当たり前とは

ロシアがものすごいことになっている。どうなるのだろうか。数日で事態が大きく動く可能性もあるし、これまでの戦争と同様、だらだら続く可能性もある。

私は大学生の時、留学生との接点が多かった。

イタリアの友達の家@ローマに泊めてもらった時、朝は軽く甘いものだけ、しょっぱいものは食べてはいけない?と言われ、驚愕した。私は食いしん坊なので朝からしっかり食べないと動けない。おかず等がある食事でないととずっと思ってきてそうしていたので、ビスケット数枚にコーヒーだけ???となった(でもホストの意向なので従った)。他にも、パスタを作る時に、ニンニクと玉ねぎは一緒に使ってはいけないと言われたのにも驚いた(今は両方ともユリ科だし、一緒と言われればそうだよねとも思うけど)。
そんな私も今は米も小麦も自宅ではほとんど摂らなくなり、毎日ナッツや豆や芋等でケーキを焼き、朝から食べている。
かつては毎日3食摂っていたけど、今は過食なので2食とお菓子、3年前に仕事をほとんど減らした時は1食のみだった。

フィンランドの友達の家@ヘルシンキに泊まった時、マンションにサウナがついていて驚いた。友達に、友達とサウナパーティーをするから行こうと誘われ、友達の友達の家へ遊びに行ったんだけど、そのサウナパーティーは男女混合。見ず知らずの、というかもし知っていたとしても複数の異性の前でいきなり全裸はキツいと、私はサウナは断り、部屋で1人本を読んで友達が出てくるのを待っていた。
友達の別荘では凍った湖の上で踊ったり、氷に穴をあけて魚釣りをしたりした。サウナではびしびし木?で身体を叩いたり、サウナから出て雪に飛び込んだりした。まるで子どもみたいにはしゃいだ。楽しかった。
フィンランドとロシアには歴史的に色々あるので、フィンランドの友達はロシアのことをよく悪く言っていた。私にはロシアの友達もいたので、その子を想うとなんとも言えない気持ちにはなったけど、止めることもできなかった。

戦争が始まって、私の大学はウクライナからの留学生を受け入れた。数はそう多くなかったけど、これまで受け入れてきたロシアからの留学生は今どうなっているんだろう。もし同じキャンパスにいたとしたら、うまくやっていけているのだろうか。

ロシアが国として行っているのは非常に理不尽で暴力的な非難されるべきことである。
しかし、その中の一般人の気持ちはどうなのか。
当事者の気持ちは外からは容易には計り知れない。

私の大学に留学で来ていたような学生は、卒業後は官僚であるとか国の中心に近いようなところで活躍するような層だった。友達もお金持ちでものすごいお洒落な美人だった。個人として、何のしがらみもない学生として共有した日々、思い出は、あんな国家的暴力にはどうしても結びついていかない。

戦争なんて早く終わってほしい。血も涙も流れないでほしい。

でも、どんなに願っても、現実はそう簡単には変わらない。

当たり前が当たり前に続くわけでもない。
続くように思えていたとしても、突然崩れることもある。

それは、感染症によるのかもしれないし、地震かもしれないし、一発の爆弾かもしれない。

自分ではコントロールできない、どうしようもないことがあまりに多い。

私だけでなく、それぞれが、それぞれに、突き付けられているものがある。

願わくは、少しでも多くの人に、穏やかな日常を。
生きたい人は生きてほしい。生きたいと思える人を減らさないでほしい。



でも、私には生きることが当たり前ではない
生きること、長く生きるのが良いことだと押し付けられるのは非常に堪える。
勿論相手に悪気はないと知っているけれども、やっぱり分かり合えないと失望する。
そして当たり前を当たり前に思えない自分にも。立っている地平があまりに違うと痛感する。私は無条件に生きることを認められる環境にはいなかった


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