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Track#04 "The best thing" (from "Affirmation" by Savage Garden) Guitar1208&1231

"The best thing"はSavage Gardenの2ndアルバム"Affirmation"の4曲目("I knew I loved you"の後)に位置付けられた曲。そしてアルバムリリース後一年余りを経て、"Affirmation"から、そしておそらくSavage Gardenとしても最後のシングルカット曲となった。

前回歌ったのは9月26日。背景では鈴虫が元気に鳴いている。ギターは頑張って三連符を弾いているもののだいぶ力が入っていていっぱいいっぱい感がある。今ももたついてはいるけど、気持ち的にはだいぶ楽になった。適性が低いから劇的に伸びることは無かったけど、少しずつ続けていたことには意味があったとも言えるのかな。

何がベストかわからないのに決めつけてよいのかということを前にも書いたんだけど、私は昔から、勝手に決められて、本人の意志を無視否定して上から無理矢理押し付けられることが心底嫌だったんだなと、色々振り返っていて改めて思った。
一見わりと聞き分けがよい(内心は違って、「体を装っている」だけだけど)とか大らかだとか(どうせわかりあえることなんかないって思っていて些細なことは気にせず「流す」から)思われがちなんだけど、根は石並みに固いから(親しくなった人には私が相当頑固だということがバレている、というかそれでも一緒にいられる人としか仲良くならないんだろうね)。
どうしてそうなったのか、考えたんだけど、やっぱり生後一貫して誰にも自分を受け止め認められたことが無かったからなのかな。加えて、「特に私」の「個」を全否定してくる理不尽な集団の暴力の中にいざるを得なかったからというのも、特に中学以降は大きい。

抑圧が非常に強い機能不全家庭のネグレクトも絡んだアダルトチルドレンだったから、幼いうちから常に周りを注視して、本心となすべきことを切り離し、本音と建前を使い分け、そうあるべき自分を作り出して、特に大人と接してきたんだと思う。攻撃されないための防衛戦略として。
警戒心が強く計算高いし空気を読んで場に合わせることができるから同年代から狙われることは無かった。大人にも(大人になってからも年上からは)基本的にかわいがられた。
でも例外があって「である」の世界の「内」の中で既得権益と権力を持つ者、これにはロックオンされた。あの一族でも元所属でも。きっかけはお気持ちや決定に疑問を呈し反意を示したこと。これも共通している。加えて、ターゲット認定された後は集団の「敵」として報復攻撃対象にされたことも。

私は(自分が人と違うということは明らかだということもあり)人に自分と同じであることを求めないし、そうした差異によって生じるだいたいの些細なことは流して気にしない&鳥頭だからすぐ忘れてしまうんだけど、危害を加えられたり尊厳を踏み躙られたりする場合は別。そういう時だけは徹底的に抵抗する。幼少期から、私には私しか、自分を守る存在がいなかったし、「個」の世界である西洋文学・文化に親しんでいたからというのもあるのかもしれない。そして理不尽が死ぬほど嫌いだから、そこだけは忖度しない。立ち向かっていく。そうすると「敵」認定の一丁上がりで後は報復と攻撃が続く。「である」の世界とはそういうもの。権力者とそのお仲間のためにだけ快適な馴れ合いと歪みで形成されている環境だから。

ピアノ読書も勉強も、英語も進学も、自分の意思を認められることなく強制された。結果、私は全てに反発し、屈折した感情を抱くことになった。本来は好きだったはずのことも、好きだと思えなくなったり憎んだり離れたりしなければならなくなった。加えて、自分が能力を持っていたり結果が出せたりしてしまうことに対しても、苦痛を感じたり呪いだと思ったりすることになってしまった

普通は「良い」はずのことが私には全然、よくなかった。
あの一族の中では、私の能力も健康も、攻撃や抑圧、屈服侵略の餌として機能するだけだった。「持たない」「男」は無条件で受け入れられ甘やかされた一方で。

