大学生と麻疹

麻疹キャリアながら新大阪から品川まで新幹線で移動し(夕方着)、その後21時〜23時頃まで銀座コリドー通りのオイスターバーでワイワイ過ごした20代女性。
(※ページ下部に追記あり)
例の関空着のエティハド航空クラスターなんだけど、乗客に対してどのようなアプローチがあったのか、それとも無かったのかがわからない。少なくとも岐阜の50代女性の件では、3月6日に調査依頼があったと書いてあったけど、感染源の20代男性が2月24日乗車で2月29日に届け出(3月1日確定)で、長時間密室ノーガードの飛行機なんて完全に感染確定コースなのに、調査依頼があったと明記されている件についても5日後、それ以外はコンタクトがあったのかも不明だという状況はおそろしい。
コンタクトがあり注意喚起を受け健康観察中であるにもかかわらずわざわざ大阪から東京に移動して、特に新幹線や銀座オイスターバーで感染を拡散したのだとすれば、それは当人の意図的な行動によることだし、コンタクトが無く(本来は情報収集して把握しておいてほしいところだけど)同機内クラスターのことを知らなかったのだとすれば、それは行政側の初動の遅れもしくは無策により引き起こされた過失だと言えるだろう。

しかし、故意過失のいずれにせよ、10日後くらいからのぞみクラスターとオイスターバークラスターが顕在化されてくる。
オイスターバーについては、名古屋の学習塾公衆浴場施設とは異なり、店名の公開に同意してくださったのは非常に良識的だし、何より店側は完全に被害者である。意味不明な言いがかり電話や嫌がらせ等が起きないようにと思う。この国では難しいことなのかもしれないが。

それにしても、感染源男性(発症しながら飛行機に乗り帰国、在来線で帰宅)名古屋姉妹(発症後に学習塾アルバイト勤務)大阪から上京し(コリドー通りで楽しく騒ぎホテルに宿泊後見事発症して都内で入院し)た女性も「20代」だということが気になっている。
私はこれらの特に女性達は、春休み中の(比較的裕福な)大学生なのではないかと推測している。名古屋の姉妹に関して言えば、学習塾で「アルバイト」なので「就職」前であることが明らかだし、新幹線で上京してきた女性も2月に海外、3月の平日に上京と一般的な社会人の動き方ではないので(出張である可能性が全く無いわけではないけれど)アクティブに遊び歩くタイプの学生ではないか、そしてエティハド航空利用というのは、(目的地が中東であった可能性も無くはないけど、今は戦争の関係で北回りが使えないから南回りで)ヨーロッパへ行ったのではないかと思う。

この円安と物価高(特に海外)の中、春休みに欧州へ旅行に行けるのだから、少なくとも苦学生ではない。そして、名古屋姉妹はバイト先が学習塾であることから一定レベルの大学にいること、大阪女性は海外(推定)旅行の後に国内(推定)旅行(乗車位置がはっきりしているから自由席ではなく指定席をとっている)ということ、その後の行き先が銀座であることからも、経済的に困窮しているわけでは全くないということが推定される。
奨学金という名の実質ローンまみれで学費や生活費の捻出だけでも精一杯、結果、性産業にまで入っていく学生、人手不足を理由に休むことを認められない、無理矢理出勤を求められる、なんてブラックバイトに搾取されている学生も増えているのに、たとえバイトをしていたにしても一定期間(フライト時間的に少なくとも1週間位は)休んでこの時期の(アジア等近場でない)海外(欧州や中東)へ行けるのだから、かなり、恵まれた層だと言えるだろう。

それでね、私が思うのは、恵まれている層って、きちんと自分が恵まれていて元々色々なお膳立てがあって下駄履いた状態からある程度の努力ができたから、今の生活(学校歴せよ仕事や課外活動等での様々な達成にせよ)があるってことを知っておかなければいけないし、その上で、自分が与えられてきた様々な恩恵を還元していかなくちゃいけない、そしてそのことをきちんと彼らに伝えられる人がいなくてはいけないっていうこと。

