NO guard society(ノーガード社会)

政権メディア主導の脱マスクキャンペーンと5類化で、ノーガードも、その上で他人へ感染を拡げることも、(歪んだ)自由の名の下に正当化できるようになってしまった社会、それに乗っかる人間の群、渦。ひたすら恐怖しかない。

マスクをしない者が積極的に他人の飛沫を摂取し、自身の感染リスクを上げていることに関しては、まったくもって個人の自由なので「お好きにどうぞ」である。
しかし、そのように積極的に自身の感染機会を増加させている輩は、実際に感染している可能性も、そして何より感染時に「他人へ感染を拡げる」リスクも極めて高い。
感染させられないように必死に対策をしている者が、感染対策をせず積極的に感染を拡げる輩に「感染させられる」のは理不尽ではないか。

ノーマスクの背景にあるのは、ウイルスや感染は存在しないというカルト的主張、あるいはそこまでいかずとも、感染は「大したことはない」、重症化しなければ「ただの風邪」であり問題ないーだから窮屈な思いをしてまで「感染対策をする気はない」、たとえ自分が感染しても急性期さえ過ぎれば問題ない、ましてや「自分が他人に移すことなんて全く問題ない」という精神性である。致命的に他への配慮を欠き、自己中心的というかむしろその上に加害欲に溢れているとすら言える。
この「歪んだ」自己中心性及び加害欲は、宗教性を帯びた反知性主義、日本型新自由主義と共に社会の中に巣食う病魔であり、この十数年の間にすっかり根付き、昨今の国家の没落や物騒な事件の元凶となっている(が、このことについて書き始めると長くなるので話を戻す)。

酸素飽和度も深部体温への影響もほとんどないという科学的知見がありながらも、マスクをすると「息苦しい・暑い"気がする"」という根拠なき印象を、さらに「同調圧力」「熱中症」等とメディアが増幅させレールを敷き、人々を転がす。マスクをつけることが劣ったことで、マスクを外すことが素晴らしいことであるかのように政治・メディア広告業界が積極的に喧伝する。芸能人等のインフルエンサーや各種番組等も有効活用される。(昨年学校で熱中症が出た際には「マスクをしていて」等と、あえてマスクが原因であるかのように印象付けていたのに、今年同様に学校で熱中症が出た際にはマスクについての言及をしない。「マスクを外しているのに」熱中症が起きたから、つまり熱中症の発生とマスクの着用に因果関係が無いからである。同様に、マスクが体温を上げるのであれば、冬場の節電や保温のためにマスクを付けるよう推奨されるべきであるのに、そのようなことも一切無かった。要するに、科学的な根拠ではなく印象と目的でマスクイメージを利用しているだけなのだ。表面温度を上げると熱中症になると言うのであれば、熱中症になるからラーメン丼を持つな、それ以前に熱々のスープを飲むなとなるはずだが、そんなことにはならないだろう。マスクも同様である。)

政治メディア広告主導型の洗脳的民衆コントロールは戦前の体制から脈々と続く戦後日本の特質であり、特にここ十数年はその最高潮というか完成・理想形に近い状態へ達した。結果、民衆は見事に「アンダーコントロール」状態にある。
下々は自分で選択しているつもりでいて実は掌の上で転がされているだけ、まな板の上の鯉、茹で蛙なのだ。虚像に酔わされ気分だけハイになる、まさにドラッグ中毒と同じ形であり、それは麻薬取引で巨大な財を成した勢力が戦中から現在に至るまで国を牛耳っているのと無関係ではないだろう。皮肉なものである。

国は中国に学んだ。対策を放棄し、一気に皆で感染し集団免疫を獲得すれば(コストもかからず)回復も速いと思っているのだろう。
5類化で全て「自己責任」にできるようになり、保障をする必要もなくなった。

準備は整った。

「痛みを伴う」のは下々だけ。自分達は安全な場所もしくは安全を確保して下界を見下ろしていればよい。(しかし、それまで非常に厳格な規制を強いていた中国とは異なり、日本の対策は一貫した「お願い」ベースで実効性に欠くものだったから、だらだらと感染期が続き、残念ながら一気に集団免疫の獲得とはならないと私は見ている。)
あるいは、パンデミックが続けば続くほど国にはむしろおいしい。お荷物の老人や弱者が減り保険料や医療費が削減できる。弱者の地盤沈下で強者にますます富が集中する。貧富・階層差の固定で、強者は強者やその周辺の「お友達である」だけで「何もせず」とも甘い蜜を吸い続けられる。
万々歳だ。庶民に医療の受け入れ先が無くても問題無し。自分達は確実に、快適に、医療が保証されている立場なのだから。下界の苦しみを全て「高みの見物」していればよい。