「これはお前のため」「あなたのことを思って」

このような言説は、自他の境界がついておらず、他を尊重することのない理不尽な人間が、発言を向けている相手ではなく、自分の「お気持ち」(欲求)のために使う呪いの言葉。
その実「(こんなに思ってやっているんだからそんな)自分の言うこと聞け、服従しろ」の意以外の何物でもない。だから、そんなことばも、そんなことばを投げかけてくる人間のことも無視して距離をとったほうがいい。おそらく教育虐待の大半で使用されている表現ではと思う。

本当、迷わずに「逃げて」。殺されない、殺さない、繰り返さないために。

理不尽な人間が変わることなんかない。未発達なのか失われたのか、その経緯に一定の幅はあるものの、いずれにせよ「理」が無いのだから。
そして「理」の無い人間は、暴力や侵略が大好物で征服行為にひた走る(自分の欲求のみに忠実で自制が効かないからね)というのも太古からのお決まり。侵略征服された人間が新たなターゲット(子どもや自分より劣位にある者等)を見つけると同じことを繰り返して延々と暴力の連鎖が続くということも含めて。

何がその人のためになるか、何がベストか、そんなの一概に決められない。
勝手に決めつける人間は「自分がすべて」「自分の価値が絶対」でそれを、特に自分が屈服させられると思っている相手(劣位であったり子どもであったりする)に、自らが優位に立ち回れる権力構造を利用して振りかざす。相手の個を認め尊重することなど無い。
一方、適切に自他の境界がついていて、相手を尊厳のある個として見ることができる者は、そんな暴力的な発言をすることは無い。情報提供やアドバイスをすることはあっても選択権は当人に委ねる。

私は院を出た後「非常勤」(非正規)という働き方をしてきたけれど、これについては周りの、特にお世話になった先生方からは「フルタイム、専任の仕事についたほうがいいのでは」と言われてきた。別組織で常勤の募集が出ると中から直接声をかけていただくこともあった。「常勤のほうが」という言及はあった。でも、私は「福利厚生がある任期の無い非常勤(2019年に無期転換)」でリスク分散をしつつ安定的に働くほうが、私にとってはいいのだとご説明をした。そしたらそれを理解していただけた(内心はわからない)。私がフルタイムの職を選択できない理由について話をすることはできなかったけれども、それでも、「あなたのために」なんて言われることは一切無かった。
一般からは理解されにくい選択をしばしばする私を、それでも尊重してくださる方々に見守っていただけて本当に恵まれていたと思う。(退職前にお会いした中に、ノーマスクや攻撃されることへの強い恐怖(研究室の劣悪な環境や専任からの嫌がらせによって強いPTSD、フラッシュバックが再発し、ノーマスクと理不尽暴力が結びつき、絶望と刃物襲撃が蘇るようになってしまった)など、退職経緯と関わることでもあるから「被虐待歴がある」とだけ軽くお伝えした(フラッシュバックのこと等詳細は話せなかった)時に、「だから、、」「どうしてそういう選択をするの?と思うことがあった」とおっしゃった先生がいらしたんだけど、思っていても押し付けないでいてくださったんだなと、ありがたく感じた。この先生は「きぼう」のメールを送ってくださる方。今月にもメールを頂いたんだけど、返信できなかった。本当にごめんなさい。)

私には、自身の背景と関連した、普通の人には何とも無いのにひどく苦痛であることや絶対に避けたいことが色々があって、その理由を勿論私は知っているんだけど他に説明することもできないから、それらを回避するためには業務が限定されている「非常勤」という形態が適していた。(フルタイムの職では避けきれないというのが明らかだから。)