新自由主義時代の強者って基本的に「自分の手柄は自分のおかげ」「他人の不幸は他人のせい(自己責任)」の考え方なんだよね。そして自分が知っている世界(ある程度の努力をすれば/努力をしなくとも圧倒的に報われる)でしか物を見ない。
東大五月祭ゲストにしろキリンのCMにしろ、「集団自決」が採用されるとは、新自由主義思想の浸透、「強者の強者による強者のための社会(弱者は切り捨て、嫌なら出てけ)」が強化された現在を象徴するものだなと思う。
5類支持やノーマスク勢もそうなんだけど、生まれながらに恵まれてその恩恵によって成功し恵まれた地位についた者こそが、その自らの周辺要因によって得られたbenefitsを見ることなく、自身の成功については「努力の結果」であるとし、(条件が揃わずスタート地点がずれているようなものなのに)同じような結果を出せなかった者には「努力が足りない」とか「努力をしたくない」だとか、「自己責任」にすることが増えた。そして、「自己責任」の名の下に、一切の配慮も容赦もなく弱者を切り捨てる、ことが評価され賞賛される、美しく歪んだ社会に、ニッポンはなった。

元の発言はいわゆる「ビリギャル」で話題になった人。彼女についてはあまり知らないんだけど、確か「ビリギャル」状態になっていた時期はそうだったにせよ、元々の状況は(先天的にも後天的にも)恵まれていて、だから結果が出せたんだよな(本当に何にも無い状態から成績を伸ばして合格した訳ではなく、私が高校時代に勉強全投げの状態から進学したようなもんだ=たとえ高校では習得0だったとしてもそれ以前のベースがあったから可能だったことだ)と思った記憶がある。
川上先生のコメントは流石。研究所のご所属だけど、機会があれば大学で学生を育てていただきたいな。触発される学生はたくさんいるだろうし、きちんと骨のある&優しい眼差しを持つ大人が身近にいる、その背中を見られるって、本当に大切なんだよ。

まずそもそも諸々の要因によって努力ができない人だっているし、それこそ毎日働きづめ、学費生活費捻出でいっぱいいっぱいで学業に時間を確保できない人、あるいは高等教育への進学なんて選択肢にすら(挙げたくても)挙げられなかった人だっている。努力をしても結果が出せない場合もあるし、知的障害学習障害発達障害など認知に関わるところから、視覚障害聴覚障害難病あるいはコロナ後遺症等、物理的なバリアを抱えながら暮らしている人もいる(コロナは認知障害も引き起こす)。
自分の世界の当たり前、何事もなく諸々大丈夫でうまくいっている状態は、全ての人に同じように開かれているわけではないって、本来は自分が恵まれていればいるほど知らなきゃいけないことなのに、きっと特に今の子達には知る機会が無いんだと思う。「類友」だし、伝える大人がいない(一人っ子も多いし「自分の子にだけ甘い親」やいわゆる「モンスターペアレンツ」が深刻な問題化したのもこの世代の親から。だから学校が非常に親の存在を気にするようになった)。

私は育成環境が色々酷い状態ではあったけど先天的な問題は無く(むしろ恵まれている方)、後天的にもある程度の文化資本がある教育に(過剰に)重きを置く環境が幼少期からあったから、(特にピアノ高校の進路選択、それ以降の学習的無気力、勉強全放棄、大学進学強制&拒否、能力があるのに言うことを聞かない生意気な女に対する報復など)弊害もあまりに大きかったけれども、その一方で、幼少期からの積み重ねがあったから、高校時代が全くのブランクでも一定の大学に合格し進学することができ、その場の環境や多くの出会いの結果、ある程度、「自分」を取り戻すことができた面もあるということは自覚している。

私が大学で指導教官になっていただいたのは、本当は凄い方なのに普段はその凄さを全然出さず、にこにことても温厚でいらっしゃるのに、「不平等」や「理不尽」に対して本気で怒っていらして、自らの立場とか保身とかではなく、おかしなことには正面から「おかしい」と向かっていく先生だった。
まともに論文を書けなくて(当時は気づいていなかったけど自分の問題に近いトピックを題材に選んでしまったせいで防衛の拒否反応が強く起きていたらしく、全然手につかない→期限ギリギリにやっつけ提出になってしまった、学部も修士も、、)先生には本当にご迷惑をおかけしてしまったんだけど、先生のお話から学んだことは非常に多くて、特に「社会化」という概念と"noblesse oblige"について知れたのは貴重だったと思う。

