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Guitar0820

最近、心肺機能の回復も兼ねて簡単ベース&歌の練習も始めたんだけど、これは難しいものを弾く前の指慣らしにもよいと気付いた。
というわけで、またsavage garden。本当は1stアルバムの曲を歌ってから2ndへ行きたかったんだけど、次に歌おうと思った曲がリズム的に(三連符が)歌と同時だと厳しいかもと思ったのと、affirmationのベースがかなりシンプルで今後指の負荷としては弱くなりすぎになりそうなので、先に歌うことにした。もう少しちゃんと歌えるようになってから歌いたかったってのはあるんだけど。無発声生活の今は歌HP一桁&マスク装備でさらにマイナス状態みたいなものだし(ブレスの時に摩擦音みたいなのが入るのはマスクをしているから)。

savage gardenのベースをさらっていると非常にシンプルなものが多いなと感じる。逆にこういう風に聴き直して拾わないでも印象に残っていて記憶から引き出して弾いていた佐藤さん(くるり)のベースはやっぱりずいぶん攻めた作りだったんだなと再認識した。なんだかんだでやっぱりあの岸田さんとずっとやってこられている人だしね。

さて、AffirmationはSavage Gardenの2ndアルバムの表題曲。サウンドとしてはかなりポップで、「Affirmation=肯定すること、受け入れること」なので、基本的には人を元気づける方向性の曲、なはずなんだけど、私はダレンがこれを書いた心境はかなり複雑だったのではと思う。
歌詞は"I believe 〜(私は〜と信じて/思っている)"の連続なんだけど、その内容には「日が沈む」のような誰にも否定しようのない事実から固有の考えもしくはこうあってほしいという願望まで実に様々なレベルがある。そして、彼が着目して取り上げているものとその逆説的な物言いこそが、の苦悩の源であり表出であった、は(普通の人は見過ごしてしまう)そういうものひとつひとつを認識して、確認して、受け止めよう、受け止めたいと、もがいていたのではないか、さらに、それを世に届けることで、自分と同じようにもがいている人々を元気づけようとしていたのではないか、そんな風に思えてくる。

歌詞を意訳で大まかに整理するとこんな感じ。

サビ
自分が他に与えたものは返ってくる
本当の愛にはなかなか(焼け焦げる、憔悴する?)まで気づけない
隣の芝は青い
さよならの時まで自分が手にしたものはわからない

その他の部分

美容健康
ジャンクフードは健康に悪いからおいしい→逆説的
美容ファッション雑誌が自己肯定感を下げる→逆説的

愛・家族・性
「あなたの」両親は可能な限り最良の方法を尽くし(てあなたを育て)た
 →自身は?逆説
完全に独りである時に愛されたと感じる
自身の性をコントロールしたり選んだりすることはできない
monogamy(一夫一婦婚、単婚)よりも信頼が大切
家族はお金・金(gold)よりも価値がある
結婚の喜びが脱がなければいけないという気持ちを打ち消す?
→これは文字通りではなく比喩である気もするんだけどよくわからない

価値観・視点
日は議論の余地なく沈むもの
 →「上る」でなく「沈む」に着目
幸せは他者と共有していくもの
あなたの魅力は(見た目ではなく)心や精神
→ファッション美容など容姿に対するこだわりや劣等感の裏返し
世の中は経済的に不平等だ(そう思わないのはお金持ちだけ)
許すことが不幸を解いていく鍵
God(おそらくキリスト教の神)はTV evangelist*を肯定していない
 →TVで伝道する人なのかTV至上主義者なのかは不明

サビ以外の最後の歌詞
死を乗り越えていく愛を信じる(多分信じたいのニュアンス)

Affirmationはアルバムを持っていないので、日本盤の訳がどうなっているのかわからない。持っていたら色々確認したかったな。。

家族の問題についてはTo the moon & back、ファッショナブルなものへの劣等感のようなものはSanta Monicaにも出ていた。
「家族はお金・金(gold)よりも価値がある」としながらも、おそらくはそのような家族の外にいた、そして(だからこそ?)が考える家族は必ずしも現在の多くの社会で当然視されている「男性と女性ペアによる一夫一婦制のもの」を指しているのではない、これは自身の性自認への葛藤や苦悩とも結びついている、そしてそのような「当然から外れてしまった」アイデンティティーが「普通」は素通りしてしまう一つ一つのことを拾い、とらえ直して、受け止めようとしているのではないかと思えてくる。
西洋世界に属しながらもkarmaとか利他とか因果応報的なこととか、ちょっと仏教的な価値について言っているのも、おそらくアウトサイダーとしての物言い。(そう言えばは地毛はブラウンか金髪だろうにわざわざ黒髪に染めていた。)
「完全に独りである時に愛されたと感じる」「さよならの時まで自分が手にしたものはわからない」っていうのも、おそらく当たり前に受け入れられ育まれ愛されることがなかった者には「あるある」の感じ方。

の目は深く哀しく優しい。
許したい、愛を信じたい。は自身を削りながら奮い立たせて歌い、人を元気づけ、それを通して自身も納得させ救おうとしていたのではないか。

やっぱりもうちょっと声が回復したら&口が回るようになったらまた歌おう。サビの部分のベースのセットが逆になってた(しダレンの歌詞はいきなり非母語話者が歌うには難しかった、歌詞を覚えきれず読んでいたんだけど乗せ方がいまいちわからないところはふにゃふにゃごまかしていた)から。

指練習。ビッグブリッジは相変わらず難しくてなかなかきれいに弾けない。特に最後の高いラから移動幅大きく下がってくる部分が激難。

延々と弾いているうちに訳がわからなくなってきて悪化していっている(あるある)。

もう最後は嫌になって誤魔化しながら終わらせた。

一応イントロも弾いてみたけど残念すぎる感じに。。

実は、練習開始後約一ヶ月にして気付いてしまったんだけど(やっと?)、フレットの幅って、左側より右側のほうが狭くなっている!!んだね。
私はギターを手にした後は下から2本目の弦からドレミ音階を確認して、「この音からこの音の時は●本目の弦を使う」という認識でいたから、使う位置は常に左側に寄っていて右のほうはほとんど目に入っていなかった(節穴過ぎる)。。
思えば、ライブとかで速弾きしているのを見た時には右側のほうを使っていた気もしてくる。いくら男性の大きい手だからとはいえ、あの左側の広い幅だとそう簡単に素早く移動するのは難しいのだろう。
ちょっと右側の活用も考えていったほうがよさそうだなと思い、とりあえず上のドレミを右側を使って練習してみた。

慣れない、、きれいに弾けない、けどまずは第一歩。



フレッシュフルーツが無いと地味。

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