例えば、教える仕事に関連することでは、私は他人と入浴をするのがひどく苦痛だから、そうすると宿泊行事等の引率や見守りに支障をきたす。あの一族に自分の所属任務所在等を知られることは絶対に避けなければいけないから、業務と関連して名前や場合によっては写真入りで色々、特にネット上にも情報公開されてしまう可能性のある専任ポストは選択できない。同じ理由で高等教育のポストや顔を売ってなんぼの論文投稿学会参加ネットワーク作りなんかも不可能だからD進はできなかった(修士で終わりにしたのは、そもそも論文を書こうとすると具合が悪くなってどうしても手が止まってしまったからというのも大きいんだけど。勿論直接なんかじゃないものの微妙に自分の背景に繋がることを題材にしてしまったから、防衛機制の拒絶が起きていたのかなと今は思っている)。
こんなのほんの一例で、他にも探せば色々出てくると思う。直面するまで自分で気付いていないこともきっとたくさんある。出てきてしまった時では遅すぎるのだ。

だから、職場に迷惑もかけず自分も守るための方策として、私は限定を選択でき苦痛を避け安定的に働くことができる「非常勤」を続けてきた。たとえ一般的には不安定な雇用形態だったとしても、退職金や賞与等が無かったとしても、周りに「もったいない」とか、「常勤のほうが」等と、言われたとしても(細くても長く着実に、が極めて重要だった)。
結果、幸い、全て身近な方からご紹介いただいた複数の職場で長く勤めることができていた、「コロナの前までは」。
いずれも(5年制度を経ても)続けようと思えばずっと続けられるものだったし、法人で共済にも加入していたし、全てを合わせれば額面的にも自分独りで立つには充分な収入が得られていた。(おそらく年齢が低いうちは常勤職よりも頂いていたのではと思う。賞与が入るとわからないけど。そして「備えよ常に」で全力で貯金していたから、無職になっても失業保険を受け取るまでもなく過ごすことができた。 残りの期間が限られているというのもある。)
全てが公益性の高い業務だったし、労働を通して自分が他に貢献できるというのも良かった。きちんと向き合わなければいけない相手や業務がいる(ある)から、何としても自分を維持する必要があった。そしてライブや旅や食など、ガス抜きの方法やそのためのお金も自分で自分に与えることもできた。
そうして自分の足で立ち人や社会に貢献できるという感覚を得ることで、感情では決して埋められないものを論理でがちがちにかためて、自らの存在の理由を無理矢理形成していた。

のが、全て無くなった、というだけのこと。
ピサの斜塔が何故か出来上がって立っているけど、崩れたら二度と作れないのと同じで、たまたま全て、うまいことハマるようになっていたけど、それはもう崩れて終わった。再建可能性は無い。冷めた現実主義者はその現実に合わせるのみ。

そう言えば、旅や入浴に関して言えば、学部時代に英語のクラスメイト10人弱で箱根の温泉宿に旅行に行ったことがあった。
私はそもそも温泉も大浴場も嫌いだし、どうしても仕方がない時にその後一生会うことがないような人とであればまだしも、知り合いと一緒に入浴するのはひどく苦痛なので、勿論そこまでは言わなかったんだけど「私は温泉が嫌いだから」と伝えて、皆が大浴場に向かっている間にひとりで部屋のお風呂に入った。
温泉を使わなかったのに入湯税を払わなければならないのはちょっととも思ったし、そもそも私は温泉が嫌いだから旅は温泉じゃないところのほうがよかったんだけど、そういうまあ許容できる部分に固執して場の空気を凍らせるような私ではない(空気を読んでなんぼのアダルトチルドレンだからね)。周りとの最小公倍数を探して、周りを乱さず自分も苦痛でない道を探す。
そして、クラスメイト達は「ひとりで部屋のお風呂に入る」と言う私を「やっぱり野鳥は変わってるよね〜」と笑って、楽しく大浴場に向かい満喫してきた。「どうして温泉嫌いなの(日本人なのに)?」とか「せっかく箱根に来たんだから温泉入っとこうよ」なんて言う人は一人もいなかった。

それぞれが、それぞれに合った形を選択して互いにそれを尊重し合える、こういう関係性を私の大学では当たり前に享受できた。学生間でも、先生との間でも。とても心地よかった。

