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JN.1とピーク

ヒラハタクリニックの平畑先生が感染って、、。つまり今はそういう時期だということ。

ノーマスクをはじめとするノーガード達は感染拡大初期に感染し、流行の山の下地を作る(特に反ワクチン反マスクの鉄砲玉達の「ウイルスは存在しない」「感染したことない」は根拠のない願望でしかなく、街中で汚く大きな咳鼻水を晒している人間の九割方はノーマスクであることからも全く信用ならない)。 その後、園施設学校等での集団感染が起き始め、対策の弱い人間を中心にその周囲が巻き添えをくらう形で家庭内感染職場感染も伴いながら社会に感染が蔓延し、流行のピークを迎える。JN.1はおそらく今がその付近。この頃やカーブが下がり始める辺りは、新規感染者数自体は落ち着いてきたように見えるものの、必死に対策を続けて感染を免れてきた層が刈られやすい、実は危険な時期。

「コロナは風邪」だと思っている愚かな人間は、急性症状が落ち着き、自分が動けるようになれば即、何食わぬ顔で公共の場へ出て行く。政治家の「お気持ち」で「根拠もなく」設定された「5日」すらどこ吹く風だ。そして咳や鼻水が出ようと「既に自分は感染した(本人の中ではしばらく無敵状態な)」ので全く気にせず、あるいは「自分が感染して他人が感染しないのは許せない」ので故意に、ノーマスクで他人にウイルスをばら撒く。
流行ピークの辺りはこの「自分は既に感染し、急性症状が治まったから」と「他人を感染させるウイルス排出量を持ちながら」ますます好き勝手に高リスク行動を「ノーマスクで」行う魑魅魍魎が市中に溢れかえっている時期なのだ。

ウイルスは政治家の「お気持ち」に忖度することなど無い。「5日過ぎたので悪さはやめておきましょう」なんて「自粛」するわけ無く、7日でも14日でもそれ以上でも、動けるうちは忠実に使命を全うする。
ウイルスの排出量にも排出期間にも個人差があり、基本的に症状を抑えるために人が通う医療機関には、その後のデータは充分集まってこない。加えて、この美しい国では「お気持ち設定の5日」を超えて排出が続くなどという「不都合な事実」が集積発表されては困るので、そのような調査研究にはまずお金が出ないだろうし、解析に使える公的な大規模データが存在しない(「見たくない」「認めたくない」から「臭いものには蓋」で「調べない」「無かったことにする」がお家芸だから)。

「実態を無視」して急性症状が治まればオールOK「とする」インパール体質は為政者にも臣民にも染み付いている。
為政者は自らとその「お友達」にだけ都合のよい、自分達にだけ優しい方針を恣意的に決定し、下々は「お友達」ー体制の共益者であるメディアや広告業界が演出したムードに染め上げられ、「コロナ禍は終わった」「コロナはただの風邪」と、「全く根拠を伴わない」お上の「お気持ち」を盲信し、「赤信号皆で渡れば怖くない」状態で猪突猛進する(戦時と全く同じである)。
それで本人が感染や後遺症を引き受けること自体は当人の選択の結果であり当然のことだが、問題は、その思考停止とノーガードに、必死に対策をしている人間までもが巻き込まれることである。

きちんと対策をしてここまで感染を免れてきた方々、この先多少数値が下がってきたとしても油断することなく、ノーガードノーマスク、リスクを避け、引き続き、巻き込まれることのないようになさってください。

曝露ウイルスの吸入量、感染回数が嵩めば嵩むほど、重症化、後遺症のリスクも上昇する。
そもそもただ一時高熱が出て咳が出るだけの風邪だったとしても、だから移して問題無いなどと思える人間などからは離れたほうがいいし(そのような輩は当然他の加害行為も平気で行う)、何よりcovid-19は「ただの風邪」やインフルエンザとは異なり、体内に残留するウイルスが循環器、免疫、認知等、心身の広範に鈍く持続的なダメージを与える厄介なものだから。
そしてそのように(急性症状が落ち着いた後も)残留性と実効性を持つウイルスなのだから、その影響は「お上の思惑」に留まらず、他者へ向かう可能性も充分にある、つまり、一見回復したように思える状態になった後にも、他人を感染させるリスクがあるという認識を、せめて「理性が機能する人々には」持っていていただければと切に思う。

前にも少し書いたけど、最近聞く咳の音の傾向からして、今の株は体内により安定的?に残留できるように進化していて、他人に向けて効果を発揮できるような一定量まで体内で濃度を高めたものを咳としてまとめて排出するようになったのではないかと私は推測している(常に咳き込んでいるわけではなく、それまで普通な感じだったのに突然コロナ咳を始める人間が増えた)。つまり、一発の咳の破壊力が上がっている可能性がある。特にJN.1が蔓延してからよく聞く咳は、音的にはそこまで激しくないのに、である。油断をしていたらすぐに刈られる。

加えて、ヒラハタ先生は勿論きちんと対策をしていらしたはずなのにそれでも感染したということは、時期も時期だから市中感染の可能性もあるけど、後遺症外来で、感染後一定期間が経った、一般的には感染能力を想定されない時期の人でも、上記のように強めの感染能力を保持しており、それが特にピロラ以降強化されているところから、という可能性もあるのではと私は考えている。