「社会化」とは英語で言うと"socialization"で、大まかに言うと、個々人はその生まれ暮らしていく社会に応じて"socialize"される、例えばオオカミに育てられた女の子(カマラ)が四つ足で歩き人語(?)を話さずガルル(?)と唸ったように、そのコミュニティー、社会に合わせた形になっていく(適応していく)という概念である。
だから、よく重大事件が起きた時なんかにその「人」の問題だ、あるいは「親」「家」の責任だ、等と騒がれることがあるし、それらも勿論あるにはあるんだけど、それらを生み出す背景、構造、「社会」がどうなっていて、どう影響しているのかも考える必要がある。

私はよく新自由主義について書いているけれども、上記の20代達が生まれて特に教育を受けてきた時代って、いわばまさに小泉竹中の(従来の日本の終身雇用制を破壊し非正規派遣に保障を与えず安く使い潰す、強者はますます富み、弱者はますます貧しくなる格差是認拡大型の)労働構造改革が定着していき、第一次安倍内閣の教育改革が反映された時期なんだよ。
子どもって本当に大人をよく見ているし社会情勢を吸収している。私は10年+α生徒と関わってきたけれど、その間にも色々な変遷があった。私が働いていたのは表向きにはわりとリベラルっぽい(けど「専任教員は」実質そうではない)環境だったし、私が関わってきたのは特に海外在住歴が長い子達だったけど、311の後なんかは「愛国主義」と絡んだ「絆」的なことをナチュラルにさらっと言ったり書いたりしてくることに(ここに通うこの層ですらこうなのか、、と)驚愕したし、近年だと環境問題、脱炭素、"MeToo"なんかへの関心や言及が多く見られた。

だからこそ思うのは、Z世代に蔓延している「自分さえ良ければいい」「他人は犠牲にしてかまわない」「努力もせずに不遇にある者は自己責任」「社会の役に立たないお荷物は切り捨てられて当然」等という、それこそ今話題の「集団自決」的な優生思想ー強者既得権益者、その側にいる自分に都合の良い「弱者、利他、配慮の切り捨て」の正当化は、彼らが「社会化」される間に触れて見てきた、政治、マスメディア、(それらが選択する)インフルエンサー、広告等、そして学校、教員、教育の影響である部分も多いということを忘れてはならないということ。

そして、勿論中にはあえてのノーガードやノーマスクで積極的に高リスク行動をとる頭がQな人間もいるだろうけど、そうではない、本当に「知らない」とか「何となく」で「ただの風邪」で「大したことない」と「されている」ものを「気にすることなく」移し移されしている若者も一定数いて、その中で一定の知識や思考力がある層に、きちんと、「お気持ち」や理由なき上からの押し付け、強制、命令ではなく、「データ」と「根拠」で「(本来の意味での)科学的」「論理的」に、話をすれば、彼らの多くは反発なんかしないし、納得の上、「自分と他者のために、適切なマスク着用など、感染対策を行うようになる」はずなんだよね。そして本来、それを行うべき、行えるはずの場所は学校や大学で、その語りかけというか対話は、教員の腕の見せ所なんだよ。

どうして逃げるの?
っていうか「子ども」を出汁に、本当は「窮屈な思いをしたくないという自らの欲求」、「マスクをすると苦しい"気がする"という"思い込み"に基づいた"大人のお気持ち"」を通そうとしているだけなんじゃないの?

「見ない」「認めない」で「無かったこと」にしようと思っても、ウイルスに忖度は通用しないから。「移す気は無かった」とか「こんなに広がると思わなかった」とか「お気持ち」を主張したところで、対策しなければ感染は起こり連鎖していく。
コロナも麻疹も、免疫破壊リセット伴うものだから、それらと共にインフルアデノ溶連菌その他諸々、セットで回りに回る。場合によってはそこに今後結核なんかも加わってくる。

お上のご都合、お気持ちと徹底した現実回避、思考停止でインパールして、気を紛らわすためにヒロポン打って、玉砕した戦争と、今の状況って全く同じ。「今ここ自分だけ」で"GOTO"して「コロナ禍は去った」と楽しく踊らされ、皆で「ノーガード」して仲良く感染し感染させられ、将来未来を食い潰す。