仲の良い友達の間では私が個人情報を(端から見れば過剰に)保護したがることも有名だった。これも、その理由までは説明していなかったんだけど、例えば私は収集利用を公言実行しているG社を特に警戒していて、普及度が極めて高いそこのメールやサービスからプライベートは絶対に切り離しておきたかった(自分の情報が勝手に収集され利用されるのが嫌だし、そういう制御できない収集利用等によって自分の情報が不本意な形で公にされあの一族に見られることになるリスクと思うと戦慄した)。だから、友達にはGのアカウントからメールは送らないでほしい、Gからのメールには返信しないし拒否リスト行きになる、連絡は別のアカウント(なるべくフリーメールではなくキャリアメールやSMS等)からにしてほしい、安全なアカウントが無い場合にはこちらから電話するから必要な時はG以外やSMSワン切りで伝えてほしい、等と話をしていた。こういう時にも友達は「野鳥だね〜」と笑って合わせてくれた。

生物が食べられないとか食材や産地を気にするというのもある。他にも色々。面倒くさいと思うよ、自分でも。でも「私はこれをこう捉え考えていてこうしたい」と話すと、皆、それを受け入れてくれた。恵まれているよね。そして、これが可能になるのが「対話」「多様性」「個性」「人権」の尊重される環境なんだよ。

同じでなくていい、違っていてもいい、でも相手の考えていることをよく聞いて咀嚼して、できる範囲で受け止める。勿論、理不尽なものや暴力的なものなど他を踏み躙り侵略するようなものはNG。だけど、そういう有り得ないものでなければ、互いに歩み寄れる範囲で歩み寄って、無理なものは無理だと線を引きながらも共にベターな道を模索する。

例えば私は生物は食べられないし、放射能や農薬や添加物などの蓄積型晩発性のリスク要因は嫌悪している。だけど、自分が食べさせられないのであれば、一緒にいる人が食べることは問題ない。勿論、大切な相手であれば、リスクについての情報提供はするし、避けられるものは避けたほうが、とは思うけど、選択権は相手にあるのだから強要しない。互いに食べたいものを楽しく食べられればそれでいい。一方、日本人なんだから寿司屋に行こうとか、一緒に「食べて応援」しようとか、BIOは危険(?)等の謎主張を強制されたら、はぐれメタル逃げ展開になる。

あるいは、私は他害を伴うタバコは本当に嫌いだし、酔うための飲酒はしないけど、私が副流煙を吸わされないところで友達が吸っていても、どこか遠くで酔い潰れていても、それはその人の選択だと思う。いずれも確実に体を蝕む行為で、タバコはそもそも、お酒は過度な摂取は避けたほうがいいのではと「私は」思うし、特に過度な喫煙飲酒は実質自傷行為なわけだし、大切な人であれば自分を大切にしてほしいなと「個人的には」思う。けれども、人は自身の生や身体を自分でコントロールする権利を有しているわけだし、自傷をする権利だって持っている(※他害は許されない)と考えれば、「その害が本人の内に留まっている限り」は本人の選択として尊重する必要がある。タバコは副流煙でそもそも、飲酒は酔って自制が外れ他人に絡んだり痴漢なども含む暴力行為をはたらくようになったら、他害を伴うので、私は許容しない。
幸い仲良くしていた人の中に喫煙者はほぼいないけど、仮に一緒にいる時に吸いたいと言われたら自分で遠くに逃げるか別のところに行ってほしいと伝えるだろうし、それが受け入れられないならその人との関係はまず続かない。私自身は体質的に分解能力が高いらしく、若いうちはそれなりに飲み歩いてザルだ酒豪だと散々言われたけど、潰れるために飲むことはしない(安酒はまずいし美味しいお酒を意識を飛ばすまで飲むには相当な量が必要になるから無駄金が嵩む。仲の良い人、美味しい食とペアリングして楽しむ程度が一番満足度が高いと個人的には思う。体質なのかもしれないけど浴びるほど飲んでもちっとも楽しくも気持ちよくもならないし。メリットが感じられないので家でひとりで飲むこともしない)。もし友達が深酒して潰れたら、初回は渋々介抱してその時(酔いが覚めた後)に次は無いからと伝え、それでも次があったとしたら、きっと一人で先に帰ると思う。幸いそんなことは無かったけど。大学の友達に一気煽りなど馬鹿な飲み方をする者がいなかったのは本当によかった。やっぱり皆がそれぞれに独立して「自分は自分、人は人」を共有しているから、陳腐な連帯感の演出のために馬鹿げた集団愚行に走る必要が無かったのだと思う。加えて、(そういった破壊行為では何も解決しないし)そんなことより生産的なことをと、自分を高め活用していく方向性も、多くの友人が共有していた。

