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Guitar1008&1009

寒い、寒過ぎる、、いきなり冬になったかのような二日間だった。断続的に雨も降っていて、とにかく寒かった。
金木犀、いつ香るんだろう?今年はまだ香りを感じていない。でもそれは私が練習以外でほとんど外に出ず、出るのも夜間、そして移動も練習場所までの経路に限られるので、もう10月も半ばに近いし、もしかしたら既に咲いていたのに気付かなかっただけなのかもしれない、気温もだいぶ落ちたことだし、最近咲いていたとしたらまずこの長雨で花も落ちてしまうだろうと、金木犀を感じたら歌おうと思っていたほんの一瞬の季節ものソング、フジファブリックの「赤黄色の金木犀」を、事後なのか見切り発車なのかもわからないまま歌うことにした。時期を外すとちょっと違う感があるし、私は次の機会を想定していない。

この曲は志村さんの曲の中でも一、二を争うほど好きで特別に思い入れがあるから、出来ればきちんと歌いたいと練習に2日使う気でいた。それで実際2日使うには使ったんだけど、初日(日曜日)が寒過ぎて即帰宅してしまったので、実質1日になってしまった。のでものすごく消化不良。。悲しい。
前にも書いたように練習時間帯が夜間なので、既にソフトダウンを着て出るのが日課になっていて、加えて日曜日は特に寒いとわかっていたので、中も厚めのヒートテックに厚手の長袖にして、対策をしていたつもりだったんだけど、全然歯が立たなかった。。
徐々に、というかみるみる体温が奪われていくのを感じ、あっという間に身体は冷え、これはまずいとダウンの上にレインコートまで着て歌おうとしたものの、震えて声は出なくなるし指先もかじかみ動かなくなったので、これはダメだと泣く泣く帰宅した。。雨でなかったら装備を整えて再度練習へ出ていただろうけど、わりと強く降っていて移動で(レインコートは着ているものの)濡れたので、これは見送りだな、と。

山もそうだけど、やっぱり濡れは低体温症を招くので、低温時は特に侮ってはならない。こんな時期に体調を崩して病院になど行きたくない。
ちなみに、私は「羅生門」(芥川龍之介)の下人のご乱心っぷりの背景には低体温症もあるのではと思っている。だって下人もちょうど同じくらいの寒さの中で、傘も居場所もなく軽装で濡れ続け、吹きさらされていたわけでしょ?そりゃあおかしくもなりますよ。まあ、芥川が低体温症のことを意識していたのかは不明だけど。
「羅生門」や芥川と言えば、私は「羅生門」の舞台となった平安末期、そして芥川が生きていた特にWW1〜WW2の戦前と現在は極めてよく似ていると感じている。社会は荒廃し流行り病や「自分さえよければ」が蔓延する(コロナだけでなく梅毒が流行だなんて、いつの話だよって思っていたけど、なんかもう普通のことだよね、、)去年、タモリさんが「新しい戦前」とおっしゃったのは流石だなと思った。そうならないといいけど、望みは薄い。人間の業はあまりに深い。歴史にも学ばない。
都の中心も中心の入り口、重要で豪華だった門がぼろぼろに朽ちて、修理などされることもなく長期間放置され、石段はひび割れ、草はぼーぼー、おまけに供養埋葬される余地すらない死体置き場となっていて、夕刻には死肉を喰らう烏が群がる、楼には怪しい輩が巣食う、食い散らかされ、そうでなくても腐乱した死体(衣服は剥ぎ取られたりしている)の臭気が蔓延する、、
第一次世界大戦の時期に芥川が描いた混乱と退廃の時代。スペイン風邪、結核、梅毒等と「神経衰弱」が溢れ、若くして多くの人が命を落とした時代(自殺含む)。その後本格化した一次大戦と彼の死後に訪れた第二次世界大戦。当たり前にヒロポンが使われ感覚を殺して笑顔で特攻させられそれが美徳とされた時勢、そして麻薬貿易で財を成した勢力が権力を持ち続けた戦後。かつて成長の時代に整えられたインフラは寿命を迎え、ボロボロになっても放置されている。トンネルや橋は崩れ、水道や公共交通も維持できなくなり、それでいて被害を被っても「自己責任」で切り捨てられ「自助」を求められる。「羅生門」で老婆や下人が出てきたように、現代にも「自分が」「生きるため」に無理矢理あるいは考えることすらなく正当化された他害が非常にカジュアルに行われるようになっている。私はそこからは距離を置きたいので、「自分」も「生きる」も放棄する。

