絵本の無い家

吟遊詩人の(王子ギルバートが好きだったという)話で思い出したんだけど、私の生育過程には絵本、特に読み聞かせの経験がほぼ無かった。

絵本の在庫が全く無かったわけではないんだけど(記憶にあるのは、にこにこぷんのキャラクターのものと、のんたんシリーズ)、その他の在庫や実際自分で触れた記憶があるものと比べると明らかに少ないし、親による読み聞かせの記憶は一切無い(今とは時代が違うのかもしれないけど)。
私にとって絵本とは幼稚園で幼稚園の先生が読んでくれるものだった。声色を変えて大げさに読んでもらえる感じをわりと冷めた感覚で眺めていた気もする。楽しんでいたのかもしれないけど。

にあって子ども時代によく読んでいたのは、おそらく母親の実家から来た世界文学集だった。ギリシャローマ神話などもよく読んでいて、吟遊詩人とか王子とか悲劇とか、そういうのに親しみを覚えるのもこの辺りに源泉があるのかもしれない。
いつから文字を読んでいたのかは記憶に無い。幼稚園で「あいうえお」を習ったはずだけど、その前に勝手に拾い読みをしていたのではないかという気がする。
子どもには大きくてかたくて重い本達の列を眺め、適当に本棚から取り出し、箱から出して読むーそういえば同じような形の百科事典もずらりと並んでいたーおそらくルビ付きの漢字表記のものだったはずだ。
私にとって本は読んでもらうものではなく独りで読むものだった。そして国も時も現実性も飛び越えて、見知らぬ世界の中で泳いだ。ヨーロッパへの親しみや憧れも、おそらくこの辺にルーツがあるのではという気がする。

ちなみにこれまた微妙なところでもあるんだけど、私はいわゆる「ファンタジー」にカテゴライズされる作品があまり得意ではない。ギリシャローマ神話とか幸福の王子とか、好きで読んでいた作品もファンタジーと言えばファンタジーなんだけど、特に子ども向けのファンタジー作品、例えば指輪物語とかニルスの冒険とかは読まなかったし(映画のNever ending storiesとかも見なかった)、コバルト文庫にはまることもなかったし、SFもいまいちで、萩尾望都さん等もすごく好きだけど、宇宙モノにはなじみにくいし、先生が貸してくれたポーの一族も、ファンタジー要素が私には強かったからハマらなかったのだと思う。

話を戻すと、の重くてかたい本達を読んでいたのはおそらく小2まで。その後小3になると、何故か学校の図書室にあるルパンシリーズにどハマりして片っ端から借りて読み漁るようになった。ルパンを読み尽くすと今度はシャーロックホームズに手を出して、うーん面白いけどなんだかルパンのほうが合うなあ、なんて思ったりしていた。

小4以降は、例の「家庭学習」の宿題、親の干渉(漱石等、あれを読めこれを読めというのが始まった)への反発もあって、高校で先生に本を借りたり公立図書館に連れて行ってもらったりするまでほとんど本は読まなくなった。

私は多分、エミール前の絵画にある「おっさん顔の子ども」のような存在だったんだろう。
子どもの概念が希薄な中で(何故かは無条件で甘やかされていたけど私は違った)、それを当たり前と思うしかなく過ごしていたから、世間で言う子どもらしさや子どものための環境を認識する一方、自分はそことは違うと切り離し、それでいて必要な時には求められる子どもらしさを演出して作り出すという、常にメタが働いているような冷めた状態だった。そしてそれは今も変わらない(今求められるのは子どもらしさではないけれども)。

そういう風にできてしまったから人間関係も築けた。太宰の言う「道化」まではいかないんだけど(私にはそのまでのサービス精神は無い)、学校で阻害されたこともなく同じ職場で長期間就労してきていた、コロナの前までは。

生育環境にある程度の文化資本があり、それをベースに自力でも学ぶ力を得て、先天的後天的にある程度の学力を獲得し、中学まではそれなりに優等生として過ごし、高校では全く勉強どころではなかったけど大学ー初めて自分が自分として受け入れられる環境へ入ることができたから、理不尽でない世界・人間もある・いると、ある程度思えるようになって、これまで続いてきた。でもそれも崩れた

一体何が良かったのだろうか。もはやわからない。

それでも私は最後に自分でエレジーとレクイエムを奏でるため、音楽と再対面している。その過程で詩・ことば・文学とも再会しているところがある。

屈折しているけど、忘れようとしていたけど、いずれもきっとずっと私の根底にあったものなんだろう。

道なき道を、道の無くなるところへ向かって進む。逆説的だけど、ある意味私らしいことなのかもしれない。

最期は野鳥として空へ。それが青い空であれば嬉しい。
鳥もずっと好きだった。の中で味方は鳥だけだったから。

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