統計(麻疹感染者数推移)から見えてくること

国立感染症研究所の統計に2007年より前の麻疹感染者数データが無いのは、全数把握になったのが2008年からでそれまでは定点観測だったかららしい。

日本は(かつては)先進国(だったんだけど、そ)の中でいつまでも麻疹の感染を押さえ込めない麻疹輸出国状態になっていて諸外国から眉を顰められていた、その後わりと最近にWHOから「排除状態」認定を受けたという話は聞いたことがあったんだけど、調べてみたらそれは2015年3月27日で、思っていたよりもだいぶ最近だった(なんとなくバブルの頃には「排除」状態だったのかなと思っていた)。。
大流行は2007年にも2008年にも起きていたようで、ただデータのとり方が定点観測(2007年)、全数把握(2008年)と一致していないので、同じように比較をすることができない(条件が揃わないから)。
おそらく2007年の大流行で「これ、かなりヤバい状態だから対策強化したほうがよくない?」的な感じになって全数把握に移行したんじゃないかな。そしてかつてコロナで行っていたように感染者の追跡→行動歴、接触者などを保健所が把握し感染リスクが高いところや人からの二次感染以降を抑える体制を整えたりとしているうちに、クラスターや土着コミュニティー内の感染も減っていき、「排除状態」にまで至ったのではないかと私は推測している。

やっぱりきちんと感染状況を把握して、見えてきたところから地道に対策を打つっていうのが重要なんだと思う。そしてだからこそ、今後の麻疹流行の展開は絶望的となる。
まず、現在は麻疹だけでなく、コロナやインフルアデノ溶連菌等多くの感染症が同時並行で継続的に蔓延している状態で、保健所のマンパワーが圧倒的に足りない。
そもそもコロナ単体であっても、元々は全数把握していたものが保健所業務逼迫、負担軽減等の理由で(+「ただの風邪」盲信により)白旗状態で放棄された経緯がある。

現状、コロナ第10波のピーク後でありかつ麻疹の感染者が二桁であるからこそ、感染者やその周辺を追うことができているが、残念ながら早晩それは崩壊することが見込まれる。
第一に、特に20代女性の新大阪→品川の新幹線移動カムフロムアウェイ(ミュージカル)観劇銀座のオイスターバーで観劇後閉店まで2時間に渡る(高確率でノーマスクハイテンションで大量にウイルスを排出する形での)飲食30代男性(会場規模の大きい)大阪城ホールライブ観賞で広域大人数に感染が拡大することは必至なので(おそらく今週から来週あたりに発表されていく)、そこからの三次感染の段階(感染自体は来週くらいまでに起きるけど、発表は推定再来週以降)で収拾がつかなくなるだろう。月末には近畿、東京、東海道線沿いを中心に広く市中感染が始まっているわけだが、この頃には学校の春休みや会社等の年度末とあってとにかく人の移動と会食、酒席が多く、コロナの感染も増え始める。
第二に、非常に厄介なことなのだが、麻疹については国内では(老人以外)大半がワクチンを1回は接種している状態で、そうすると、(中途半端に免疫があることから)感染して発症するけど軽症(発疹も広がらず目立たない)でありながら感染能力は持つ「修飾麻疹」の連鎖の形となり、2006年の高校集団感染事例のように、保健所等の追跡がない限り「病院に行かない」あるいは「病院へ行っても麻疹だと診断されない」ことで、実情が掴めないまま感染が相次ぐ形、つまりコロナの現状と全く同じ形となることが強く懸念される(実際、BUMPライブの京都市30代男性は診断が降りるまでに3つの病院へ通っている。発疹が出るまで麻疹だと気付かれなかったのだろう)。
高校の事例でも麻疹との関連が推定される欠席のうち3分の2に医療機関による確定診断がついていなかったし、診断なしのうち同意が得られた3名を検査したら2名が麻疹であったと確定した。先月から発表されてきた感染者達についてもこれまでの総計(約10名)の中で入院例は2例で大半が軽症だった。おそらく保健所の関与と遺伝子検査が無ければ、それこそ「ただの風邪」で済まされてしまっていたのではないかと思う。