また斜め展開になってしまった。話を戻す。初日の失敗に学び、昨日は装備を厳重にして出かけた。ヒートテックは厚手のものを二枚、その上に厚手のトップス、ダウン(長袖)、その上にもダウン(ベスト型)と、とにかく着込んだ。今の時期にこれでは先が思いやられるとは思いつつも、重装備のお陰で凍えることなく何とか練習できた。
練習したのは主に間奏。本来は鍵盤で弾かれている部分なんだけど、最近メロディー弾きもほとんどしていないので、久々にメロディー的なものに挑戦しようかと。でも結局時間不足でうまく弾けるようにはならなかった。。そして歌の調整に時間を割けなかったので歌が極めて不安定であるのもとても残念。。やっぱり少なくとも丸々2日は必要だったね。しかし仕方ない。これも現状。その記録。


ベースはなるべく再現したかったんだけど、歌が動いている部分は今はまだ無理なのでそれ以外のところをできるだけ、のスタンスで弾いた。しかし例の頭で覚えきれていない。。
本当はできることなら志村さんの弾いているギターリフと同じもので歌いたかったんだけど、全然無理だった。このリフについてはちょっとまた発見があって、今回改めて聴き&見直した際に、私の記憶していたリフ(ギターを手にしてすぐの時期に弾いている)は志村さんのリフそのものでなく、他のパートを含めてメロディー展開として処理しやすい形に調整されていたことが発覚した(始まりの音が動いている)。

実際の形は↓で完全に変化のないリフ。

加えて、志村さんの左手の位置と弾いている弦の位置から、もしかしたら志村さんはこの曲はチューニング自体を変えて弾いているのかもしれないなと思った。
普通のチューニングで弾こうとしたら、始まりのシ♭は一番左側のフレットを押さえなければいけないはずだし、途中のソとシ♭は同じ弦になるから短期間に指を押さえ変えなければいけないはずなんだけど、志村さんの左手は中程に固定されていてほぼ動いていない。右手はピック弾きだけど、おそらくソとシ♭は別の弦を弾いている。
下から2番目の弦はラだから、半音上げればフレットを押さえなくてもシ♭が出る。上から2番目の弦はシだから半音下げればシ♭になって、ソとシ♭の押さえ変えや弦被りを解消できる。
そう気付いたなら自分でも再現してみればよかったと今更ながら気付いたんだけど、後の祭り。いつものことだけど野鳥に計画性はない。。

考えてみたら、ライブ中に曲間にローディーさんがギターを運んできて曲によってギターを持ち変えることってよくあるよね。それって、音色とか、レコーディングの時に使ったギターだからとか、そういう理由なのかなって思っていたんだけど、加えて、弾きにくい調はチューニング自体を変えてしまえばっていう方法もあるのか!?と、ある意味目から鱗だった。
でも私は混乱するから無理かな、、B管の楽譜と実音がずれることに消耗していた感じに近くなる気がするし(絶対音感の弊害)。でも、今は楽譜を使っているわけではないからいけるのかな?この弦のこの位置はこの音っていうのも完全に定着しているわけでもないし。うーん。