若者は社会や大人を映す鏡だ。
ノーガード」「ノーマスク」「ただの風邪」「正しく恐れる(お上が認めないことは恐れるな)」な政治や大人の「お気持ち」世界に子ども達は適応し「社会化」されたんだよ。
だから、コロナであっても麻疹であってもリスクがあっても「自分の都合やお気持ち」最優先で、「人に移すことなんか気にしない」から平気で飛行機にも新幹線にも乗るし、積極的に人前に出て、バイトもするし飲食するし公衆浴場にも行く。
だって、「コロナはただの風邪」だし、「ただの風邪を他人に移しても問題ない」し、「麻疹も発疹が現れる前の症状は"ただの風邪"」だし、他人に何かあったとしても、それは「自己責任」だから(勿論、その他人へ被害を与えた自分の責任という意味ではなく、全ては被害を被った側の責任、自分は免責という意味での「自己責任」ね)。

今は大学生が春休みだから、その中で特に経済的に余裕がある、いわゆる強者の層であればあるほど、外へ出て海外に国内にとアクティブに移動し、人と接触する。今後も同じような麻疹の持ち込み運搬例、増えると思うよ。
そしてそれら+それらによる二次感染が積み上がってきた頃に迎える高校以下の春休み、年度末&新年度。人の移動が多い時期、さらに皆大好きな桜、歓送迎会の中の盛んな往来、濃厚接触。ウイルスにとっては大チャンスだよね。

麻疹の国内感染者数を見てみると、だいたい三桁/年の感染が起きていたのがコロナで諸々の感染対策が行われていた2020年から2022年の間は(ほぼ)一桁まで減っていて、それがノーガードが正当化された2023年には突如4倍以上に増えて二桁まで戻った(今年は近いうちに軽く三桁を越す大流行になる)。

コロナの感染対策が行われていた間は、インフルエンザをはじめとする去年激増したその他の感染症も、極めて高い空気感染能力を有する麻疹だって抑えられていたんだよ。それがノーガード化と共に激増した。

このことが何を意味するか。

感染を広げないためにマスクをして、きちんと換気をして、リスクの高い場所や場面は避けて、怪しげな症状がある時には人前に出ない出さない、こういう基本的な感染対策の組み合わせや意識が、コロナにもそれ以外にも極めて有効だったということ(そしてこの時期に比較的に感染抑制に成功した日本はPISAの順位を上げた)。
当初はウイルス干渉なんて説もあったけど、ノーガード化後はコロナインフルの同時感染例が相次ぐなど、全然ウイルス干渉なんかしないってことは既に明らかなわけで、それなのに何故3年間はコロナ以外の感染症が抑えられていたかというと、基本的な感染対策の組み合わせや意識、実践は、コロナ以外の感染症にも極めて有効だったということ。
それが「コロナを無かったことにしたい」「自分がマスクをしたくない」人間の「お気持ち」のごり押しによる「ノーガード化(感染対策の全放棄)」によって消え去ったため、ありとあらゆる感染症天国になってしまったということ。

そして、これまでコロナではあまり注目されなかった大学が今後、麻疹感染拡散のハブになるよ。大学は大人数での講義も多いし、授業時間も学校より長い。
それまでほとんど大人の管理下にあったところから(特に一人暮らしの学生は)自分で選んでできるようになることが一気に増えて、家や親とは違う「自分」の生活、自由を満喫している/したいと思うことも多い。
若いし体力もあって多少の無理もきくし周りにはたくさんの魅力的な事、楽しいワクワクする事がある。そして自分が何をするか、何時間やお金を費やすかを選ぶことができる。休みも長いし友達と海外旅行へ行くことも増える。
私はね、大学生がマスクをしない理由の一つは、マスクにかかるコスト負担だと思うんだ。特に一人暮らしの子とか、苦学生とか、自分で自分の支出を管理する時に、毎日たった数十円のことではあるんだけど、「生理の貧困」すらあるくらいなんだから、「その子にとって」マスクよりもっと魅力的だったり必要だったりするものが優先されるのは不思議ではない。
でもそこは、自分と他者双方のために必要なことなんだって考えられるように大人が伝えていかなきゃいけないし、それこそ教育機関の責務だと思うんだよ(自分でお金を出さなくていいならマスクをつけるっていう学生はわりといると思うから、生理用品と同様に、必要な学生には配布できる体制があればと私は思う)。

あとはやっぱり強者。強者は自分も周りも大丈夫であることが多いし、万が一のことがあった時にも大丈夫だって思える地盤があるから(経済的にも精神的にも)。
だけどね、中でも特に、一定レベルの大学の学生には、あなたの成功は多くのギフトや幸運があったからこそ成立したものなんだよということ、だからこそ、「自分が全て」じゃなくて、「他者や特に弱者」「社会」に、自分が得られてきた+今後も続く恩恵を「還元」していかなくちゃいけない、私利私欲に溺れるのではなく、「利他」こそがエリートの責務なんだよって、きちんと"noblesse oblige"を、伝えなくちゃいけない。大学だから、大学教職員だからこそ。

