マガジンのカバー画像

路傍ノ戀

古くさい考えで戀愛をテーマに随筆を草してまいります。モテ方等の近代的なものではなく、人としてのあるべき戀愛を書いていきます。不定期ではございますが、原稿用紙も画像としてアップして… もっと読む
¥500 / 月 初月無料
運営しているクリエイター

記事一覧

【路傍ノ戀】失戀と春

 失戀を重ねるから、春がくる。  失った戀の微かな欠片が、花を咲かせるのであろう。  一所懸命に多くを失っていくことである。  ひと知れず、戀も時も金も失うとよい。  そして、ひと知れず、暮らしていくとよい。

【路傍の戀】海辺にて

路傍の戀には、山よりも海が似合う。 昔から不動の山は、一歩も動かずして、季節の移ろいを感じさせる景色として憧れられてきたが、路傍においては、やはり儚き海が佳い。 その絶え間なき波の音は何時からはじまり、何時おわるのだろうか。 無限に近き移ろいのなかで、ふたりがこうして出逢うべきは海辺である。 科学的には、月の引力が波を起こしているというが、そんなのは嘘に違いない。おそらく月なきときから、波は闇のなかを寄せてはかえしてきた。

【路傍の戀】一期一会

凡てはこれきり。今宵で最後という覺悟のみが戀になる。 あくる朝がくるとおもうから、戀にならない。

【路傍の戀】履物を揃える

履物を揃える際、よく足で綺麗に揃える方がいるが、それでは戀にはならない。履物は手で揃えるべきものだからである。 たとえ履物が微かにズレていたとしても、きちんと手で揃え直したものであれば、これは戀になり得る。

【路傍の戀】歌に託して

昔々、歌に託して戀を傳えるのが常の時分があった。間もなく逝くであろう妻にも歌を贈って今生の別れを惜しんだ時分になる。 路傍の戀もまた、言の葉は少なければ少ないほうが佳い。接吻の跡など、街の雪のように残さぬことである。

【路傍の戀】冬の牡丹

 藁ぼっちをかぶった牡丹には冬牡丹と寒牡丹がある。前者は春の牡丹を人為的に冬に咲かせたもので、後者は牡丹自身が冬だと識りながら、花のみを咲かす。  つまり冬の路傍に咲くのは寒牡丹のみで、こちらは概して葉が少なく、花も華奢でありながら凛としている。花を咲かせぬ冬もある。  散りゆく寒牡丹にも藁ぼっちをかける。花は散り、人は土に還るが、それでもなおその美を愛でてやることである。

【路傍ノ戀】失われた人を求めて

「稜威」という字は読めるであろうか。 PCの変換機能に出てこなかったから、これも失われた言の葉なのかもしれぬが「いつ」と読む。昔の日本人はこの稜威をよく心得ていた。路傍の戀愛をするならば、やはり今でも稜威がわかる方がよいであろう。 稜威は説明しにくいけれども、云うなれば靈的なものの傍らに居ようとする姿なのかもしれない。花を活けるのでも、暮らしの美しさのためだけに活けるのではなく、今ここで彼岸を感じて活けるのが稜威である。それは人にも云えることで、お相手の背(そびら)に奉げ

【路傍ノ戀】太阿ノ戀劔

 思うに色戀は唇を奪わず、肌にも触れず、一言も語らず、泪をみせずとも、瞬時に成るものなり。男、女を視ず、女、男を視ず。男女未だわかれぬところにあれば、歓を交わすも縁切るも自在となる。これを通という。色を用いず人を殺し、色を用いて人を活かす。殺さんと要せばすなわち殺し、活かさんと要せばすなわち活かす。殺殺三昧、活活三昧なり。是非を視ずして能く是非を視、分別をなさずして能く分別をなす。水を抱くが如く感覺を溶かし、火を抱くが如く浄念を照らす。

【路傍ノ戀】文明開花の音を隱して

戀愛からもいつの頃からか、大量生産の響きがするやうになってきた。文明よりも文化で結ばれたほうが戀愛はたしかになるのに、文明的に戀愛を視てしまったあたりから、等しく美が去った。この世でたったひとつの物語でなければ、戀愛になんぞならない。ところが、文明開花の音に聴き惚れたあたりから、戀愛までもが商品化に堕してしまったのであろう。

【路傍ノ戀】屋根と紅葉

ふたりで居ると妙に偶然が舞いおりてくる。 そのやうな人がおいでたら、戀愛された方がよい。紅葉のやうに移ろう交わりになるであろう。 本来、我が身は永遠などといった陳腐なものを求めて居ない。おもわず息をのむ一場を等しく欲しているだけなのだ。 互いに移ろい、それでも尚、たまたまがふたりを結んでいる。戀愛は常に偶然を屋根にして、過ごされたほうが自然なのかもしれない。 逆に云えば、偶然がなければ動かぬことである。

【路傍ノ戀】音上手

この記事はマガジンを購入した人だけが読めます

【路傍ノ戀】羽を休めて

他の生命を愛でることで人は、己の裡に客觀的にはなきものを創造する。それは尾や水掻きといった退化したものへの追悼から、羽を天使に託す等の神聖化まで多様である。 しかし、戀愛によっては人の肩胛骨に文字通り羽を生やすことがあろう。それは無論、感覺的なことではあるものの、客觀的真実が霞むほど生命が響く。 路の傍らでは戀人たちがその羽を休めている。

【路傍ノ戀】路の傍らで

まず名もなき路を歩まれたい。 その傍らで人に逢い、時には何処かで並んで坐り、空を一緒に見あげるとよい。その人の横顔が視界にはいるから。英語profileの語源は横顔。横顔にはその方のプロフが香っている。 ひと目惚れはいつも横顔。

【路傍ノ戀】秘すれば姫

古事記研究者のなかで特筆すべきは大石凝真素美や笠井叡といった方々が挙げられるが、彼らは古事記のなかにおける姫を秘目と視て、天津金木なる靈具を回転させては、世界を動かしてきた。要は元来、秘目とは回転のことであり、それを姫に託しただけのことである。 さて、秘すれば花とはよく云ったもので、まずは互いに秘する聖域がなければ戀愛にならない。では秘するだけれよいのかと云えば、無論、それだけでは運命の輪は回らず、異様な静かさが残るだけになってしまう。 非公開を背負え、かつ言の葉に頼らず