「赤黄色」は特に好きな曲なんだけど、やっぱり「季節もの」だからか、ライブで聴けたことはほぼ無かった。志村さん時代は多分無かったと思う(残念なことに私がライブに通い出したのは四季盤ツアーの後だったし)。
私のフジファブリックへのファーストコンタクトはカラオケで友達が「野鳥さん、この曲好きだと思うよ」と赤黄色を歌ったことだった。しかし、Coccoやくるりの時と同様、私は準備が整っている時に自分で手を伸ばさないと中までは落ちなくて、結局フジのライブへ通い出したのは(「赤黄色」の後にリリースされた)「銀河」をCMで何度も目にして何だこの変な曲を歌う人達はとバンドの存在を認知し(それが「赤黄色」と同じバンドだとは思っていなかった)、ある程度存在を認識した上で実際聴いてみるかと06年のRIJF(夏フェス)である程度まとまった曲数を聴いた後だった。今思えば、当時のセットリストはいかにもフェス向きのもので、本格的に好きになってから好んで聴き続けたものとは少し違うんだけど、それでもフックとしては良かった。とにかく「何このバンド?何なのこの曲達???」となり、その後はすぐにCDを買い、行けるライブには全て通うようになった。
私がライブに通い始めたのはフジの人気が鰻上りになっていった時期でもあった。はじめのうちは楽々確保できていたチケットもだんだん取りにくくなっていったし、メンバー、特に志村さんはどんどん垢抜けていき、おそらくスタイリストさんもついてPVもお金をかけたものになっていった。
途中で喉のポリープ手術があったりしたけど、作品のリリースは続き、3rdアルバム"Teenager"と4thアルバム"Chronicle"は、それ以前の叙情的でどこかレトロな香りのする過去作品よりも明らかにポップさ(サウンド面)が際立ち、Savage Gardenの時もそうだったんだけど、私はポップ成分が強くなり過ぎると引いてしまう傾向があるので、昔の曲のほうが馴染むなあ等と思いながらも、やっぱり志村さんの「ことば」や世界は揺るぎなく、唯一無二なので、ライブジャンキーとして過ごしつつ、いつしか(そもそも私をライブ沼に引き込んだ)くるり、岸田さんよりも、おそらくフジファブリック、志村さんの存在が大きくなっていった。
しかしあまりにも突然、2009年の年末に、志村さんは亡くなってしまった。心ないことを言う人もいるけど、志村さんは自らそうする人ではない。私にはわかる。
Coccoもそうだけど、危うそうだけどそうならない人に私は特に強く惹きつけられる。対して、一線を越える香りのする人には恐怖を感じて離れる傾向がある。例えば、昔猛プッシュされていたandymori。何度かライブで聴いたけど、その度に不安になり引きずられる感じがしてちょっとこれはダメだとなった。そして実際、小山田さんは飛んだ。幸い命は失われず、今はソロ等で活動なさっているようだけど。

あれ、どうしてまたこんな話になったんだっけ。気温が下がってくる、年末が近づいてくるといつもダウンモードになる。
PTSD持ちあるあるかもしれないけど、月命日とか年命日的な、同じような状況の時にぶり返すというサイクルのようなものがあって、私は野獣に襲われ家にほとんど戻らなくなったのが(高3秋以降の記憶が欠落しているから詳細はわからないけど)おそらく年末を意識し始めるくらいの時期で、実際、その年の図書館等公共施設が閉館する年末年始はひどくきつかった、はず。そして、大学入学以降も年末年始は調子を崩した。そこに志村さんの件も加わった。

働いていた時は、きちんと働ける状態を維持しなくてはいけないので、年末を乗り切ったら、というご褒美的に、年始は京都で過ごすことを定番にしていた。京都は出自的には全く縁のない時期だけど、だからこそ、嫌でも出自を意識せざるを得ない時期に、そこから離れた場所へ行くことは良かった。

年末も年始も大嫌いだ。

「僕は残りの月にすることを 決めて歩くスピードを上げた」



栗の時期なので、出先の街のお菓子屋さんで栗菓子を買った。
亀末廣さんの竹裡が食べたい。

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