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From middle of nowhere

このアカウントではこれまで、身バレを防ぐため、わりと希少な臨床例として「見えにくい深刻な虐待や暴力」の形やその影響(後遺症)について、匿名で記載を続けてきた。
主に記録用途の運用だったので、イイネやコメント等のいわゆるSNS交流は行ってこず、訪問してくださったのはギター、洋楽好きだったり歌詞の和訳をご覧になりたかった方(多くは一見さん)が主だったのではと思う。
検索避けのために実際の本文内容が透けにくい"Guitar●●(日付)"という形にしていたので、純粋なギターの記事(?)だと思って開いてびっくりさせてしまったことも多かったのではないかと思う。一応、というかギターも下手なりにちゃんと練習はしていたんだけど。(申し訳ないです。)

筆者はアカウント開設時、というか2月の業務や雇用の剥奪時点で、「終わり」を想定していたので、「その時」「その事」を知らせないため、退職後は周囲とプライベートな繋がりは断ち、ここが友人知人の目に触れることもないようにと運用を続けてきた。

しかし、後述のように、この先公開することにした内容は、非常に公益性が高く、広く検証され問われて然るべきものである。同じような立場で、同じような目に遭いながらも泣き寝入りせざるを得なかった方々(特に大学非常勤講師をはじめとする非正規雇用の方々)もたくさんいらっしゃるだろう。加えて、「人権」や「多様性」、「対話」、「平和」の重視を広くアピールしている法人内でこのようなことが、そもそも起きた上に見逃され、再三の異議申し立てを経ても何ら対策が講じられなかったことに関しては、ひたすら失望絶望させられたし、そのような事態が、果たして日頃の法人の広報と合致しているのかは、外部の目をもって"critical"に吟味されるべきであろう。新たな犠牲者を生まないために。

よって、当初の方針を変更し、以降、退職経緯、国際基督教大学(通称ICU)法人のハラスメント対策委員会(人権委員会)へのアプローチその後の経緯までを開くこととした。既に記載の内容で筆者の所属や職務についてはほぼ推測がきく形にはなっているが、特定のための過去記事読み直し等は不要である。
後に、筆者が法人へ提出した資料及び元所属(国際基督教大学高等学校、通称ICU高校、ICUHS)や法人から受け取った書類などは、加害に関わっていない保護すべき対象への配慮のための加工を施した上で公開され、それにより全ては明らかになる。

法人は筆者が「検証されることを前提に(むしろきちんと検証してほしかった)」ハラスメント対策委員会宛てに提出した資料のオリジナルを保有しており、本件についてはそれらに基づき4月末より(ハラスメント対策委員会の枠ではなく)11月末まで「監査」が行われた。
よって、法人はいつ何が起こり、当人が何をどのように捉え感じ影響を受けたかということを確実に、全て把握している。監査の過程では関係者への聞き取り(裏どり)も行われている。過程で筆者提出の資料内容に虚偽等が認められたとの報告は無かった。しかしその上で法人は、パワーハラスメントや業務の剥奪による実質的な「解雇」について、一切、認めることも、補償を行うことも、言及することすら無かった。

ところが、以下は筆者の離職票である。

離職理由は「労働者の判断によるもの」(自己都合)のうちの、よりによって「事業主又は他の労働者から就業環境が著しく害されるような言動を受けたと労働者が判断したため」にされている。
つまり、法人が設定した離職理由としては、「無期雇用者」に対する「解雇」ではなかった「ことにする」ために筆者が「パワハラ」を受けたと認識していることを利用しながら、「パワハラ」や「無期雇用の剥奪」に対する救済を求めて筆者がかけあったハラスメント対策委員会は、あえてそれを回避した形となっている。このことには非常に、強く、失望させられた。

ハラスメント対策委員会への救済措置を求めながらも機能せずに迎えることとなった退職手続きの際、「これは自己都合ではない」「元所属の都合」による「解雇」であると再三人事部に伝えたものの、離職理由が変更されることは無かった。そのため、「離職者本人の判断」は「異議有り」となっている。
法人は、離職理由についての異議はハローワークが判断することだから、後はハローワークとやり取りをするようにと筆者に伝えてきたので、法人「行政」「組織運営」としては、退職経緯、関連資料が外部に渡り検証されることを当然想定した上で、問題ないと判断したのだろう。