しかし、下々は気付かない。それでいて、特に搾取されることの多い低学歴層こそがネトウヨになったり各種Qやカルト宗教がバックにいる政治団体(特に急に出現し謎の財力と人員で躍進甚だしい某党等)あるいは野党のふりをした極右なんかに吸収され、自分達が「そちら(強い者、権力を持つ者、あるいは"良い"ことをしている者)側にいる」「気になって」悦に入り、体制に都合のよい(下々には害悪でしかない)システムを推し進める、という絶望的な状況が、各所で起きている。そして止まらない。
貧富の差の拡大、公的支援切り捨てによる社会の貧困化地盤沈下、弱者層の底抜け、教育保証の崩壊と反知性主義・カルトの蔓延、、新自由主義と例のミクスの果実が、見事に、たわわに実っている。

「5類になったのに、どうして感染が起こるのか」
「5類になったのに、どうして治療が受けられないのか」
「5類になったのに、どうして医療費がかかるのか」

笑ってしまう。
5類になれば、コロナは終わると思っていたのか?ウイルスは権力の犬ではない。為政者に忖度することなどない。
5類になれば、ただでさえ公助無き自助ごり押し国家の中で、全てが「自己責任」にされることなど、分かりきっていたではないか。安定して、優先して治療を受けられるのは「体制プラスお友達」だけ。下々は、自費で、場合によっては非常に高額な支払いをして、運が良ければ治療を受けられるし、その保証すらないわけだ。現にまた沖縄では病床が足りなくなっている。
「5類になれば」問題が解決するなんて、そんなはずない。全ては体制が、体制にのみ都合の良い、下々には負担でしかない制度を作るためのプロパガンダに、下々が自ら乗っかり、それをごり押ししてしまった結果だ。

そして、そんな中でなお、「マスクを外そう」等と妄信/猛進する勢力
「同調圧力」を理由に反マスクを主張していたはずなのに「マスクを外そう」と「同調圧力」で迫ることに矛盾は感じないのだろうか。
「素顔」派?素顔が良いのなら、メイクや髪染め、ピアス、整形等、全て不可になるのでは?本当に「素顔」の「素顔」派なんてまず見ない。
子どものため?表情が見えないことがいけないのだとすれば、全盲の方々はどうすればいいのか。私には全盲の知り合いがいるが、目の代わりにあらゆる知覚を使って非常にアクティブに活躍している。何かを得ることは何かを失うこと、何かを失うことは何かを得ること、そして子どもは非常に柔軟でクリエイティブな存在である。表情が見えないのだとすればそれ以外の方法を見出していく。マスクをしない・顔を見ることが当たり前だと思い込んでいる集団の凝り固まった価値観を強制することにどこまで意味があるのか。マスクを外したいと思う大人ほどに子どもはマスクを外したいと思っていない可能性がある(けれども、子どもは親の価値観を吸収し期待に応えようとするので、親が「素顔」派であれば、子どももそうなっていく)。街中でも、きちんとした親と歩いている子どもはきちんとマスクをしている。
結局、「脱マスク」「マスクを外そう」は他に感染を広げないという利他的理性的行動を行う気がない/行えない層が、子どもや教育等の情操に響きやすいものをダシに、自分の欲求を通そうとする、「自分だけ良ければいい」の塊キャンペーンでしかない。

生死の問題が自分と遠い、特に自己の欲求にのみ忠実な理性に欠ける人間が、感染対策を拒否・放棄することには何の不思議もない。対策しない者はどうぞご自由に、感染すればよろしい。たとえ感染したところでウイルスの存在を認めない者にとっては謎の奇病やただの風邪にかかったいう認識であって、それで数日間高熱や焼けるような喉の痛みが出たりしたけどやがて収まった(でも何だか咳が残るな)、あるいはさほど目立つ症状が出なかった!ラッキー!・・・それで当人がよいと思うのであれば、全く結構。後遺症の有無や重さは感染後の急性症状とはリンクしないことが明らかになっているし、晩発性の問題、あるいは複数感染の影響については充分な知見がないわけだけど、「今」にしか意識が向かない短絡的動物的な志向について他人がとやかく言っても仕方がない。

・・・というのはあくまでその影響が当人あるいはその人物に自らの意思で近付いていく者にのみ、範囲が限定される場合にのみ成立しうるべきことである。
感染したくない者には移してくれるな。移されないのであればこちらも何も言わない。しかし、これは非常に伝播性の高いウイルスと、そのウイルスをよりによって積極的に拡散しようとする集団の特性によって否定される。「風邪派」は感染しても平気で出歩く、ノーマスクで、咳やくしゃみをして、汚い飛沫や鼻水を周囲に撒き散らす、大声で話すしジョギングもする。AIDSなら知識と適切な防除で充分に日常感染は防げる。しかしcovid-19を巡る今の状況ではそうはいかない。私にきついのはこの点だ。
理性の効かない集団に何を言っても無駄だ。出会してしまったヒグマに襲ってくれるなと言っても無理なのと同じ。AIDSであれば札幌市内でヒグマに出くわすくらいの割合かもしれないけど、ノーマスク風邪派は至る所にいる。この時期の茂みで肌を晒しながら蚊に血を吸ってくれるなというようなものだ。

容易に避けることも叶わず相手に理性が見込めないのだから、こちらが変わるしかない。唯一の選択肢は危険・危険な人間を避けること。そしてもう社会は全力で危険を推奨しており危険な人間ばかりになった。

だから働けなくなった生きられない。それが結論。

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