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Guitar0822(練習開始1ヶ月)

ギターを始めてから1ヶ月経ったらしい。残念ながらとてもとても望み通りに上達したとは言い難い状態だし、おそらく空間認識能力との関係もあり私のギターへの適性はあまり高いとは言えないだろう(座標を失うとか軸がずれると言っていたのも多分ここが原因)。
しかしそんな風にうまくいかないことを経験することには価値がある。私は殊に音楽に関して「うまく(いか)ない」ことへの沸点がかなり低い。これは記憶もあやふやな幼少期に全く苦労することなくピアノを弾き始め、臨界期前にこれまた全く意識もせず絶対音感を獲得してまったことが私にとってのデフォルトになっていて、他のものもそう(あるべき)だと思ってしまいがちなことが原因だと思われるんだけれども、それとは真逆の、「音楽でも」全然うまくいかない・簡単に進まないことを、これでもかと突きつけられ続けることで、それまでの(決して当たり前ではない)「当たり前」、固定観念を少しずつ崩していくことができた気がする。非常に悔しく苦しいことではあったけれども。

ある意味節目なのだから、ギルバートビッグブリッジの精度を高めるなど、一定の達成感を得られるような練習をすれば良かったと帰ってきてから気付いたんだけれども後の祭り。
前日に気になってしまったSatieのギターパートとの歌合わせに取り組んでしまい、案の定またがっかりを突きつけられる結果となった。まあ、野鳥は気ままなものだから仕方ない。

高音、一番上の弦を多く使うというのは、これまでメロディー弾きでも少なかったことなのでよい練習になった、けど、それでさらに歌と合わせるというのはまだ早かったかな。。
懸念していた通り、全力で意識を指に吸われて全く歌に気が回っていない。結果、歌は無表情ののっぺらぼうに加えての不安定。前日の(指負荷が少ない)ベースバージョンと比べると笑えてくる。

Carry on dancingの時も変速リズムの部分に意識を吸われていっぱいいっぱいになったんだけど、あの時は左手はほとんど動かす必要が無く同じフレーズの繰り返しだったのでまだよかった。今回はさらに、指移動幅も大きくフレーズのバリエーションも多くサビの部分は動きが続く。外からはわかりにくいかもしれないけど、本人の意識としてはもう白目を剥いて泡を吹いて息も絶え絶えやっと声を出している感じ。だから表現以前の最低限の発声や音程維持にすらコストが割けない。フリーズ一歩手前でファンがぶおんぶおん回っているパソコン状態。

やはり、目に見えているものの裏に何が絡んでいるのかに思いを馳せることは重要だと思った。(思うように)歌えていないのは、歌の技術や発声だけが問題でない場合もある。顕在化していない要因を「無きこと」にしてしまうことで現実を見失うことがある。それは個人のパフォーマンスだけでなく、世の中で起きていること全般にも言えることであろう。

人間をはじめ、この世界はそんなに単純に割り切れるものではない。矛盾に満ちた不確実な事象を既成の枠(主として自分に都合のよい、自分が見たい方向性)で単純化してわかった気になる短絡は、多くのものを取りこぼしていく。社会の中のメインストリームでない層ーいわゆるマイノリティー、力を持たない弱者、体制に都合の悪い事実、地味で目立たないけど社会を支えているインフラやその維持・リスク管理、地道に手を動かす技術者や職人さんの貴重さ、そういうものを無視排除し続けた結果が今の日本の没落の根底にある。

ダレンやCoccoのように、「知っている」からこそ気づけること、言えることがある。彼らの優しさには嘘がない。
気付けば退職後ずっと頭の中から消えていた音楽やことばに、ギターをきっかけに再会できたのは良かったと思う。

私はずっと、必要な音やことばを自分で自分に処方して過ごしてきたんだった。


はじめは弦も欠けていてフレットを上向きにして弾いていたギターは、今は弦も揃い、フレットも一応縦に近い状態になっている。(もしかしたらフレットを上に向けて弾き始めたのは、みたいな感覚で弾こうとしたー過去の経験を適応させようとした結果だったのかなとも思っている。)
どうしてこんな簡単なことすらできないんだといちいち憤っていたことも、今は私は初心者なんだから仕方がないと、スモールステップで対応できるようになってきた。ハ長調の呪いも解けてきた。

この道はどう続くのだろうか。そもそも道はあるのだろうか。
野鳥は進む。"middle of nowhere"に向かって。私も逆説だね、ダレン



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