しかし、本当にそう言えるのだろうか。特に、「人権」や「多様性」、「対話」、「平和」の重視を広くアピールしている組織内でのこのような事案や対応が。それは建学の精神、法人が掲げる理念への冒涜ではないか。
是非、「当事者」(非常勤講師)、「選択する者」(受験生や保護者)、Alumniの目をもって、"critical"に吟味していただきたい。特に、3月に行政部と行った書面のやり取り等は非常に愉快な内容であり、「対話」とは何かと、組織が広報でPRしている内容と現状を比較し思索を深めるための非常によい教材になるであろうし、加えて、その中で述べられていることが元所属の設立の目的と合致しているかを検証する際の鍵にもなるかとも思う。人は過去に学ぶべきである。

なお、筆者は失業保険は受け取っていない。退職を余儀なくされた時点で「終わり」を見据えていたし、全て自分独りで立ち対応してこなければならなかった境遇上、「備えよ常に」をしてきた関係で、残りの時間に必要な蓄えはあった。
何より、ノーマスクだらけであろう職安に通って手続き等を行わなければならないこと、嫌がらせやパワハラによる諸々の状態悪化により、特にノーマスク化した社会の中などで到底行えるはずもない職探しや再就職へ向けて動いている「フリ」をする気にすらならないこと、加えて、ハローワークの職員も非正規低賃金雇用が主であるため、そのような中で果たして妥当な検証が行われるのかという懸念もあった。筆者は基本的に人を信用しない性質なので、特に当人のセンシティブな情報を含む経緯を、質の保証が予め見込めない相手に委ねるなどという重大リスクは、多少のニンジンがチラついたところで天秤にかけるまでもないことだった。そもそも、端金に目が眩むくらいなら、あの一族の世界から抜け出すことも無かっただろう。

筆者はとある法人内で福利厚生ありで無期転換済みの非常勤講師として二桁年の勤務を続けてきた。加えて、非常勤であるため、収入の確保及びリスク分散のため、別の二つの組織の中で、うち一つは2020年3月末まで(通勤の電車混雑リスクが非常に高い場所だった)、もう一つは2023年5月末まで(業務の区切りと引き継ぎの関係で)、勤務を続けてきた(三つとも勤務開始年は同じ)。また、後述の通り、2021年度には共済要件の維持のため、法人内の所属外(大学内)で勤務を行っている

実質的な市中感染リスクが高まっていた時期に勤めていたのは法人内の元所属部署、大学、法人外の(5月末までの)職場であるが、この中で「勤務」や「滞在場所」「環境」に強い脅威と苦痛を感じ「息ができなくなった」のは元所属部署のみだった。よって、相手に対する適切な配慮や一定の感染対策が行われている場所であれば、コロナ感染と特にその後遺症に強い危機感を持っている筆者であっても、充分勤務は可能であったのである。
それを、元所属は「避けられない研究室内での専任のノーマスク、換気のために必死で開け続けたドアや窓を閉めること、その他の理不尽、最終的には「予め行えないと伝えていた条件のもの「のみ」でありかつ明らかに専門性を無視した妥当でない講座「のみ」を筆者に割り当てたこと等によって、「非常勤講師のくせに」組織の方針、専任、特に管理職に楯突いた(その他の要素もあるのだが、それについては後に資料で)「集団の敵」を「自己都合の形にして追い出す」ことに見事成功した。

今年度の時間割については2月中旬に通知があり、そに内容を見て筆者は唖然とし、即「受けられない」と回答した。加えて、新年度切り替わり後の5類化への方針が出ていた時期だったので、「マスク」についての所属の方針についてはどうなっているのかと確認した。加えて、指定されたコマ割りは明らかに専門性を無視した不合理なものであり、本来筆者が担当すべき講座であれば少人数でもあるため感染対策を行った上で授業が行える、そちらを担当させてほしいと伝えた。
しかし、「相手にマスクを求めることは認めない」「指定した時間割以外の選択肢は無い」が組織からの回答であった