ちなみに上記の対応はあくまでプライベートの場合で、業務として若者に接する場合は、全力で引き止め繋げ止め切り離しにかかる。けれども相手を否定することなく、感情的にならず、論理と対話で、解していけるよう注力する。幸いそのようなケースは無かったけれど。

最近は特に若年層の麻薬や市販薬OD流行が話題になっているけど、何の解決にもならないのにその時その場のみを紛らわせようとしか思えないほど、追い詰められていて選択肢も無いんだろうなと暗澹たる気持ちになる(酒タバコですらないのが今らしいなと思う。年齢的に買えなくなったからというのもあるんだろうけど)。別の方法があると思えればそうするだろうにね。明らかに鴨にされるのがわかるはずの闇バイト系に自ら志願していく層も形成されているし、やはり貧困層の急拡大と共に進んだ「公助」の積極的切り捨て「公教育」の崩壊と「自己責任」強要化の闇は深いと思う。
少し前に20代がメジコンを1000錠以上飲んで搬送され助かったなんてニュースも読んだ(このレベルはちょっとODではなく自殺未遂に近いのではとも思う)けど、こんなものすごい量を飲み干そうと思って実行できる(尋常でない)心身の丈夫さを別のことに活かせれば、それを掬いあげられる術が社会の中にあればよかったのにね。

ODはリストカットと同じで自殺ではなく自傷。死ぬためでなく生きるため、いっときの気晴らし憂さ晴らしと承認欲求のためのもの。興味深いことにODをする人の多くは、薬を飲んだ後にそのことを身近な人に連絡している。あるいは絶対に見つかる場所時間、人目につくところで行なっている。そこには「生きたい」「気付いてほしい」しか無い。
私は違う。確実さが重要だから、組み合わせる。救助されてしまうところでしたら終われないし、単体で終われないなら別の、それのみでも充分な要因も組み合わせて強化する。そして時も場所も、誰にも伝えない。知られないために、退職後、付き合いは遮断した。

