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Guitar1017

今日の「その日の歌」はアリスの「遠くで汽笛を聞きながら」。谷村新司さんの訃報で降ってきた。

中盤のギターソロはカッコいいんだけど私にはとてもじゃないけどできないから間奏は省略した。ベースも本当はもうちょっと動いているんだけど簡略化している。「i+1」を超えるからね。


私は世代的にアリスのことはよく知らなくて、日曜昼の素人歌番組(私的には見ず知らずの殆どは上手くもない素人の歌を聞き続けて何が楽しいんだろうと思うんだけれども、いたくもない家ではいつもその局が映されていた)によく出ている方だとかその番組の中でしばしば歌われる曲があるとか、その位のイメージだったんだけど、ひとつだけvividな思い出があって、それはフジファブリックと真心ブラザーズの対バンライブ。

あれはいつ頃だったんだろう。08年くらいだったかな。Zeppかそのくらいの規模のどこかでだったと思うんだけど、とても良いライブだった。真心ファンは客層もいい感じの方が多くて会場の雰囲気も温かくてよかったし、ピースフルでとにかく楽しい空間・時間だった。
公演終盤、確かアンコールでだったと思うんだけど、真心とフジと全員で歌って大盛り上がりだったのが、アリスの「冬の稲妻」だった。志村さんって歌謡曲?が合うし、それだけじゃなく、あの「あ゛ー」っていう、溜め息の部分、あそこで本当に無邪気に楽しそうにはしゃいでいて、それってわりと珍しいことだった気がして印象的だった(志村さんも笑顔は作れる人だし、笑うことがないわけではなかったんだけど、はにかんでいたり屈折した笑いだったりすることが多かった)。相手が真心兄さん達だからこそ見られた部分だったんだろうなと思った。
真心ブラザーズはするりと肩の力が抜けていて、自分にも人にも優しくピースフルでよい。曲はあまり知らないんだけど、それでもフェスやイベントで彼らのステージがある時は必ず行っていたし、その度、満ち足りて会場を後にしていた。
YOKINGさんは包容力があるというのかな。飄々としているんだけど深くは優しく温かくて、だから志村さんも信頼して懐いて、可愛がられていたんじゃないかと思う。あんな満面の笑みでニカッと笑う珍しい志村さんを見られたのは真心兄さん達のおかげだね。ありがとう。

アリスに話を戻すと、TVで流れるのは「チャンピオン」とか「冬の稲妻」、谷村さんの曲だと「昴」とか特番の「サライ」が多かったかな。
「遠くで汽笛を聞きながら」は適当にラジオを聞いていた時に流れて、これはサウンドがとても好きなやつだ!と、必死に頭を歌詞を聴くモードに切り替えて部分的に歌詞を聞き取って即検索し、歌詞と曲名のスクリーンショットを残しておいたものだった(絶対音感のせいで音階が最優先で知覚され歌詞からの曲名に辿りつきにくい私にはそういう「その場の必死検索スクリーンショット」曲リスト?がある)。
今回、久しぶりにそのスクリーンショットを探し当て、歌詞を読んだんだけど、これ、機能不全家庭出身者を描いた歌だったんだね。私には理解できる部分と理解できない部分の両方があった。

理解できるのは「俺を見捨てた女を恨んで生きるより」の部分。
これは文脈を外せば恋愛の相手としても読めるけど、後ろが「幼い心に秘めたむなしい涙の捨て場所を」と続くから、「俺」を「見捨てた」のは母親であり、つまりこの語り手は幼少期より母親不在で片親(父親)育ちだったということがわかる。
片親だったとしても、親が必死に&適切な愛情の注ぎ方をしてある程度の暮らしができていれば、このケースであれば「親父が苦労しながら男手一本で育ててくれた」等と子が語るような展開になる可能性もある。
けれども、繰り返されているのは「何もいいことが無かったこの街で」である。語り手は、幼少期から一貫して不遇な人生を歩んできたんだろう。おそらく家庭は貧困、親との関係も良好とはいえず、むしろ険悪だったり父親も不在がちだったり暴力を振るわれたりしていた可能性もあるし、そんな家の子だからということで、学校でも、教師からも児童生徒間でも冷遇されたり無視されたりしていたのではないか。悲し過ぎる。

でもこの語り手は「俺を見捨てた女を恨んで生きるより(幼い心に秘めた涙の捨て場所を探してみたい)」「自分の言葉に嘘はつくまい」「人を裏切るまい」と言っている。ここは私と非常に近い。
どうしようもないことやどうしようもない相手のことをいくら考えても不毛だし、囚われることによって自分の価値が下がる。すっかり別の暮らしをしているわけだし、別の世界の人々であると切り離し、関わらない関わらせないを徹底し、自分の足で立つ方法を模索したほうが遥かに生産的である。
そして本当は尊厳を持っていたはずの一個人として、自身を、その個性を少しずつ受け入れ、回復、保全していく、それをサポートしてくれた周りの多くの(理性ある)人々のことも同じように尊重し、互いが大切な存在であると認識した上で、たとえ違いがあったとしても対話を重ねて共生していく、これが私の大学以降の日々だった。消失したけど。

理解できないのは「生きていきたい」の部分。ハードな境遇でひたすら不遇な日々を送ってきた人間が、「俺を見捨てた女を恨んで生きるより(幼い心に秘めた涙の捨て場所を探してみたい)」「自分の言葉に嘘はつくまい」「人を裏切るまい」、これだけでもだいぶ無理無理感があるんだけど、「何もいいことが無かった」のに「この街で」生きたいと思う??
おそらく「何もいいことが無かった」レベルのケースだと、こんな高潔な精神を維持することはできず、まずはグレて非行や犯罪に走るだろうし、そこまでいかずとも無気力系や厭世的になっているのでは?そして普通は嫌な思いばかりし続けた場所からは離れたいものなのでは??