この時点で筆者は大学のハラスメント対策委員会及び法人人事部へのコンタクトを開始し、救済措置を求め続けた。

しかし法人人事部とのやり取りは、それ以前、実は2021年度から既に始まっていた。

筆者は2020年度(2021年)2月に、それまでの組織内の感染対策(意識)の弱さや「非常勤講師」に対して「専任」であれば把握している校内の感染者情報が隠蔽されたことなどからも業務環境におけるリスクを強く感じており、管理職宛てに、感染対策に関する問い合わせ及び申し立てを文書で行った。その際の返答は

「リスクの高い中の授業を、心理的に「強制」だとお感じになるということは理解できないことはありません。ただし、生徒と違って、教員は社会人・職業人として、「業務」として報酬を受けていますので、「強制」ではなく「業務のお願い」であると考えます。どうしてもその業務をしていただけないということであれば、強制はいたしませんので、先生ご自身が業務を変えていただくことをお考えいただかざるを得ないと思います」

つまり、「嫌なら出て行け」「大人しく言うことをきかなければ首を切る」という内容であった。
ちなみに上記の発言は、メールにて、他の専任教諭や事務職員にもCCで共有されていたものだが、その誰からも、何の訂正もフォローも無かった。組織内の「専任」職員の目からすれば、「非常勤」講師など、いくらでも取り替えのきく、使い捨て可能な、取るに足らない存在であるということが共通認識であろうことが改めて確認された形となった(そのような雰囲気は以前から感じていた)

驚愕した。ここはかつて私が救われた大学と同じ法人内の組織ではなかったのか。圧倒的なパワーバランスがある中で、「選ぶ側」であり業務を与えたり剥奪できたりする「管理職・専任」が「非常勤講師」に対して上記のような発言を当然のごとく行えるとは、その権力、特権性や人権に対してあまりに無自覚が過ぎないか。「人権の尊重」を主張する日頃の広報との乖離が甚だしくないか。あるいは人権は、お客様であるstudentsや専任職員、遠い国で目に見える困難を抱える人々にはあるが、「非常勤講師」には与えられないものなのか。あるいは「非常勤講師」は人間ではないということなのか。都合のよい時にだけ「チーム」呼ばわりする一方で。
しかし、時期的なこともあったので「感染対策が弱い中でリスクの高い、受講者の人数が多く特に発話を多く行わざるを得ない講座は担当ができない」と、収入の大半を失っても、リスクの高い業務を断り、少人数制の講座のみ引き受ける形で、管理職の言説に合わせ、「業務を変え」る形で、当該年度は無期の雇用を維持した

けれどもその後、冗長になるため別立てにするが、福利厚生(共済資格)が消滅しかける(人事部にかけあい大学内部署との並務の形で消滅は免れた)劣悪な研究室内環境、保護対象に関連するため公開できないものの、同じ立場(非常勤)の先生にはパワハラではないかと言われていた案件など、様々なことがあった。そしてそのようなことがありつつも、筆者は可能な限りの調整と工夫をして、勤務と業務を続けていた。

2023年2月末からの大学のハラスメント対策委員会への相談時にはそれらの経緯全てを含めて、「人権」や法人の「建学の精神」「理念」に関する・反することであるとして話をしに行き、関連資料も提出した。
しかし、まずは所属外であるという理由で手続きが取り下げになり、その後、形式的に会議は開催されたものの、その際、問題は「時間割」つまり待遇や契約問題のみに矮小化され、それについても何の検証も説明もなく「不合理は無かった」とするペラ紙半枚にも満たない通知が渡されるのみで、筆者は退職の日を迎えることとなった。絶望した。

なお、元所属では筆者の退職についてのアナウンスも、送り出しも、一切行われることが無かった。元々一年契約で同時期に退職した非常勤講師の同僚へは、通常通りの送り出しがあった一方で。これこそ、元所属の歪んだ体質を象徴する現象であろう。