それが今は大人も教育機関も総出で「ノーマスク」「ノーガード」をひた走るんだから、、麻疹も含めて、感染が収まることなんかないし、「集団自決」が支持されるわけでしょ。流石の美しい国だと、いつものことながら感心している。

麻疹に関しては、Twitterでは(自然感染歴がある人の物は見られなかったけど)ワクチンでほとんどの人が得られるはずの充分な抗体について、自分には全然付かないとか、過去に接種していたはずなのに妊娠関連で検査したら量がかなり少なくなっていたといった書き込みが散見された。
ワクチンを打っていてもそれだし、エティハドクラスターも、都内の乳幼児もその多くが未接種等であったことからも、世代的には2回接種であるはずの大学生にも穴があることが推測される。
そこでノーガード、ノーマスク、高密度、長時間の授業&授業外のアクティブかつ濃密な人間関係によってウイルスへの大量曝露があれば、未接種なら確実に感染発症するし、接種歴があったとしても抗体不十分だったりコロナ感染による免疫破壊で抗体が減衰していたりする場合には感染が起こりうる。

次から次へと友達が感染していって、勿論それでも軽症で済む例もあるとは思うけど、それまで当たり前に一緒に学んだり過ごしたりしていた仲間が重症化したりして、自分もそうなったらどうしようとか、あるいは自分が友達をそうしてしまったとか、思い悩む学生達を増やしたいの?
どうして、自分と他者のために、単独で完璧ではなかったとしても組み合わせれば確実に感染リスクを下げられる、本当にちょっとした配慮や実践をしよう、そういう場を作っていこうと思えないの?

「誰も取り残さない」ってどういうこと?
どうして「どうしても他人にために窮屈な思いをしたくない」って立場「だけ」が優先されて、感染させられず、安全に学びたい過ごしたいという立場は常に一方的に見捨てられるの?

なんてことを書いたところでこの美しい世界の前には全て無駄。
コロナに麻疹に皆で楽しくインパール。ヒロポン打てばこわくないしいい気分だよね。

やっぱり私には"new day"しかない。


山にごろりと寝転んで、スーツに芝生をつけている先生に「どうしたんですか?」って話しかけたら「ちょっと疲れちゃったから」っておっしゃって微笑んでいらした。
私は(とにかく論文が書けない引け目があって)逃げまくってしまったんだけど、先生が大好きだった。直接お話ししたことは実はあんまり無くて、授業外のことで思い出されるのはこうしたほんの些細なことだったりするんだけど、それでも先生の背中を見て、私には考えさせられることがたくさんあった。理不尽に怒り、論理と根拠、データと実証で立ち向かう姿勢。
修士の後、非常勤で働くとお伝えした時に「きちんとした(フルタイム)の仕事に就いたほうがいいと思う」と、いつも通り穏やかに言われたっけ。
私、先生にも自分のことを全然話せなかった。論文の形でも、その他の形でも、まともに残すことができなかった。本当に不義理なアドバイジーだったな。

麻疹、2008年に大流行していたらしい。恥ずかしながら、私、全然知らなかった。やっぱり若くて元気な学生に病気やリスクは縁遠いというか、その視野の中に情報が入ってきにくいんだと思う(他に見たいもの、したいことが溢れているから)。
コロナも麻疹も、流行もそのリスクも、「知らない」からノーガード状態になっている学生、多くいるはず。きちんと伝えれば、変わるところは大きいと思うんだけど。


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(追記)未確定事項なので文字にはしないけど、、


これ、本当に観劇だったとしたら、演者の方にも感染広がったりしたらものすごい損害賠償事案になるのでは、、

「濃厚接触者ではない、健康観察に気を付けよ」程度のアナウンスだと、(推定)大阪→東京遠征の女性と同様、「まだ元気」とか「ただの風邪だから」って、同じように観劇(長時間密室大人数)とか長距離移動とかでウイルスをばら撒く人、普通に出るよ。。
コロナと同じで発症前から感染させる能力を持つってこと、だから特に長時間の閉鎖空間と大人数への接触は避けなきゃいけないって、伝えていないんだろうな。。

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