NO childhood(子ども期の欠落)

私には幼少期の記憶がほとんど無い
幼稚園の年中以降は、ヤマハの幼児教室へ通ったことや友達のこと等、所々朧げながら出てくるのだが、年小以前のことは写真で部外者的に眺めたものが外付けで把握される程度のもので、自身の経験や知覚としてという感覚に乏しい。

後から状況証拠を基に推測したのは、入園前は出産、年小時は入院手術で母方の実家へ預けられていたのだろうということだ。つまり私は幼少期に母親との愛着関係を形成する時間が無かった。それは母親にとっても同じことだったのかもしれない。
私は大学入学前の認識においては、一族の世界へ(不本意に)放り込まれる以前、小学生時代までは一般的に楽しく過ごしてきたものだと思っていた。けれども後から考えてみれば、幼稚園時代に親を「パパ・ママ」と呼ぶ友達を羨ましく思っていたし(「パパ・ママ」呼びは一瞬真似した時期があった気がするが、すぐに終わった。怒られたのか諦めたのかは覚えていない。)、小学時代は特にピアノにおいて、自分と弟との処遇の差に不満を持っていた。当時は気づいていなかったけれども、処遇の差はピアノだけではなかった。つまり、それをはっきり意識していた中高時代だけでなく、生まれた時から一貫して、私には母親が不在だったり自分ではない存在を優先したりというのが続いていたのだ。

今は私は私の自己肯定感の低さ、セルフハーム・ネグレクトの根幹は、無条件に受け止め、受け入れられ、慈しみを受け育まれた経験の欠如ではないかと見ている。

勿論、特に中高時代の複数人による複合的な暴力の影響も大きい。実際、特に大学入学前や入学直後に頻繁に起こしていたフラッシュバックや自傷行為(大学入学以降直接的なものは減った)は、家を抜け出す直接的な原因となった物理的暴力のこと・起因だったし、祖母から連日浴びさられ続けた罵詈雑言、「お前なんか死んでしまえ」「出て行け」という呪詛の内面化、自分は生きる価値も資格もないという認識も重大だった。
でもそれ以前から、私は私の存在に確証が持てなかったのだろう。はっきり気付いてはいなかったけど、常に不安だったのだろう。無条件で甘やかされると、決して受け入れられ甘やかされることがない自分。

そしてその弟に刃を突きつけられても、その証拠があっても、あの一族はその事実を受け入れず、「お前が悪い」と言った。弟は常に守られ被害者「とされ」、対して私は常に「悪者」に「される」。この状況においてもかという絶望は強く脳裏に焼き付いた。もう全て無駄だと、私はあの世界を出た。

大人の顔色を伺い、意図を汲み、望まれる言動、表情を演出するというのに長けた子ども時代だった。それによって褒められたし、外ではかわいがられた。私は大人に対して何をすべきか知っていた。
子どもらしさ?私は無邪気を装いながら裏で計算をしていた。それは生き残るための本能だったのだろう。そうしないと受け入れられないと、恐れていたんだろう。まさに本音と建前の世界である。本音を外に出すこと等、小さな頃から無かった。

ルソーによる「子ども」観の発見以前、子どもはただの小さい大人だった。絵画の世界においてもおじさん顔の子どもだらけである(今の感覚からすると不気味)ことにもそれは伺えるわけだけれども、私も、この今の冷めた大人としての感覚と同等のものを幼少時から持ち、見せるべき自分(本来の自分の気持ちとは別)を作り出してきた。おそらく弟が生まれた後も、母親の入院手術時も、ものわかりのよい「上」として、なすべき行動・我慢をしてきたのだろう(記憶はないけど)。イヤイヤ期なんて無かったはずだ。何故なら私のそこがまさに母親の出産入院手術の時期に重なるのだから。

他への貢献なくして自分の存在意義を見出せないというのも同根だ。私は私として、無条件に受け入れられたことがない。褒められる、評価される条件を提供しなければ、存在できないと、それは幼少期から、刻まれてきた感覚なのだと今は思う。

認識できていなかったけれど、ネグレクトが本丸だった。もしかしたら本丸だからこそ認識できなかったのかもしれない。
そしてそれを認識したとして、どうなるものでもない。

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