人事部からは、それは、その時点で筆者が明確に書面で退職届を提出していなかったからだろうと説明があった。
筆者は無期雇用者として、担当できる・すべき業務を行い雇用を維持したいと、元所属にもハラスメント対策委員会にも法人人事部にも意志表示をしていた。
しかし、再三の(無期雇用者が)「担当できる」「専門性を無視することのない」業務を割り当ててほしいという依頼を、元所属は一切検討することすらなく「組織の限界として不可能である」「理解せよ」と拒否し「指定の時間割を担当せよ」と主張し押し付け続けた

あの環境、構成員の中、5類化後は「お上のお墨付き」も得た上でのノーガードノーマスクの野放図となることが明らかだった。確実に感染させられ、それでいて何の補償も得られず、どんなに業務や職場環境によるものだったとしても、因果不明だとか自己責任として切り捨てられるだけになることは容易に想像できた。
再三「できない」と伝えてきていて、改めて口頭でも書面でも「受けない」と意志表明している時間割を、どんなに合理的な形での調整を認めても一切検討を行うことすらなく、組織のご意向そのままの形で担当せよと、何度も迫られることにもひたすら戦慄した。

非常勤講師は命じれば何でも言うことをきかせられる駒とでも思っているのか?「お気持ち」で設定された著しく合理性を欠き全く妥当でない業務の割り振りについて、何度もそれを受けろと繰り返せば当人の意志は一切無視して服従させられるとでも思っているのか?対話とはいったい何だったのか?
圧倒的なパワーバランスがある中で、強者の側が相手の状況を顧みることなく自らの主張を無理矢理通そうとする、その暴力性を疑いもしないこと、どんなに断っても同じことが繰り返されはじめに戻ること。恐怖しか無かった。延々と続く不毛なやり取りに激しく消耗した。

既に3月中旬で年度末も最終出勤日も迫り、大学のハラスメント対策委員会についても機能が見込めなかった。
延々に続く理不尽と暴力のループ。大学に入る前に殺され続けた環境と全く同じ。「である」の世界で力を持つ者に「敵認定」ロックオンを受けたら終わり。どこにも救いは無い。よく知っている。思い出した。
筆者は非常に不本意な形で「担当できる業務が無いため契約更新は行えない」と記した書面を提出した。

そして、書面を提出しても、筆者が元所属で送り出しを受けることはなかった。
同じ立場の非常勤の先生方からは、最終出勤日に、個人的に、贈り物やお花、ご挨拶等をいただいた。しかし、送り出しだけでなく、専任からは一切の声がけも挨拶も、全く、無かった。対外的には人権や個性、多様性の尊重、対話だなんだとアピールしているのにね。二桁年数勤続してきた者に対してこんなにあからさまことをしておいて、はたして「いじめ」の対応などできるのかしら。笑える。

当アカウントを作成したのは、5月末までの職場(法人外)の引き継ぎを終え、全ての所属が解除された後である。

筆者は2月に業務を剥奪され退職を余儀なくされた時点で、「終わり」を見据え、その前に自身の背景情報を、後世や現在進行形で苦しめられている方々のために、臨床例として、委ねて然るべきところに託そうと決めた。
そして、離職までの経緯とも絡むところがあるので、まずは大学に自らを開き、食い止められるのであれば離職を止めてほしい、たとえ業務の制限により給与が下がったとしても「無期雇用者」である筆者が行える、また、行うべき業務を、適切に配置し、雇用を維持してほしいとハラスメント対策委員会にかけあった。大学には臨床心理系の教員も教職課程も存在しているし、精神科医や産業医の配置もある。起こってきたこと、申立書や資料の記載内容について適切に理解できる人がいて、そこから対話によって、よりよい形の模索に繋げられるはずだと思っていた。しかし、何の実を結ぶこともなく終わった。非常にショックだった。

