きみの暮らしに、百字の物語を添えていきます。
非公開を背負っていただける方限定で、【会員限定】百字の物語をご覧いただけます。ウェブ上の閲覧のみになります。
世界でたった一枚の「百字の物語」を毎月、郵送致します。ご自身だけでなく、大切な方への物語の贈り物としても、対応させていただいております。ご要望等があれば、お気軽にご連絡ください。
額装した百字の物語を毎月お送り致します。大切な人への贈り物としても、対応させていただいております。ご要望等あれば、お気軽にご連絡ください。
KODO
古くさい考えで戀愛をテーマに随筆を草してまいります。モテ方等の近代的なものではなく、人としてのあるべき戀愛を書いていきます。不定期ではございますが、原稿用紙も画像としてアップしていきますので、未だ古典立脚した日本語で讀書したい古風な方に届けば幸いです。
私が棚に並べるのは、古風な日本人からたまたま譲りうけた古書ばかりで、元の持ち主が亡くなった方も少なくない。要は私の本棚で一時期お預かりしているだけに過ぎない。そのような絶版ばかりの本の面影を少し草していくマガジンになる。
NPO法人読書普及協会理事長の読書垢。
高堂つぶやき集。
高堂作品集
いきなりだが、私は偶然を信用する。 そして、たまたまの書を君に贈る。 書の原風景は祈りなのだから。 1、人氣記事一覧 2、仕事依頼 お世話になります。お蔭様で以下のような仕事を頂戴しております。仕事のご依頼はコチラからどうぞ。お見積りは無料です。 ▶︎茶会依頼(國内外) 博物館やホテル、オフィス等で茶会を開きます。社内研修等でご依頼される企業様も少なくありません。國内外、対応可能です(応相談)。※平均茶会開催価格:7,000米ドル前後。 ▶︎揮毫依頼(國内外) 博物
わずか二日であったが、松丸本舗が復活するというので、懐かしき本を求めた。そのうちの一冊が本書で、名著が故にひとに幾冊かあげてしまっていて、久しく手元になかった。 早速、北陸新幹線の共に読んでいると、異界からやってくるものが、いかに富へと化けたのかがよくわかった。近代日本は劣悪である。なぜ、劣悪かと問われれば、ひとえに一般化がひどいということにつきる。これは松丸本舗の傍らで行われていた松岡正剛校長の追突の会でも話題にあがっていたと思う。 では、どうすれば多様性を纏える
昨晩まで岐阜にいた。無人バスが試行運転とのことで乗車したが、これがいぢらしいくらい繊細なやつで、通行人や車はもちろんのこと、車道の隅に生えた雑草さえも検知しては、スピードをゆるめる。未来のライバルになるからだろうか。民間バスが傍らから、あっという間に追い越し、無人を抜いていった。
コエーリョの『アルケミスト』は170ヶ国以上で読まれ、3億2千万部を突破した旅の物語になる。こう記すと、賞か何かをとって世界的ベストセラーになったような印象を受けるが、当初は900部程度しか売れず、重版されることはなかったという。世界を変えた物語になったのは、そのあとのコエーリョの努力によることが大きい。 本書はコエーリョの物語ではなく、随筆になる。アルケミストもよく旅したが、コエーリョもまたよく旅をした作家であった。そして、世界各国から文章を引用する。 或るイタリ
「お稲荷さん」という言葉には、私の頭のなかにもふたつの意味がある。ひとつは、「食べる」お稲荷さんで、もうひとつは「キツネの神さま」のお稲荷さんだ。「お稲荷さんを食べる」といった場合、一瞬、神社に祀られているあのお稲荷様も一緒にいただいているのだという氣になる。お稲荷さんは偉大だ。
壁打ちが好きになったのは、四十代に入ってからだと思う。以前は先が読める展開が厭で、壁は避けて通った。どうも予測不能な球が飛んできて、それに対応するのがよかったらしい。後の先といったあたりか。ただ壁打ちにもそれがあるのだと識ったのが、私の場合は遅くて、最近であったという話であろう。