人は自傷をする権利を持っているとも言えるけど、そうせずに済むのならそのほうがいいに決まっているよね。

私は歪んで屈折して壊れていながら結局メンヘラにすらなれなかった(と思っている)けど、それは、メンヘラに関して私が抱いているイメージが「(生きること前提の)リストカット、OD、男性依存、承認欲求」で、そのいずれからも私は遠いから。
私に関して言えば、育成背景的に自分が理解され受け入れられることなど絶対に無いと思っているから、そもそも承認欲求が湧かず"I don't the world to see me"状態。加えて教育虐待等との絡みもあり、気付かれてしまったら抑圧強制が始まる、搾取される、狙われる、だから見せたくないとなる(私の自傷は他害を伴わないこともあって主に過食であったんだけど、加えて「狙われない」ようにするためという側面も大きかった。痩せると狙われるから、そのリスク回避だったんだろうなと色々振り返っていて思った)。注目されることは苦痛。
リストカットはしたことがないわけではないけど、爽快さも生きているという感覚を得られることも無く、というか、血は気持ち悪いしそもそも積極的に生きたいと思えることが全く無かったので巷の目的と合致しなかったんだろう、大学へ入った頃には消えた。
ODは全くしたことが無い。私の若かった時代には向精神薬で、数十錠〜100錠前後くらいのものをしているネットの友達が複数いてその様子を聞いていたけど、当時の向精神薬ですらまず「死ねない」ということ、活性炭吸着やら胃洗浄等をしたところで臓器に多大な損傷が残ることも明らかだったから不毛だと感じた。そもそも私はカウンセリングをはじめ精神科にかかったこともないから薬が入手できなかったし。でも入手できる状態だったとしたら、元来の収集癖と好奇心から、藁をも縋る思いでとりあえず試していたかもしれないね。いや、やっぱりどうかな、私は現実主義者だから、何の解決にもならないことは、薬を貯められる状態であってもしないかも。そもそも医者に行かないのは薬で紛らわせるのは麻薬や酒タバコと同じ、カウンセリングに行かないのは自分が行ったところで加害側は何も変わらず、離れない限りは加害側が変わらなければ(過去は勿論)未来も固定されるわけで不毛、だから有害/リスク要因から離れて自分で自分を何とかするほうがよっぽど生産的だと考えるから。信用できるか不明な相手に自らを開くリスクも大きすぎるし。
男性依存はおそらく家や子ども、理不尽暴力の記憶と連鎖への忌避が強すぎて、脳が全力でストップをかけてロマンス避け特性を発揮するようになった。恋愛でなければ男性がそれだけでこわいということはなく、実害が生じる可能性があるリアルな存在で無ければ、普通に好意や愛着は発生する。ダレンロブ志村さんなんかがそうだろうな。恋愛の絡まない友達は性別を問わないし、大学時代によく飲み歩いていたのは九州男児(東大を蹴って私の大学に入った変わり者?)とだった。仕事上もビジネスの関係である限りは問題ない。

多分、諸々に診断をつけようと思えば充分過ぎるほどにつく経歴と状態だと思う。
退職の主因であるノーマスクに関するところで言えば、同じ立場の非常勤の先生には行政部に確認なんかしないで、studentsにクラスの中で話をすればいいじゃないか、皆理解してくれるだろうと言われていた(元所属は"students"の質は非常に良い環境だったからその可能性はあったと思うし、実際2022年度は、はじめに私のスタンスを説明してそれを皆が理解し協力してくれたから「授業」環境が苦痛になることは無かった)。正直、何食わぬ顔で契約更新だけしておいて新年度に入ってから「ノーマスク環境でどうしても授業をすることができない」と欠勤休業に入れば、無期の雇用も福利厚生も失うこともなくその後一年半、共済の傷病手当を得ることすらできた。でも、私にはどうしてもそうすることができなかった。それがstudentsのかけがいのない学びの時間や機会を暴力的に奪うことになること、高校段階の指導要領にあるものが身についていないことがどれだけその後(進路選択や大学等での学び、就活等)に影響するかということを、自ら身をもって知っていたから。私は犠牲者を作りたくない。

私には「死んでも嫌」で、たとえ自分に不利な状況を招くことがわかっていたとしても絶対に避けるしかないことがいくつもあって、それでもできることもあって、脅かされることがなく、対話と理性的な調整で糸口が見出せる限りは、自分にできる限りの譲歩と尽力はして、何とかやってきていた。人に伝えることはできなかったけど、私には私に影響を与えるものや、それと接してしまった時に自分がどうなるかがわかっていたし、それを避ければ、それなりにやっていけるということもわかっていた。だから諸々管理調整しやすい形を選択して、実際にそれなりにやっていた。「コロナの前までは」。

全ては崩れて終わりへ向かうわけだけれども、こんな、メンヘラにも鬱にもなれず、淡々着々と準備を進めてきた自分のようなケースの中にも、今後を長く生きる人の生のために、どこかでヒントになるところがあるかもしれない、あればと、この半年余り記述を続けてきた。最後にはからず足止めをくうことになってしまったけれども、そのおかげでこのポストをすることもできた。(全然まとまらなかったけどね。)