法人での雇用が解除され、無期で福利厚生ありの職、生の基盤を失ったので、「終わり」が決まった。突発的に行ってしまうリスクも無くは無いし、それでは(元所属とは全く異なり)上司の理解のもと「合理的な配慮」でコロナ後の筆者の勤務を支えてくださっていた(5月末までの)職場に多大な迷惑がかかる。担当業務の関係上、きちんと引き継ぎをする必要もある。そのため、動いていた業務の区切りと後述のタイミングで退職願を提出し、翌月末まで引き継ぎをして退職をした。

実質、現状で筆者に勤務可能だったのは、理解ある上司とそれまでの勤務実績による双方間の一定の信頼関係、合理的配慮が存在していた5月末までの職場のみだった。「生きる」という選択肢があったのなら、生活資金のために何としても維持していただろう。
しかしそうはならなかった。筆者は福利厚生ありの無期雇用という生活の基盤、自身が存在していてもよい場所と理由(公益性の高い他者貢献の場)、自身の心の拠り所Sanctuaryを全て失った。そして元所属で過ごす中で再発したPTSDとフラッシュバック(理不尽の行使側、専任集団がノーマスクだったこともあり、ノーマスクがきっかけで過去の刃物襲撃がチラつくことになってしまった)、さらに退職前の不毛なやり取りで、理不尽と暴力の永遠のループ絶望が、脳に再び焼き付いた。

法人ハラスメント対策委員会への申し立てについては、再申し立て(異議申し立て)を行った。その後、4月末に呼び出しを受けた際、本件はハラスメント対策の枠ではなく法人内監査へと形を変えることになる、結果通知は6月末頃になるのではと説明を受けた。
法人はどうしても「人権」や「ハラスメント」の問題であると認めたくないのであろう(法人が設定した離職理由とは裏腹に)、もう何も進展することはないだろうと感じた。加えて、離職要因の主因であり、資料内でも、いくつもの場所で、「脅威である」と記載されていた「ノーマスク」(担当の方とは別の同席者がそうだった)がいる室内で、対面の場が設けられたことにも激しく失望消耗した。
そして、このノーマスクによるショックの重大さもあり、呼び出しの翌日、正直最後まで迷うところもあった、実質的に現状で生計の維持のために唯一継続が可能だった5月までの職場に、筆者は退職願を提出し、「終わり」のための日々が始まった。

筆者のバックグラウンドについては、教育的観点や環境からも、はじめは大学に提供しようかと考えていた。しかしとりやめた。そして、どこでもない場所で、誰に向けてでもなく、ここで淡々と書き始める形となった。

筆者は「大学」の教育環境に救われ、生を繋ぐことができてきていた人間である。
どんなに理不尽や暴力に踏み躙られ傷付けられたとしても、それらから離れた、理性的な、人権が尊重された、安全な環境内では、他と同等に価値や尊厳を有し、保証された個として、自身がなしうることを模索しながら存在していける、そうしていてもいいのではと、キャンパス内の豊かな環境の中で、ある程度思えるようになっていた。

残念ながらそのSanctuaryは失われたが、その過程に「大学」の「教育環境」やその担い手である「教育職員・教員」、つまり大学の先生方は関わっていない。
筆者が検証されるべきだと考えているのは、元所属の環境と法人行政、組織運営の形である。

そして、結局残念な結末を迎えたものの、人事部や監査のご担当の方には感謝をしている。人事部ご担当の方には3月に入ってから以降何度も、監査ご担当の方には8月末と11月末の二度、お目にかかってお話をしているが、元所属とは大きく異なり、お二人とは、たとえ互いの考えや見解が一致することがなくても、相手の言説や存在を尊重し合う「対話」を行うことができ、特にコロナ対策についての考えには大きな差があったものの、その間に筆者が「踏み躙られた」と苦痛や脅威、理不尽や暴力の気配を感じることは一切無かった。身分も立場も異なり、こちらからすれば目上の方々ではあったけれども、上から見下ろされ、蔑ろにされるという感覚も無かった。このようにフラットな関係性は、筆者が大学で過ごす中で享受できた先生方との繋がり方と同じであった。懐かしかった。

