとつにしてよい味である。食後、家内に連れていかれた先は、私が通った小学校であった。 今朝の散歩でお腹の子に任せて歩いたら、家内が正門に連れてこられたという。正門には、図書館が市民向
過日、十離でご一緒した野郎たちで飲んでいた。 十離とは、ISIS編集学校に守破離とコースがあり、その離の十期生ということである。私が十離に入院したときは、十年前で高校教師をしていた。妙な縁が色々と重なり、私は結局、その年に職員室で定款をこっそり書き、カンボジアで起業している。十離を退院する際は、離論なるものを書くのだけれども、フラジャイルな電波のプノンペンから送った一場を昨日のように憶えている。幾度も送るが、送信し切れぬ、あの絶妙な塩梅はおもしろかった。 現地で登記した法人
執筆は何処で書くかで左右される。海外では一文をひねり出すのに、工場を購入した作家もいるくらいだ。過日は、家内をつれて海辺で書くことにした。遠くには巨大な雲が何かになろうとしているようであった。一万字ほど書いて、顔をあげると、先ほどの雲は跡形もなく消え、静かな夕暮れが拡がっていた。
まみーたこと大澤真美とのご縁は、農業帰りに、ふと葉山の海辺で話そうとなったのがきっかけであった。前後の脈略はあまり覚えていないが、おそらく読書のすすめの小川貴史から最初にその名前を聞いて、またまったく異なるコミュニティの方から、話が合いそうなひとがいるといったような流れで、偶然が重なったからだとおもう。兎に角、初対面であった。ドミニカ共和国に住んでいらしたときに、まみーたと呼ばれていたから、そう名乗っているということである。 対話に重きを置かれている女性なので、初対面で
蚊について、皆様に問いたい。今年奴らは進化を遂げてはいないだろうか?例年は蚊を倒しつつ、蚊に刺されつつの日々を送っているのだか、今年は惨敗だ。別段、ブンブンと五月蝿くもない。思うに奴らはステルス技能を習得したのではないか。お陰で私の身体には虫刺されの天の川が今も煌々と輝いている。
相変わらずの酷暑ではあるものの、昨夕はふと暑さのなかに秋を感じた。たしかに不快な暑さは健在なのだが、微かなる秋の芽生えというべきか。おそらく春夏秋冬は気温ではないのであろう。では何なのだと問われても、言葉が見当たらない。しかし、機械には分からぬ生命的なものであることは間違いない。
きみが生まれてくる日まで、手紙を書いている。おじいちゃんの形見の万年筆で、おとうさん愛用の原稿用紙に。手書きだから、読みにくいでしょう。それでも、きみには自分の字で残したい。だって、機械の字ではいのちを伝えられないから。 五十音はおもしろくてね。そのひとつひとつが神さまなんだ。だから、これは手紙というよりは祈りに近いのかもしれない。 未来への手紙をすすめてくれたのは、きみのおかあさん。そんなおかあさんとは茶道でであった。きっと古風なんだな。ふたりでよく着物ででかける
過日、蚊取り線香付きの家内を連れて、浴衣で地元の祭りにでかけた。私が幼い頃は神社のまえの広場でよく盆踊りを皆で楽しんだものだが、今は境内から離れたところに屋台だけしか出ない。その中のひとつに魚釣り屋があったものの、実際はプラスチックの魚が流されているだけであった。おそらく祭りから神も自然も消えてしまったのであろう。それでも水笛をピーピーと吹く子どもたちを眺めていると、やはり祭りはよいなあと思う。お腹の子も喜んでいたようで、よく動いていた。 その夜には花火があがるというこ
過日は私が理事長を務めるNPO法人読書普及協会の総会であった。冒頭、私は次のようなことを会員の皆様にお話しした。 2024年3月時点で無書店市町村が27.7%に至った。書店が1軒しかない市町村を含めれば、47.4%になる。無論、閉店が決まった街の書店が地域住民やファンの声に後押しされ、店が存続したという事例は他の業界より多い。それだけ本の大切さを皆が本能的に理会しているのかもしれないが、本屋の灯は今にも消えそうな気配はますます濃くなっている。それもそのはずで、書店に平均
昨夕から妙にアクセス数が多いなと思っていたら、今年の「文藝春秋SDGsエッセイ大賞2024」の応募が始まり、そこに作品を掲載くださっていたことがわかった。 去年は過分な評価を頂戴し、お蔭様で下記の記事でグランプリを受賞している。そこで恩返しの意味も含め、この記事で去年の私がそこはかとなく考えていたことを共有しておきたい。今年ご応募を考えているクリエイターさんの参考になる部分があれば、幸いである。 その前に、受賞して何か変わったかとよく聞かれた一年であったので、この場
人の一生なんてあっけない。 よく耳にする言葉だが、身内のこととなると余計に抉られるものがある。父が急逝したのは、コロナ禍の最中であった。つい数日前まで旅を共にし、その日の朝も少し風邪気味かとは感じていたものの、いつもと変わらぬ朝食の景色が広がっていた。ところが、昼過ぎから急変し、生涯初めての救急車に乗ったかと思いきや、父はそのまま還らぬ人となってしまったのである。わずか三時間の出来事であった。 意外にも父と正式な別れができたのは、四十九日直前の明け方の夢でのことになる
お神籤は平安時代、百首の漢詩から吉兆を視たのが始まりとされる。元々、神籤のミは御であり、御籤であったのだろう。そこからより丁寧に御々籤としたのでは、さすがに妙なので、ミを神にしたのではなあるまいか。兎にも角にも、神籤と申せば彼方が占え、お神籤と申せば此方が觀えるだけのことである。
過日、プールにカモが二羽浮いており、そのうち一羽が水に潜った。 「エサなどないだろうに。愚かなカモだ」 と私がつぶやくと、もう一羽のカモがこちらを振り向き、 「水浴びしているだけだろうに。愚かな人間だ」 と嘲笑っていた。よく冷えたカモ南蛮そばを食べたい今日この頃である。