マガジンのカバー画像

157
高堂つぶやき集。
運営しているクリエイター

記事一覧

踵に刺激があるなと思ったら、いつの間にか餌がついていたのか、永遠と鶏に靴を突かれていた。あるいは、汚れをとってくれていたのか。否、やはり餌の方であろう。今年度最初の投稿は、このやうなところから始めていきたい。また晴耕雨読三昧になりそうな一年である。改めまして、いつもありがとう。

幾年かまえ、自分が何をしていたかわかるのはSNSが発展してからだ。私の場合、八年まえの朝はプノンペンの渋滞に巻き込まれていた。和装姿にパナマ帽が出勤スタイルで、よき香りの花を路上の子どもたちから買っていた。想像を絶するやうな出来事とかけがえなき想い出で埋め尽くされた月日であった。

過日は熱海に仁清を愛でにいった。裏手に光琳の屏風があったお蔭で、人はそちらに流れ、休日ではあったものの、随分と壺を堪能できた。昨年末、某大企業の社内研修で茶道をお傳えしていた際、茶碗と水指を仁清の写しにしたこともあって、最近は焼物に傾いている。やはり昔の方々の仕事はたしかで佳い。

森羅万象凡てに源はあるものだが、河津櫻の場合、原木は或る民家の庭にある。はじまりの櫻だけあって、その幹は太く、花は大きい。そして、開花がいちばん早い。人よりも櫻が多いこの街を眺めれば、川沿いの並木は觀光地に堕してしまってはいるものの、何処かホッとするものがあり、額の裡が花ひらく。

二十代、私は木に輪廻転生している聖者が多く居るだろうと信じてきたので、たしかな木に触れては上空の枝を見あげてきた。三十代、足裏を耳にして、根から情報を得るようになった。つまりは下を向くようになった。四十代、私は木の内側から木を觀るようになり、ついに私が木であったことに氣がついた。

結婚前、家人がよく花の写真を撮っていた時期があった。木漏れ日がよくはいる家でひとり暮らしをしており、花をもとめては室内でその横顔を眺めている。英語のprofileがもともと「横顔」という意味であったのを識ったのも、その時期のことであった。ひと目惚れはいつも横顔なのかもしれない。

吉祥寺いせやで睡ってゐると、或る夢をみた。その夢は想ひだせば想ひだす程、淡く消ゑゆく類のものであった。もはや断片的な面影すらない。たゞ焼き鳥の匂ひで夢から醒めれば、幾年も睡ったかのやうな妙な氣がした。寝過ごしたかと店を辞し、私は終電のタイムマシンのなかで再び睡りにおちたのである。

アトランティスが沈む際、一部のひとはその高度な文明をまことに惜しんだ。輪廻するにしても結局ひとは百年程度しか生きられぬし、それ以前にまた地球に輪廻するというのも容易ではない。そこで或る者は木に転生し、人を導く道を選んだ。『魔法の森』。私が神社より老木を愛する理由はこの物語にある。

全國に「並木」なる地名は多いが、海岸近くでは松が並べられたケースが散見できる。松ぼっくりは文字通り頭のなかにある松果体によく似ており、私は松を愛でていると、時折自分の脳を覗いているような心地になる。人の脳は松が産んだのだと力説されれば、ついそうなのかと納得してしまいそうである。

過日、治療家の浅井俊介と雑談をした。曰く、冬眠から醒めた直後の熊が弱った体でようやく手に入れた鮭を横盗りしたいのだという。本能的に熊同士でもやらぬであろう最低限の掟を人が安易に破りて鮭を奪う。人としての道も逸れた姿勢に爆笑し、その瞬間わたくしの仙骨の舟が何処からか外れたのである。

この世はマトリックスだという考えは古くからあった。問題はマトリックスからの抜け方だが、デジャヴのやうな相似を見逃さぬ他に、影を觀る姿勢なるものも肝要だと先人たちは云う。そのなかで真に五感から脱獄できた者は如何ほどおいでたのだろうか。幻想世界の先にはさらなる幻想世界が拡がっている。

一昨日、或るみかん農家の畑に生えていた竹を頂戴し、昨日は茶室で竹垣用に磨いていた。遅い冬風で落ちた庭の紅葉は袋につめ、別の畑に腐葉土として用いる予定である。
竹→紅葉→土。
この後、どのような循環が生まれていくのだろうか。願わくば、自然界のわらしべ長者になりたい今日この頃である。

日本一ちいさな蜜柑なるものが我が家にやってきた。たしかにちいさいが、もともと自然の蜜柑はこの程度の大きさであったという。いつもなら余計な品種改良をしたために、不自然な肥大化が起こったと難癖をつけたであろう。しかし、大きな蜜柑で育ってきた身としては、今更戻れぬというのが本音である。

もう故郷には還らぬつもりで家をでて、海外にも住み、私なりの時間を過ごしてきたつもりだが、何の因果か現在は生まれ育った街に暮らしている。今朝、窓辺から子どもが走っているのを眺めていたら、ふと林のなかに消えていった。そんなところに通れる道などあったであろうか。写真は家内が撮った一葉。