本件が監査を経ても何ら実を結ばなかったことに関しては、筆者が無期であっても「非常勤」職員であったこと、既に「退職済み」の部外者であること、元所属が大学とは別組織で大学側からのアプローチが極めて困難であること、何より、法人内の対策システムとして想定していた対応、解決策では扱いきれない案件であったこと等が複合的に絡んでおり、非常に悔しく残念だがこうならざるを得なかった、仕方がなかったのだろうなと思っている。誰にも、どうにもすることができなかったのだ。

事務方や企業人を主とする法人執行部など、行政や組織運営の観点と、かつて私が体感し救われた、大学の教育理念や環境の実際の作り手、つまり「大学の」「教育職員」、「先生方」の視点は異なることが予想される。
筆者が在学中にお世話になっていた先生方の多くは既にご退職なさっているし、同じキャンパス内にいはしたものの、学生の立場でなくなってからは随分年月が経っているので、現状について確信はできないものの、本件も適切な「先生方」に繋いで、はたして「本当に不合理は無かった」としてよかったものなのかとご検討いただければ、違った形になっていたのではと思わざるを得ない。
筆者が問うてきたのは、建学の精神、法人が掲げる理念(と元所属の実情の不一致)であり、それらは「先生方は」学生と共に、日頃の教育実践の中で、常に意識している、キャンパス環境内の核になっているはずのものだからである(大学のウェブサイトや関連メディア等を目にする限りでは、筆者の在学時と現在との間に、教育環境が大きく変わったという印象は無い。ただし広報と現状に乖離があるケースも、残念ながら存在する。その場合には、検証の上、変わっていってほしい)。
しかし、そのルートが無かった。はじめにハラスメント案件ではないと判断されてしまったし、その後切り替えられた監査についても、事務方や法人執行部中心の、一般の「先生方」とは切り離された、法人行政上の機密独立案件になってしまっているので、特に「教育」や「理念」の観点から多様な視点、意見を入れて検討されるべきだったと思うのだけれども、それをどんなに望んで、求めても叶わなかった。

私はたとえ完全に意見が一致することがなくても、互いに尊重しあってよりよい方法を模索していける「対話」を続けて、法人と共に歩める道を見つけたかった。でも終わった。それが11月24日

もうすぐそれから一月が経ち、時期が来る。
Savage Gardenの"Affirmation"を何とか歌い終えられた、それが間に合ったのはよかった。

繰り返しになるが、人事部にも監査にも感謝している。いずれも、組織の設定に基いて、その枠の上で、なしうることをしていただいたのだと思う。手続き上の問題は「人」ではない。「枠」だ。そしてそれは大学の教育環境とは別の次元に存在している。大学は、(私にとっては、だけど)文句なく素晴らしい学びの場だった。

私は、ただの一人の、個性や尊厳を有する人間として、先生方に深い愛と共に優しく見守られながら、多様な人々と、たとえ背景や意見が違ったとしても対話を重ね、教養、理性、批判的思考によってより良い平和な道を模索していける環境が好きだったし、この中でなら自分でも生きていけるかもしれないと、かつて、思った。

公平で公正な環境の中では、そうでない、不幸な環境内では不遇に遭い絶望していた者であっても「息ができる」ようになる可能性がある、大学が保証しているはずの環境は非常に貴重なものだと思う。

私にとってのSanctuaryは無くなってしまったけれど、今後を長く生きる、未来ある人々にために、かつて、私が愛した大学が、その道を広く開き続けてくれるよう、祈る。

「叶わないと知りながら生きること」「叶わないと知りながら歌うこと」「叶わないと知りながら祈ること」「叶わないと知りながら仰ぐ空」
ーそれは「絶望」なんだけどもね。

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変わら/れない学校教師をどう変えていくかー学校(初等中等教育)教員と大学(高等教育)教員の違いから考える方策案
Let's get fair. (元所属について良い点と向いている層)
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2020〜2021年度の概要
  References in AY2020
  References in AY2021
2022年度の概要
  References in AY2022
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