私は「何もいいことが無かった"わけではない"」けど、京都など縁のない場所に移住したいと実際退職前までは物件を見たりもしていたし、元々「生きていきたい」とは思っていなかったけど、コロナと5類化と退職で、鬱になるまでもなく、やっと生きることから解放される時期が来たと着々と準備を続けている。

だからこれは「浪漫」のための「物語」なんだと思う。おそらく谷村さんやその上くらいの、戦後の貧しい日本から復興発展してきた過程を見てきた世代にドンピシャの。
たとえ今は貧しくても辛くても、明日がある。未来はきっと今よりも良くなる。そんなビジョンや希望を描けたのは、戦争の傷跡残る社会からひたすら右肩上がりの日々を長く過ごしていた世代。そして、(戦前のナショナリズムとの関わりがあるのは微妙だけど)日本人としての美徳、矜持のようなものがまだ社会内の一定数に共有され機能していた時代でもあるから、「浪漫」的に、この語り手の(私からすれば不自然に)高潔な風景に「酔う」ことができるのではと感じた。
一方、この「浪漫」は、バブル崩壊後に人生の大半を過ごした世代や特に今のZ世代にはおそらく響きにくいのではと思う。閉塞感と共に政治をはじめ嘘まみれの大人の世界を見て育った世代の、特に不遇な人間は、ひたすら「自己責任」を突きつけられるのだからと無理矢理「嘘をつく」ことも人を裏切り傷つけることも正当化していく。欲望のみが肥大化する。美徳も矜持も本質的なものは消え去り、歪んだネトウヨ的なものになってしまった。闇バイト、凶悪犯罪、売春、性病の蔓延、麻薬、自殺、、ミクスの果実がたわわに実り始めた現在とこの先、、Z世代の今と、Z世代の育ってきた時代や環境をよく検証したほうがいいと私は思うよ。

「遠くで汽笛を聞きながら」はフィクションとして浸る「浪漫」の世界として、それからサウンド的に、好きな曲だった。
「電車」でなく「汽車」っていうのも「浪漫」をそそるよね。私は夜汽車の特に逃避行曲が好きで、フジファブリックの「サボテンレコード」なんかもそれに当たる。

あと、「汽車」で思い出したんだけど、昔、欧州一人旅をしていた時、どこだったかな、ドイツの観光地でない街だった気もするんだけど、電車から降りた時に確か「靴紐がほどけてますよ」的なちょっとしたことを、見た目はアジア人的なんだけどおそらく日本人ではないと初見で私が判断した人から、辿々しくはないんだけれども母語ではなさそうな日本語で言われたことがあった。
私はバックパッカーではないし、華美な服装はしないんだけど普通の出立で動いている&日本人は金持ちだというイメージがまだ残っている時期だったから、海外で「日本語」で話しかけてくる人物には基本的に警戒している。親近感を与えて気をよくしたところで物を売り付けたり、話に気を取られているうちに仲間が荷物を奪ったりという展開になりがちだ(と聞いている)からなんだけど、全力で警戒して周囲やその人のことを観察したものの、特に不審な点はなかったから、「ありがとうございます」と返したところ、相手はさらに話を続けてきた。そこで何を言われたのかはもう覚えていないんだけど、どうやら相手は日本語で日本人と話したいようだった。確かに旅行者としての日本人はほとんどいないような小さな街だったと思う。でも何で?
発音の傾向からして相手は中国語圏の方なのではという気がしていた。でも、普通に(英語でもドイツ語でも中国語でもなく)「日本語」で話しかけてくる。初見で私が日本人だとわかって日本語で話しかけてきたのも、「日本」や「日本人」への関心や一定の知見の保有を想定させる。でも何でこの人はここにいるんだろう?何よりこう、話しかけてくるんだろう?
辺りを見回したところ、お仲間は見当たらなかった。相手は同年齢くらいの細身の女性。落ち着いていて暴力を振るう感じには見えなかったし、何かあったとしてもそんなに巨力ではなさそうなので、警戒を続けつつ、返答を続けていた。
女性の日本語は他愛もない会話をするのに不自由をすることはないレベルだった。けれども一つだけとても印象的だったのが「電車」を「汽車」と呼んだことだった。この人はどこでどういった経緯で日本語を学んだんだろうか?この人の触れた日本語が「汽車」を日常利用していた世代の方のものだったのか、それとも文学作品など、あるいは母語の影響か。
そんなことを考えながら、しばらく駅の周りを一緒に歩いた気がする。おそらく女性は留学なのかはわからなかったけれどもとにかく現地に住んでいる人で、街のことを案内してくれた。私は結局最後の最後まで警戒をしていたけど、危ない目に遭うことは無かった。
女性はおそらく私が彼女のことを日本人として見ていると思っていて、加えてそれを望んでいたのではないかという気がしていた(実際ははじめから違ったんだけど、女性の様子から、私は彼女の言語や出身について問うことはしなかった)。背景は全くわからない。
今となってはその街の名前も思い出せないし女性の名前を聞くこともなかったんだけど、とても不思議な体験だった。

相変わらず斜め話が多いな。


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