怒り狂ったおじいちゃんが赤裸々に綴った文章が好きだ。 さらに云うならば、日本人なんだから日本に還れという方向性も好みだ。 したがって、本書はかなり贔屓にしたい一冊である。 絶版なところも尚、佳い。 著者の吉村先生は、どこか『自然農法』の福岡正信を思わせる。そういえば、あのおじいちゃんも近代日本の科学農法に怒り狂っていた。吉村先生も云うなれば、自然出産を薦めている。 吉村先生は妊婦に薪割や散歩を積極的にさせて、兎に角、身体を動かすことを推奨された方だ。賛否両論
今朝がた窓際で執筆していると、家内が散歩から帰ってきて、サプライズがあると云う。しかも、お腹の子からということである。やけに雲が氣になる朝であった。 五千字ほど草し、昼ご飯にした。家内が打った饂飩のうえには、最上伝統野菜の畑ナスと自然農法で育てられた万願寺が置かれていた。最後の晩餐候補のひとつにしてよい味である。食後、家内に連れていかれた先は、私が通った小学校であった。 今朝の散歩でお腹の子に任せて歩いたら、家内が正門に連れてこられたという。正門には、図書館が市民向
過日、十離でご一緒した野郎たちで飲んでいた。 十離とは、ISIS編集学校に守破離とコースがあり、その離の十期生ということである。私が十離に入院したときは、十年前で高校教師をしていた。妙な縁が色々と重なり、私は結局、その年に職員室で定款をこっそり書き、カンボジアで起業している。十離を退院する際は、離論なるものを書くのだけれども、フラジャイルな電波のプノンペンから送った一場を昨日のように憶えている。幾度も送るが、送信し切れぬ、あの絶妙な塩梅はおもしろかった。 現地で登記した法人
執筆は何処で書くかで左右される。海外では一文をひねり出すのに、工場を購入した作家もいるくらいだ。過日は、家内をつれて海辺で書くことにした。遠くには巨大な雲が何かになろうとしているようであった。一万字ほど書いて、顔をあげると、先ほどの雲は跡形もなく消え、静かな夕暮れが拡がっていた。
まみーたこと大澤真美とのご縁は、農業帰りに、ふと葉山の海辺で話そうとなったのがきっかけであった。前後の脈略はあまり覚えていないが、おそらく読書のすすめの小川貴史から最初にその名前を聞いて、またまったく異なるコミュニティの方から、話が合いそうなひとがいるといったような流れで、偶然が重なったからだとおもう。兎に角、初対面であった。ドミニカ共和国に住んでいらしたときに、まみーたと呼ばれていたから、そう名乗っているということである。 対話に重きを置かれている女性なので、初対面で
蚊について、皆様に問いたい。今年奴らは進化を遂げてはいないだろうか?例年は蚊を倒しつつ、蚊に刺されつつの日々を送っているのだか、今年は惨敗だ。別段、ブンブンと五月蝿くもない。思うに奴らはステルス技能を習得したのではないか。お陰で私の身体には虫刺されの天の川が今も煌々と輝いている。
相変わらずの酷暑ではあるものの、昨夕はふと暑さのなかに秋を感じた。たしかに不快な暑さは健在なのだが、微かなる秋の芽生えというべきか。おそらく春夏秋冬は気温ではないのであろう。では何なのだと問われても、言葉が見当たらない。しかし、機械には分からぬ生命的なものであることは間違いない。
きみが生まれてくる日まで、手紙を書いている。おじいちゃんの形見の万年筆で、おとうさん愛用の原稿用紙に。手書きだから、読みにくいでしょう。それでも、きみには自分の字で残したい。だって、機械の字ではいのちを伝えられないから。 五十音はおもしろくてね。そのひとつひとつが神さまなんだ。だから、これは手紙というよりは祈りに近いのかもしれない。 未来への手紙をすすめてくれたのは、きみのおかあさん。そんなおかあさんとは茶道でであった。きっと古風なんだな。ふたりでよく着物ででかける