「死なば諸共」なんて野蛮で暴力的なマインドではなく、他を思いやり配慮する、本来の日本らしさを、それこそ「取り戻」してほしいと、私は思うよ。

私、生育環境的にも「日本的なもの(特に「である」の村社会的価値観や力学」に対してアレルギーがあって、ずっと外の世界(特に「する」で成立している西洋社会)に憧れていたし、なれるものならその世界の人になりたいと思っていた。

でも大学に入って、色んなEnglish native speakerの先生のintensiveな授業や友達に触れて、やっぱり私は完全に「向こうの人」になることはできないと気付いた。
高校時代、全然勉強なんかできる状態ではなかったけど何故か成績はとれていた英語も、帰国子女や幼少期の海外滞在あるいは高校留学を体験している友人達とは特に「話す」の面で大きな差があったし(結果、私は英語コンプレックスになった)、何より文化的に、私の価値基準や知識は西洋に「根っこ」を持っていないと痛感した。

その後、先生や留学生を含む色々なバックグラウンドや価値を持つ人と交流しつつ、色々な国に出掛けて自分や日本のことを見つめ直した。
結果、「日本、わりと悪くなかった」「自分は良くも悪くも日本人だった」ということに気付いた。

私の今のアイデンティティーは「変な日本人」。
日本人だからといって全てに迎合するわけではない、外の世界や他の視点のこともある程度知り、それらをふまえつつ相対的に合理的な判断を模索し、おかしなところにはおかしいと言う、おそらく「愛国」を主張する人間からは「反日」ラベリングをされるけれども、それなりの距離感で日本と付き合い受け入れ、可能であればbetterな形にしていきたいと考えている、そんな状態。

色々嫌だと思うことも多かったけど、海外へ行くとやっぱり日本って便利で過ごしやすかったなと思うことが、「少し前までは」たくさんあった。

週末や夜間に店や各種サービスが止まることも、店や店員の都合で謎の不利益を被ることも(例えば、「小銭が無いから釣りは渡せない」なんてこと、本来開いているはずの施設やサービスがしれっと謎の閉鎖をされていることなんかが欧州ではわりとあった」)、機械が壊れていることも道路がぼこぼこの穴ぼこだらけであることも謎の放置された工事現場も少ないし、金蔓としてハイエナのようにたかられたり露骨な人種差別をされることも少ない(この部分は私が日本の「内」の人間だからだけど)。
私は(自分でそこまでの費用は捻出できなかったから)留学などの長期滞在をした経験は無いけど、友達の話を聞いていると、欧州では住まいに致命的な不具合が生じても即日修理が行われることなんてまず無いし、その質も低いし、各種手続きは遅く、郵便物もすぐ無くなる、なんて、私が若いうちの日本の暮らしの中では想定しえなかったようなことのオンパレードで、衝撃を受けた。

「少し前までは」日本は先進国で所得や物価が高く治安がよく平和を維持し人々も優しい国だと、海外からも、思われていたはず。

でもね、私が便利で過ごしやすいなと思っていた側面も、海外からのイメージも、この10数年の間にみるみる崩壊していったよ(スタートはもっと前からだけど)。
開店時間やサービスは縮小し、郵便や配達はどんどん遅くなり、様々な場所で不具合が相次ぐようになりしかも長時間その修正がきかないことも日常化した。橋も落ちるし水や交通すら維持できなくなっているし、貧富の差が拡大し、かつての中流層は崩壊し貧困の底も抜けた。攻撃的で他人への配慮など全く失った「自分さえよければいい」人間、それを正当化する身勝手な人間が増え、「和の精神?何それおいしいの?」状態で社会とも言えない社会が回って、というか朽ちていっている。
経済力は低下し、少子化は進み教育は特に貧困層で行き届かなくなり、この先の社会を構成する特に若い力が、総数的にも力量的にもとても見込めない。現在の労働世代も、為政者とそのお友達のためだけの利権中抜き不正天国の中、地道に地域や社会を支えていた層が力尽きすっかり空洞化してしまった(既得権益者にはふんぞり返っているだけで巨大な益が待っているのにね)。結果、インバウンド様方に安く消費していく観光立国と(見限られることがわかりきっている/既に見限られている)移民受け入れ、まさに「この道しかない!」んでしょ?

笑えるよね。いくらでも他の道はあったのに。今だって、工夫と合理的な配慮、支援をきちんとすれば、国内にも、伸びていける若年層も、若くはなくてもまだまだ充分力を発揮できる現役世代もいるのに。研究の世界も同じ。

この先沈没するしかない泥舟から早く降りるのはむしろ幸せなことだとすら思っている。
老眼や更年期障害など、明らかに不快そうな状態を体験する前に、死んでもかかりたくない不気味な感染症をノーガードに移される前に、貧しくお金や日々の暮らしに困るようになる前に、あるいは戦争に突き進む、かつては平和を模索していたはずの国を見る前に、自由になれることは。

物は考えようである。

長く快適に生きたい人は、感染、しないほういいよ。
できる対策をして、「大丈夫である」状態を維持していってくださいね。

"I believe in karma, what you give is what you get returned."

自分だけでなく他の人も思いやって配慮をすれば、あなたのその優しさは巡りに巡って返ってくるから。

そして同様に、他へ向けた横暴、無配慮、理不尽も、刃となり自分へ向かうことになるから。

移されない、移さない対策を是非。



外の雪。 2/8
2/9。手前は少しスコップで削った。わりと長く残っているね。

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