ゆえに、事態は今後深刻化する。この国では「死なない」「ただの風邪」は気にしなくても人に移してもOKで、ノーガード、ノーマスクで感染を回すことが是とされている。コロナと同様、おそらく保健所がパンクし全数把握が困難になるタイミングと近い時期に、政治もメディアも、定番の「正しくこわがる(下々はお上が恐れるなということは恐れるな)」コースに全力で舵を切る形となり、統計もまた定点観測に戻り、「見なければ認めなければ存在しない」と無策で感染を拡散させていくお決まりの形に落ち着くだろうと私は見ている。

国からすればね、他国に「不浄の地」として見られるのが嫌だったから対策に本腰を入れたわけだけど、今はその他国のほうが感染が多いわけだし、そうなったら「排除状態」を維持する動機が無いんだよ。何より経費削減でポストや人件費を削りまくったから、2008年にできていたことも(その他の条件が同じだったとしても)今同じように行うことはできないだろうし、今はコロナインフルその他、麻疹が無かったとしても、コロナだけだったとしても、手が回らない状態だった、ところに麻疹まで加わったんだから、そりゃあもう、ね、、。。

2008年からの麻疹の感染者数推移を見ていると、2008年は11005件の発生があったものの、その大半は年前半に起きていて、(おそらく保健所調査やクラスター等の対応が蓄積され軌道に乗ってきた)年後半にはぐっと数が抑えられていったことがわかる。そして以降、2009年から2019年には、年によって多少の数の増減はあるものの、全て三桁で抑えられていたし、そこからさらに、コロナでの感染対策が強化された2020年から2022年には、ぐっと発生が減った。
つまり、「官」が対策する気になって、その策を講じた時期には当該感染症は減り、加えて(「官」だけでなく)社会全体で(「民」が)基本的な感染対策を強く行っていた時期にはさらに減ったんだよ。まさに「やればできる(た)」状態だよね。
でも裏返せばこうも言える。「官」が対策を放棄すれば当該感染症を抑え込むことはできず、「民」がノーガードに踊ればさらに蔓延する。「やればできる」は「やらなきゃできない」ということである。そして現状、「官」「民」共に、「やらない」ことに全力投球状態というわけだ。

コロナも麻疹も、皆ができる対策をすれば、それでもリスクを0にすることまではできないけど、だいぶ抑えた状態で日常維持できる。ノーガードがのさばれば感染の波が収まることはなく社会生活は崩壊する。

修飾麻疹もコロナも一見「ただの風邪」だけど、人に移るし、人によっては重症化したり亡くなったりするものになる。
麻疹もコロナも免疫をリセットしたり破壊したりするもので、昨年から顕著になった複合的な感染症の流行をさらに加速させる要因になる。免疫以外にも様々な後遺症リスクを孕むもので、急性症状で見える「風邪的な現象以外【こそ】」がむしろ本丸だ。

それでも見えない人には見えないんだろうけどね。「あえての見ない」なんだろうし。
そして赤い靴を履いて、ヒロポンを打って、楽しく踊り続けるのだろう。何て美しい国、民なのだろうか。

ちなみによく言われている「ワクチン2回か既往歴で安心」についても以下のようなデータがある。

大半の人には大丈夫なものであっても、自分が外れ値を引くことはいくらでもありうる。
ワクチン打ったから、感染歴があるからとノーガードムーブをきめれば、自分も感染するリスクがあるし、確かにそれは軽症で済む可能性も高いけど、自分が移した先が重症化したり死んだりする可能性がある。
それ(自分が招いた他人の被害)を「自己責任」にする人間もこの国には多いけれど、そんな状態だからこその沈没船なんだよ。
お国にために、お国と共に玉砕するのが美しいこととされているのかもしれないけどね。私には到底理解不能。

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