何が「良い」特に"best"であるのかは、わからない。

ここのところ、ほとんど寝込んでいた。夜に眠れないのはいつも通りなんだけど、日が高い時間に連続して眠り続けるから、不眠ではなくただの昼夜逆転の人と化していて、それは初めてのことだった。ちょっと面白かった。
ふと、ヨーロッパの時差と逆にするとちょうどいいくらいの感じだなと思った。私はコロナ前は長期休みに入ると即海外へ飛んでいたんだけれども、普段から睡眠リズムが狂っているので時差ぼけになることもほとんど無くて、何がメリットで何がデメリットなんだか、、とよく苦笑していたな、そう言えば。

散々寝て、(せめてポイントの消化くらいしておくか)と買い込んできたものを色々食べて、巷で言う「寝正月」のようなものを先に体験した。首が痛いし身体が重い。

けれども鳥なのだからと突然思い出してチョコボを弾きに行った。

ついでにマリオと

ビッグブリッジ

ギルバートも。

いずれも親指一本で弾いている時期に練習していて、複数指以降してからは慣れないし難しすぎてそのまま忘れていたんだけど、やっと供養できた。供養と言うには下手過ぎるけど、ちょっと練習して一本録りで通せる程度に伸びてはいたんだなと思った。

私はどうやら3Dの空間認識がおかしいようで(地図は読めるしおそらく2Dに問題は無い)、ピアノと違って両手の構えも指の向きも、楽器や体の向きも(私にとっては)ちぐはぐなギターへの適性は非常に低いということが、練習開始後の早期に発覚した。
それでもギターは好きだったし弾きたい気持ちはあったから、指の形や角度という面での負荷が強いコード弾きは諦めて、単音の主にベース弾きで、引きこもり無発声生活による心肺機能低下の回復を兼ねて歌と合わせるという道を見つけて、色々な歌やそれにまつわる記憶を召喚しつつ細々と続けてきた。
正直、こんなに苦戦するなんて思っていなかった。ピアノのように練習しなくても自由に弾けるようになっていたらよかったのに、本当に、全然違った。
ピアノで弾き語りのほうが圧倒的に楽だったんだろうな、と思う。もはや弾いていた期間よりもブランクのほうが全然長いんだけど、ベース弾き開始後初期には、音源のベースを聴き取るときには(ピアノ的に)指が動いていた。おそらく私にとっては音階が鍵盤と結びついていたからだろう。
"Affirmation"の中にも"Two beds and a coffee machine"等、ピアノ伴奏の曲があって、でもそれを丸々ギターで再現することはとてもできなくて、もしピアノがあったらできただろうにと悔しく思った。でも私はピアノを持っていないし持てる場所に住んでもいない。ピアノは非常にできることの幅の広い楽器だし私の空間認識にも触らないから適性に問題もないけれども、所有のハードルも高く、私にはアクセスできない。

好きなこと、適性、実際の選択、パフォーマンスは必ずしも一致しない。

私は誰に何と言われようと英語は苦手だし好きだとは思えないけど、使えないことはなくて、実際洋楽を聞いたり歌ったり、旅行をしたりという主に趣味の分野においては、そこまで屈折した感情を伴うことなく活用できるししている、一方、それ以外の面においては極力離れようとする傾向がある。
イタリア語はちっともできないけど苦手意識は無く話すことに抵抗も無い(私は英語は話したくない)。

何が「良い」、何が"best"なのか。

色々な形がある。絶対はそれこそ、絶対に無い。

教育だって完璧なアプローチなんてものは無くて、もし誰かの"best"があったのだとしたら、それは別の人の"best"にはならない。だって、人は皆違うんだもの。

私が免許をとったのは、敵陣視察のような気持ちからだった。実際に使う気は無かった。でも使うことになってしまった。そしてそれは終わった。

はたしていったい何が良かったのか。わからない。

私にとってはやっぱり"Never want to stay. Never wanna live."である。現実が変わらないのだから判断が変わることもない。I can fly again and still I can be free.

考えれば考えるほど、芋づる式に色々引き出されてきてしまう。けれどもこれくらいにしておこう。


12/8
12/28
12/29
12/30
さっさと蕎麦を食べてしまった
12/31
何故か好きなキャロットケーキ

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